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黒田勝弘 韓国・文在寅政権を救った挙国一致の“コロナ自慢”|特別寄稿「 #コロナと日本人 」

トイレ後も手を洗わない、挨拶は固い握手、食事は大勢で同じ皿をつつく……これまでの生活習慣を一変させた“文化革命”でコロナ禍を乗り切った韓国。国民の気分の高揚を巧みに政治利用した文政権は絶対絶命の危機を脱した!/文・黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)

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「挙国的体制」と「国難キャンペーン」

世界に拡散した中国発の新型コロナウイルスはまず韓国を直撃した。韓国での初確認は1月20日で、当初の感染者数は2月段階までは韓国が中国に次いで2位を占めていた。その後、イタリアやイランで急速に拡大したため3月中旬あたりで4位に下がり、4月に入ると14位となって世界全体としては目立たなくなった。韓国より日本の方が多くなったのは4月下旬である。

日本との比較でいえば、総人口は日本の方が2倍以上ある。人口比で見る限り、韓国が日本よりコロナをよく抑え込んだとは必ずしもいえない。ただ、途中から欧米など他地域での爆発的増加によって、韓国が世界の感染者数ランキングから急速に後退したため「韓国はコロナ封じ込めに成功」の印象が生まれた。

その印象には、韓国での「韓国は世界のコロナ防疫の模範」という官民挙げての“コロナ自慢”的な国威発揚キャンペーンも影響している。

韓国では“コロナ襲来”に対し早くから挙国的体制が取られ、国難キャンペーンが展開された。コロナ事態については世界各国で“コロナ戦争”といわれたが、韓国でも民心を防疫体制に総動員する様子は戦時体制を思わせた。

ところがその国難ムードがある時点から“コロナ自慢”となって愛国ムードに転換する。総選挙(4月15日投票)という文在寅政権下の政治状況があったからだ。後で詳述するが、韓国はコロナ事態の効果的収拾もさることながら、それを政治的に見事に活用することに成功した国として歴史に残るかもしれない。

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文在寅大統領

「マーズ」禍の教訓が生きた

韓国が比較的素早くコロナ封じ込めに動いたのには、いくつかの背景があった。その一つは2015年の「マーズ(MERS=中東呼吸器症候群)」禍の教訓だ。いわば直近に国外からの新型感染症流入を経験し、手痛い結果(38人死亡)を被っていた。その反省から新型感染症に対する早期対応策をそれなりに準備していたのだ。

「マーズ」では感染者の動向追跡ができなかったために感染拡大を許した。しかも韓国医療界の最高峰である「サムスン病院」まで感染者対応に失敗している。そこで教訓として感染者の動向追跡や徹底隔離など、とくに初期対応のノウハウ開発に努力していた。

二つ目は当初の感染源が地方都市だったことだ。大邱市にある新興宗教の大型教会がクラスターとなり、その信徒を中心にした感染拡散の経路を比較的容易に確認できたことがある。

問題の宗教団体「新天地イエス教」(信徒数約25万)は韓国でよくあるキリスト教系の終末論の一派。マンツーマン式の密着布教で教勢を拡大し、国外布教で中国それもコロナの“震源地”だった武漢にも教会があり、中国との往来が活発だった。教会側は当初は感染確認や追跡に抵抗したが、結果的には組織集団だったため防疫は効果的にやれた。

大邱市は人口240万人で韓国4番目の大都市。都市封鎖にはならなかったが、医療・行政当局、市民を含め地域ぐるみで「地域を守ろう!」と封じ込めに取り組んだ。これが大邱より人口が10倍以上になるソウル首都圏だと、そうはいかなかっただろう。

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韓国・ソウル市

その後、感染はソウル首都圏にも徐々に広がったが、すでに大邱で実施済みの防疫体制はソウル首都圏でも効率的に展開された。ちなみに政府の対策本部長だった丁世均首相は終始、大邱市に滞在し陣頭指揮にあたっている。
しかし韓国のコロナ防疫にもっとも功を奏したのは、何といっても国家的、社会的な統制力や国民の同調意識の強さだろう。外国人の目にはこれがやはり印象的である。

これまで韓国が経験してきた国難あるいは非常事態というのは、1950年代の朝鮮戦争と、その後も長く続いた北朝鮮との軍事的対立からくる「北の脅威」にかかわる。80年代前半までは夜間外出禁止令があり、最近はもっぱら不定期の防災訓練になっているが、全国規模の防空・退避訓練としての「民防衛の日」(毎月15日)もあった。いわゆる対北朝鮮有事への備えである。

この「北の脅威」感は近年、対北融和策でかなり後退してはいる。とくに文在寅政権下では交流・協力・支援・和解が対北政策になっているため、対北有事論は人気がない。

しかし核兵器まで持った重武装独裁国家がすぐ北に存在することには変わりない。対北有事の“DNA”は韓国人の深層心理には依然、存在する。今回、コロナ戦争という有事に際し、政府・行政当局とメディアが官民挙げて国難や非常事態を叫ぶことによって、そのDNAはたちまちよみがえったのだ。
そしてこのDNAに“IT王国”という新たな韓国社会の強みが加わり、コロナ封じ込めに大きな効果を発揮した。

有事の国民コントロールに不可欠で絶大な効果を発揮する韓国の「住民登録カード」は国民総背番号制だが、これは「北の脅威」を国是とした1960―70年代の朴正煕政権時代の産物である。今回、感染確認のPCR検査をはじめ迅速な防疫で効果的だった国民医療保険体制も、朴正煕政権が70年代に断行した「勤労者社会医療保険」がルーツという。朴政権は当時、19世紀のドイツ帝国宰相ビスマルクが喝破したという「福祉は安保なり」に範をとったといわれる。

生活習慣の“文化革命”

国難=有事には不満や不平、文句はいっておられない。政府・行政機関やメディアによる民心動員のキャンペーンぶりはすごかった。テレビは防疫対策本部の発表を毎日、定時に伝え、「マスク着用・手洗い・袖による飛沫防止」の「国民3守則」からはじまり、「体は遠く心は近く」といった「距離置き運動」の標語など、これでもかこれでもかと訴え続けた。

地下鉄は駅のホームから車内放送まで46時中、防疫スローガンを流した。あっという間にすべての国民がマスクをし、マスク無しは非国民に見られた。ついには、マスク無しではバスもタクシーも地下鉄も高速鉄道も乗れなくなった。感染者でなくても無断外出した自宅隔離者は警察に逮捕され、実刑判決まで受けた市民もいる。

非常事態ということで、丁世均首相をはじめ政府や自治体の対策本部関係者は当初からみんな黄色の“防災ジャンパー”姿だった。日本ではまず大阪の吉村知事がジャンパー姿で登場し、次いで東京の小池知事がジャンパーを着用していたが、緊急事態宣言下で背広にネクタイはない。

韓国で防災ジャンパー姿の当局者による定時の感染状況発表はいわば“戦況報告”である。国民は感染者の増減という“戦果“に毎日、一喜一憂させられた。こうした非常時ムードは国民、市民の同調意識を高める。

今回のコロナ事態は、韓国人にとっては日ごろの生活習慣の変化を要求される画期的なできごとだった。それは韓国ならではのことであり、ある種の“文化革命”のようなものだった。彼らはコロナ防疫のため伝統的な生活習慣の変更を迫られたのだ。

官民挙げてのコロナ対策キャンペーンで、マスク着用に次いで2番目の実践課題に挙げられ強調されたのは「手を洗う」だった。ところが実は、これは韓国人にとっては日常的には不慣れなことだった。

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世界的には日常生活で日本人のようによく手を洗う民族は多くない。先進国といわれる欧米を含めてそうだが、したがって食事の前の“オシボリ”は日本文化であって、使い捨ての紙オシボリなど日本の発明である。

韓国でも食堂でのオシボリの登場は近年のことだ。そしてアフター・トイレに関しても手洗いは必ずしも定着していない。

その背景としては、自然風土的に日本に比べて降水量がかなり少なく、日常的に空気がきわめて乾燥しているということがある。生活体験でいっても洗濯物は一年中、室内でも乾く。乾燥した風土では衛生上の手洗いはそれほど必須ではない。

そんな生活環境の中で「必ず手洗い」を迫られ、それも一日何回もとあっては、その実行にはかなりの決意が必要だ。今回それを実行に移し、コロナ拡散防止に成功したのならそれは“文化革命”といっていいだろう。

“寂しがり屋”韓国人の変化

さらに感染防止のため「人と人の間に距離を置く」というのもそうだ。この「距離置き(ディスタンシング)」は世界的にキャンペーンされたが、とくに韓国ではいち早く強調された。韓国人にとってはことのほか苦手な課題だったからだ。

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