この東京のかたち

講談師と講談社――神田松之丞さんの慶事を祝す(後篇) 門井慶喜「この東京のかたち」#9

★前回の話はこちら。
※本連載は第9回です。最初から読む方はこちら。

「講談倶楽部」は、苦戦しました。

 野間清治のデビュー作というべき「雄弁」創刊号が6000部を即日完売したことは前述しましたが、そのわずか1年後の「講談倶楽部」はあっぱれ1万部を印刷し、そうして1800部しか売れなかった。

 苦戦というより惨敗でした。しかもその1800部という数字がわかるまでに、当時の流通事情では3か月も4か月もかかる。野間はそれと知ることなく、第2号も第3号もやっぱり8000部刷ったそうです。

  借金もかなり背負ったらしい。奥さんの佐(さ)衛(え)さんは、後年、

「あの除夜の百八つの鐘の鳴り終ったとき、本当にほッとしましたね」

 と言ったとか。当時はまだまだ徳川期の慣習がのこっていて、大みそかは、一年の借金の精算の日だったのです。さだめし野間家には朝から借金とりが次々と来たのではないでしょうか。

 それでも野間は、あきらめませんでした(もしもあきらめていたら、当然こんにち講談社はなかったわけです)。読者もその存在に気づいたのでしょう、「講談倶楽部」はだんだんと売れて、1年後には利益が出はじめた。ようやく金利くらいは返せるようになったかと胸をなでおろし、大学書記の職も辞したと思ったら、野間はあらたな試練に襲われる。

 競合誌の登場です。神田旅籠町の楽分社という版元が、その名も「講談世界」なる雑誌を出しはじめたのです。

 しかも後発誌のつねとして、口絵が多く、微妙に野間の上を行くつくりでした。野間は愕然としたでしょう。

 ――やめてくれよ。

 と言いたかったでしょう。このあたりは何だか大正時代というよりは現代の話を聞いているような気もしますけれども、ともあれこうなると、一躍、発言力が高まる人々がいます。誰でしょうか。

 速記者でした。何しろ講談そのものは東京中いたるところで演じられていましたが(くりかえしますが絶頂期です)、それを文字にするのは彼らしかできない。情報の独占支配です。それだけでも立場が強いところへもってきて、この2誌目の登場により、

 ――どっちへ売るか。

 彼らは、その選択権も得たのです。

 野間に対しても、金銭的な交渉をしたらしい。しかし野間のほうから見ると、それ以上にこたえたのは、速記者側から、

  「浪花節は、やめろ」

 と言われたことでした。

  「講談倶楽部」はたしかに浪花節(浪曲ともいう)も載せていました。浪花節もやはり寄席の芸で、これは三味線を使います。いうなれば伴奏つきで赤穂浪士ものを歌う。義理人情をうなる。

講談クラブ

臨時増刊『浪花節十八番』(『講談社の歩んだ五十年 明治・大正編』より) 

ことに桃中軒雲右衛門あたりの独演会はたいへんな客入りでしたから、講談師はおもしろくなかったでしょう。そういう講談師の不満を代表して、あるいはそれを口実に金銭的譲歩をひっぱり出すため、速記者たちは野間を攻め立てたのです。ライバル誌の「講談世界」には、浪花節の掲載はありませんでした。

 野間は、よほど悩んだと思われます。何しろ「講談倶楽部」が講談の供給を絶たれるのですから、こんにちで言うと月刊「ザテレビジョン」が全テレビ局から取材拒否を受けるようなものでしょうか。ちょっとちがうか。とはいえ人気があるとわかっていて浪花節を切り捨てるのもむつかしい。結局、野間は速記者の申し入れを拒否しました。

  「局外者によって編集方針を指揮命令されるのは、これを甘受できない」
 と回答したのです。

 もっとも、その裏には、経営者としてのしたたかな勝算もありました。……いろいろと口やかましい速記者にたよる必要はもはやない。これからは文筆家に依頼して、最初から講談ふう、速記ふうの文章を書かせるのだ。お手本はこれまでの号にじゅうぶんな数があるのだから。

 こうして「講談倶楽部」は、この雑誌が、

 ――新講談。

 と名づけたものを載せだしました。「書き講談」とも呼ばれます。その文体は最初はぎこちなかったけれど、だんだんと小説ふうになり、しかも従来の歴史ものの小説のそれとは一味も二味もちがうものになりました。

 その変化をひとことで言うなら、

 ――文語体から口語体へ。

 ということでしょうか。従来の歴史ものの小説は、村上浪六、半井桃水などが有名ですが、文語体、つまり漢文くずしのような文体で書かれていました。それが口語体という、21世紀の私たちの当たり前に見るような、おしまいにダ・デアルやデス・マスが来る文体になったのです。これは画期的なことでした。

 もちろん電灯のスイッチさながらに明快に切り替わったわけではありませんが、その切り替わり後のいくらか洗練された姿を、私たちは、たとえば子母澤寛『新選組物語』(昭和6年)に見ることができます。冒頭の一篇「隊士絶命記」の冒頭ちかくは以下のとおり。

 いいお天気の日で、蝉(せみ)の声が降るようだ。丈(せい)の高い肩幅の広い総司が、白地の単(ひと)衣(え)を着て、ふらふらと庭へ出る。すぐ前の植(うえ)溜(だめ)の、梅の大きな木の根方に、黒い猫が一匹横向きにしゃがんでいるのを見た。

 「ばアさん、見たことのない猫だ、嫌(い)やな面(つら)をしている、この家のかな」 

 と訊く、然(そ)うじゃアなさそうだと答えると、 

「刀を持って来て下さい、俺アあの猫を斬って見る」

「総司」はもちろん沖田総司。こんにちの作家ならば句点(。)を打つであろうところが読点(、)になっているあたり、語りものの名残りがあります。それこそ神田松之丞さん――もう伯山さん――ならこれをどう料理するだろうかと勝手な想像もしてしまいますが、ともあれこんにちのいわゆる歴史小説、時代小説のルーツのひとつはここにある。

 新講談または書き講談にある。そのことは、たしかな歴史の事実なのでした。

画像2

 例の野間の拒絶以降、「講談倶楽部」の売上はさらに伸び、ライバル誌を圧倒しました。野間の判断は正しかったのです。講談社はやがて音羽の地に壮麗な社屋を新築し、そこへ引っ越しをするのですが、このときおそらく講談社は帝大=本郷文化からの独立を果たしました。

 大衆文芸の独立でもある、と見ることも可能でしょう。講談社はこんにちも音羽にあり、さまざまな歴史小説、時代小説を世に出しています。

(連載第9回)
★第10回を読む。

門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
2020年2月24日、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた新刊小説『東京、はじまる』が刊行される。
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