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『万葉集』(前編)|福田和也「最強の教養書10」

人類の栄光と悲惨、叡智と愚かさを鮮烈に刻み付けた書物を、ひとは「古典」と呼ぶ。知性の可能性と限界をわきまえ、身に浸み込ませることを「教養」という。こんな時代だからこそ、あらためて読みたい10冊を博覧強記の批評家、福田和也がピックアップ。第2回は、新元号の出典元として再び注目を集めている、この一冊。(前編)

 平成から令和に改元されて以来、『万葉集』が脚光を浴びている。

 新元号の出典が『万葉集』の「梅花の歌」三十二首の序文であると発表されたためだ。これまでの元号は全て中国の古典が出典となっている。初めて日本の古典が出典になったということも話題になり、『万葉集』や関連本が異例の売れ行きを見せ、ゆかりの地へのツアーが人気を呼ぶなど、『万葉集』ブームが起こった。

 さてその序文だが、原文は次のようなものだ。

天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香

『万葉集』は全て漢字で表記されている。この文を読んですぐに意味を解せる人は少ないだろう。けれど、天平二年正月十三日に誰かの家で宴会が開かれ、その日は初春のよい日和で梅の花が開いて、蘭が香っていたということは何となく伝わってくるのではないだろうか。

 万葉集は奈良時代末期から平安時代初期に成立した日本最古の歌集である。今から千二百年も前に書かれた文章の意味を我々はくみ取ることができる。実はここに日本の古典の大きな特徴がある。

 ヨーロッパで古典といえば、古代ギリシア語とラテン語の文学をいう。この二つの言語は現代の言語とは隔絶されていて、そのままでは到底読むことが出来ないし、意味をくみ取ることも出来ない。言語の骨格からして違っているのだ。

 こうした言語を勉強したところで、実用的には意味がないのだが、ヨーロッパの学校制度、とくにドイツにおいては古典が教育の眼目とされてきた。小学校、中学校のうちから、両方の言語を徹底的に教え込む。例えば、教師がラテン語で読み上げた文章を生徒がギリシヤ語で書きとるなどといった授業が行われてきた。

 それは何故か――。

 ヨーロッパでは、古典を学ぶことが、人格を形成するうえで、もっとも有効だと考えられているからである。

 ただし、ここで期待されているのは、ギリシア古典のなかのソクラテスやプラトン、あるいはラテン文献のなかのキケロやマルクス・アウレリウスといった哲人の言葉や思想に触れることによる良き影響というものではない。

 それよりも重要視にされてきたのは、古代の遠さである。いかに古代の生活が、近代のヨーロッパ諸国の現実から遠く、無縁であるかということだ。

 つまり、今の自分たちの生活や利害、関心と全く関係のない時代の人々の言葉を学び、その発想や言動を理解しようとすること。そこにこそ、古典教育の意味があるとされた。自分と隔絶した他者を理解しようと徹底的に努力することにこそ、人間の人間としての力、つまりは利害、欲望、本能を超えた人間性の力があると、ヨーロッパ人たちは考えたのだ。

 この、自分とまったく違う時代、文明のなかにいる他者を理解する能力を、ドイツ人は「教養」と呼んだ。

 ドイツ語で「教養」は「BILDING」である。英語にすると「BECOMING」。「~に成る」「形成する」という意味だ。つまり、自分を人間として形成する、作り上げていく、ということである。

 人間が人間になるというのは、他者を理解できるということ、少なくとも他者を理解しようと努力をし続ける意志をもっているということだ。

 だから教養というのは、オペラに精通しているとか、絵画に詳しいとか、仏像を見るのが好きといった類のものではない。

 もちろんそういうことが教養につながらないわけではないが、鑑賞体験やそのための周辺知識の取得が、人間らしい人間になる、つまり他者を理解する力をつけるという方向性に向かわないのならば、教養を身につけることにはならないのだ。

 教養というのは、知識とか経験の豊富さを人に誇ったり、それを何か実用的な目的で使うために身につけるものではない。

 ゲーテは、『ウェルヘルム・マイスターの修業時代』のなかで、教養を定義して、「自身になるという目的以外の目的をもたない」営為、としている。つまり「教養」とはあくまで「自己目的」であって、自分を自分として形成することなのだ。

 そのような自己、人間らしい人間として作り上げるのに必要なのが、古典を通しての隔絶された他者を理解する試みなのである。

 はるか昔の、言葉も思考のあり方も、生活や人生観も違う他者の中に現在の自分と通底する他者を見出すこと、そのことを通じて自己の人間性を、その場、その場に限定された関心の中に生きるものから、それを超えた、広がりのある存在として形成していくこと。こうした教養教育の中心として、近代ヨーロッパでは、古典教育が重視され続けてきた。

 しかしながら十九世紀の後半ともなると、実用的な方向へと教育は傾いていった。

 イギリスのオックスフォード大学では数学が重視されるようになり、物理や化学といった理科系の科目が増えていった。とはいえ、ベオリルなどの有力なカレッジの主力はギリシア語であり、ギリシア語を修めることが、イギリス社会では紳士とみなされ、エリートになる絶対条件とされた。

 ドイツでも実業学校が作られ、より実務的な教育が施行されるようになったが、それでも社会の主流は、古典教育を専一にするギムナジウムであり続けた。

 こうした古典的教養を重視する姿勢は、今でも欧米エリート教育のなかでは主流になっている。それはやはり歴史的な視野の広さや人間性に対する洞察、自己の利益を超えた高い使命感などを育むのに不可欠だと考えられているからだろう。

 一方日本の場合、近代以前の教育制度の中で、古典の役割を演じてきたのは、日本の古典文学ではなく、中国の古典文献、『論語』を代表とする、四書五経だった。

 それは恐らく、日本の古典が教養形成に向いていなかったからである。

 前に挙げた梅花の歌三十二首の序文を読み下すと次のようになる。

 天平二年正月十三日、帥の老の宅に萃まるは、宴會を申ぶるなり。時に初春の令き月、氣淑く風和み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮の後の香を薫らす。

 これで、多くの人は意味が分かるのではないだろうか。

 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念

 これは万葉集の中の有名な一首だが、このままでは分からないと思うので、読み下してみよう。

 淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

 ああ、柿本人麻呂の歌だと分かる人もいるだろうし、近江の海の夕波に集う千鳥の声を聞くと、心がなえて昔を思い出す、といった歌の意味も解することもだろう。

 『万葉集』はそのままの表記では読めるものではないし、語彙や文法も違うが、読み下すと、その大意は分かる。分からないまでも気分は伝わってくる。

 これは『万葉集』に限らず、『古事記』や『古今集』など、他の古典にも共通していえることだ。

 日本の古典は、けして現在の日本の言葉とその情緒、表現、気分と隔絶していない。きわめて根強い、詩情において一貫したものがあって、それが日本の文学の一貫性を形作っている。

 つまり日本文学は『古事記』、『万葉集』の時代から一貫して日本文学として存在しているのである。

 あたりまえだと思われるかもしれないが、これは大切なことなのだ。

 ドイツのラテン文学者、クルツィウスやアウエルバッハらが指摘しているように、ヨーロッパ文学全体がギリシア、ラテンの地中海世界から派生した大文学圏であると考えることはできるが、国民文学的観点から見ると、話は違ってくる。

 フランス文学にしろ、イギリス文学にしろ、現在の国単位での文学系統が意識されるようになったのは、十七世紀からせいぜい遡って十五世紀にすぎない。イタリアはダンテやペトラルカらにより十三世紀に国民文学の濫觴が見られるが、ドイツは十八世紀を待たなければならない。

 その点、日本の場合、文学の一貫性とその意識は、『万葉集』が成立した八世にすでにあったと考えられる。

『万葉集』の題名の由来は諸説ある。

「令和」の考案者と言われる中西進氏は、「多くの(=万)詩華(=葉)を集めた(=集)もの」としているが、他に次のようなものがある。

 一つは、「葉」を「言の葉」として、多くの歌を集めたとする。鎌倉時代の古典学者で僧の仙覚がこの説を唱え、賀茂真淵もこの説を支持している。しかし、歌を「言の葉」といった例が万葉時代には見られない。

 もう一つは、「葉」を「世の中」の意味にとり、「万世に伝わるべき集」とする説で契沖をはじめ多くの学者が説いている。「万葉」を「万世」と同意に使う例は『文選』の詩序や『續日本書紀』などにある。

 三つ目の「葉」を「木の葉」そのものとして、「木の葉」を「歌」にたとえたとする説は明治から昭和初期の漢学者、岡田正之が唱えたものである。『准南子』の「千枝万葉」、『文選』の「万葉秋を吟ず」などの語が論拠となっている。

 ここで注目したいのは、これ以降の歌集が『古今和歌集』、『五撰和歌集』、『拾遺和歌集』、『千載和歌集』など「和歌」という言葉をつけたものが出てくるが、『万葉集』は『万葉和歌集』ではない。「和歌」をつけなかったところに何らかの意図があったのだろう。

 編者が誰なのかについては『万葉集』の中には書かれていないので、これもまたいくつもの説がある。当時の天皇、上皇の命によって編纂されたとする説、橘諸兄という説、大伴家持という説などである。

『万葉集』は全二十巻で、四千五百首が収められている。これだけのものを一人で編纂することは困難であり、巻ごとに編者が違っていたのではないかとする説もある。『古今和歌集』の選者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑と選者が特定されている。『古今和歌集』に収められている和歌は約千首である。千首を選ぶのに四人も選者がいたのである。このことからも、四千五百首の歌を一人で選ぶのがどれだけ大変なことであるのかが分かるだろう。

 恐らく『万葉集』は一人の人間が一つの意図を持って整理したのではなく、長い年月をかけて歌の増減を繰り返しながら、現在の形にたどりついたのだろう。

 しかし、成立や編者などというものは、はっきり言って、どうでもいい。

 そんな周辺知識を得るよりもまず、『万葉集』を手に取って開き、歌を読んでみることが肝心だ。いきなり漢字ばかりの原書を読めというのではない。『万葉集』ブームとなった今、分かりやすい読み下し文になった『万葉集』はたくさん出ているので、その中から好きなものを選べばいい。

(後編に続く)

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