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連載小説「李王家の縁談」#5 |林真理子

【前号まで】
韓国併合から八年経った大正七年(一九一八)。佐賀藩主の鍋島家から嫁いだ梨本宮伊都子妃には、方子という娘がいた。伊都子妃は、迪宮(後の昭和天皇)の妃候補として、方子の従妹にあたる、良子女王の名前が挙がっていると知る。そこで伊都子は、韓国併合後に皇室に準ずる待遇を受けていた李王家の王世子、李垠に方子を嫁がせることを画策した。納采を終え、李垠と方子はぎこちないながらも婚約者として関係を育むのだった。

★前回の話を読む。

 一般の家庭でもそうであるが、婚約したとたん、相手の経済状況はよくわかってくるものである。

 李王家の財産は、伊都子(いつこ)の予想をはるかに上まわっていた。伊藤博文が約束した額よりもはるかに多い、年に百五十万円の王族費はあったし、そのうえ祖国からもたらされる、不動産や株の利益も莫大なものがあったのである。

 納采の際に王世子(おうせいし)より方子(まさこ)に贈られた婚約指輪は、朝鮮王室の誇りと富を充分にあらわしていた。五カラットのダイヤを中心に、流線型のダイヤが五弁の花びらをつくっていた。これは李王家の紋章である、すももの形である。

「こんな見事なダイヤは見たことがありません」

 御木本(みきもと)の支配人もため息をもらした。

「おそらく早々と、欧州でつくらせたものでしょう。他の妃殿下方も、こんな大きさのダイヤは目にされたことはないはずです」

 おそらく今、婚約中の久邇宮良子(くにのみやながこ)女王にしても、これほどの指輪を皇太子からもらえないはずだ。日本の皇室は質素を旨にしていたし、皇后が許されるはずはなかった。

 秘かに漏れてくる話であるが、皇后は息子の許嫁(いいなずけ)をあまり気に入ってはいらっしゃらない。良子というよりも、久邇宮家に対して、いろいろと不満がおありのようだ。

 あのような難しい姑がいるところに、娘を行かせなくてよかったと、伊都子は決して負け惜しみではなくそう思う。王世子の母親は既に亡くなっていたし、父親の高宗(コジヨン)も高齢である。祖国には王である兄の純宗(スンジヨン)がいた。王世子はあり余る財力を持ち、しかもずっと日本で暮らすことになっているのだ。

 燦然(さんぜん)と輝やくダイヤの指輪は、自分の裁量に対しての褒賞のようなものだと伊都子は思う。自分以外の皇族の誰が、娘を朝鮮王室に嫁がせようなどと考えたであろうか。

 先日新聞で読んだのであるが、王世子と方子の婚約をきっかけに、庶民の間で「内鮮結婚」が増えているという。大正元年には三千人を少し上まわる程度だった、日本にいる朝鮮人の数が、今年大正七年には二万二千人になったというから驚く。それによって四月には、日本人と朝鮮人とが結婚する際の、法律も出来上がったのである。

 すでに王世子との結婚は、陛下がおっしゃったとおり、

「日朝融合の証」

 となったのだ。

 伊都子の得意はまだ続く。李王家は結婚を機に、紀尾井町に新御殿を建設するというのだ。今の鳥居坂の住まいは、佐々木高行侯爵の邸宅を修理したものである。古いうえに不便なつくりなので、どうかあまり花嫁道具をお持ちにならないでいただきたい、というのが李王家からの口上であった。

 しかし梨本宮家の長女が、貧しい支度でいけるわけがない。伊都子はあちらの担当者と検討した結果、新しい御殿が出来た時に、しかるべき家具を運び入れるとりきめをした。といっても、方子が持っていく衣裳やこまごまとした道具だけでも、かなりの量になる。本好きの方子は、娘時代に読んだものを持っていきたがった。整理しようとすると、

「王世子さまも、これからはあなたが勧めるものを読みましょう、とても楽しみですとおっしゃっているのですよ」

 と母を責めるのも、婚礼が近い娘の言葉だと思うと微笑ましい。しかも、

「王世子さまが、アルバムも必ずお持ちになってくださいねとおっしゃったわ」

 方子の幼ない頃の写真を、どうしても見たいということだ。

 暇を見つけ、伊都子は家族のアルバムの中から、方子が写っているものを何枚か剥がし、それを別のアルバムに貼るという作業を始めた。

 といっても数は多くない。明治三十年代、写真は現在よりはるかに貴重なものであり、何かあると、助手をひきつれた写真師が、家にやってきて撮影してくれたものだ。

 まだ赤ん坊の方子を抱く、洋装の伊都子の写真があった。背景は何も写ってはいないが、当時住んでいた一番町の邸宅だとわかる。

 新婚当時、梨本宮守正夫妻は、兄の久邇宮邦彦(くによし)王邸に同居していたのだ。

 当時は久邇宮夫妻だけではない。母親がそれぞれ違う五男の多嘉王、八男の鳩彦(やすひこ)王、九男の稔彦(なるひこ)王とぞろぞろと弟たちがいた。

 加えてお歯黒の老女が何人か残っていて、十九歳の伊都子はどれほど苦労したことだろう。

 この一番町の屋敷で、久邇宮の尊大さをさんざん見せつけられた。維新後も市中で貧乏をした、四男梨本宮守正のことをどこかで見下していたのであろう。渋谷の別邸、今の本邸があったからよかったものの、若い伊都子にとっては、実に息苦しい屋敷であった。

 その一番町の屋敷で、伊都子は三浦梧楼に会ったことがある。久邇宮家が催した小さな集まりであった。三浦はこの屋敷の元の持ち主として出席していたのである。

「院長」

 皇族妃の伊都子が礼を尽くしたのには理由がある。三浦はかつて学習院院長だったのである。

「私のことを憶えていらっしゃいますか」

「もちろんでございます」

 頭を下げた。

「お可愛らしい、鍋島のお姫さまでいらっしゃいました。このようにご立派な妃殿下になられて恐悦至極に存じます」

 四角い顔をした風采のあがらない男であるが、欧州生活を経験しているせいか、なかなか洗練されたものごしである。

「今夜は梨本宮妃殿下にもおめにかかることが出来て、まことに光栄でございます」

 その時、ひやりとしたものを感じたのは、伊都子が朝鮮での出来ごとを知っていたからだ。

 明治二十五年に学習院院長を辞して三年後、三浦は朝鮮公使となった。そして着任してすぐに、閔妃(ミンビ)斬殺の首謀者となったのだ。このことは国際的にも大問題となり、三浦は法廷の場に立つこととなったが、無罪を言いわたされ、すべてうやむやにされた。

 日本の軍隊を出動させたにもかかわらず、日本人のふりをした朝鮮人の凶行ということになったのである。

 日本の新聞では、夫である高宗のクーデターと報道された。ひよわな精神の高宗は幽閉状態にされ、その間に閔妃は、日本を排除しロシアに近づこうとしていたのだ。それゆえ高宗の決起に、愛国主義の大陸浪人たちや三浦が手を貸したというのである。

 その新聞記事をじっくり読んでいくうち、三浦が長州藩士で、西南戦争の英雄と聞き、やれやれと思った。三浦は伊藤博文の寵愛を受け、朝鮮公使もその筋からと聞いている。長州の男たちの権力に対するはびこり方は伊都子を辟易させた。軍隊という玩具をもらって喜々としている、薩摩の男たちとも違い、長州の男たちというのは、巧妙に粘っこく権力に固執するのである。

 三浦は一番町の家で会った後、日本からも海外からも勲章を山のように貰った。軍人生活を経て今は枢密顧問官として悠々自適の暮らしをしているが、政界の黒幕として時々名前が出てくる。

 人を殺(あや)め、わずかな間ではあるがいったんは入獄した男が、どうしてこのような栄達を手に入れられるのか。そのカラクリが伊都子にはまるでわからない。

 とうに記憶の底に沈んでいた三浦が、今はっきりと甦えるのは、あの晩餐会の夜、伊都子が既に身籠っていたからに違いない。その時の腹の中の赤ん坊が、もうじき朝鮮王室に嫁ぐことになっている娘、方子である。

 方子はあの一番町の屋敷で生まれた。そしてあの家を建てた男は、方子が嫁ぐ男の父の妻を殺しているのである。

 この写真を手にするまで、その偶然にまるで気づかなかった。ぞぞっとかすかな寒気をおぼえたが、伊都子は深く考えまいとする。迷信や伝説の類に、どれほど嫌な思いをしてきたことか。子ども時代、鍋島の姫として級友にからかわれたことがある。鍋島の化け猫の話は、日本中に知れわたっているからだ。

「気にすることはない。こんなことはよくあることだ」

 ひとりごちた。

 旧い家に嫁ぐということは、そこに伝わるすべての因縁をひき受けるということだ。祖先の逸話を引き継ぐことでもある。今度、方子に言ってやらなければなるまい。

 大正八年の正月は特別のものとなった。方子の婚儀の日である一月二十五日はもうすぐである。娘と過ごす正月はこれで最後になると思うと、新年の儀式もことさら念の入ったものとなる。

 六日は宮中からの使者が来て、方子は勲二等宝冠章を授かる。最近これを授かったのは、今上天皇をお産みになった柳原愛子(やなぎわらなるこ)典侍だ。良子女王が皇太子妃になる時は、勲一等宝冠章であろうと、伊都子はちらりと考える。

 九日は、方子についていく侍女たちの荷づくりをし、十日は宮中へ参内し、陛下と皇后にお礼を申し上げる。十一日は方子の家庭教師や親戚の者たちを集めて小さな宴を催した。

 そしてふつうの家庭と同じように、梨本宮家でも花嫁道具を並べ、客たちに披露する。

 十二日から広い客間に紅白の幕を張った。新築の予定があるのですべての家具は置いていないが、紋章を入れた鏡台や箪笥、長持ちの類はある。伊都子が欧州から持ち帰ってきた銀食器、ベネチアングラスの数々。漆の器は京都の老舗につくらせたものだ。その他鍋島家由来の有田焼、方子のためにつくられた雛人形一式もある。

 十五日、学習院の級友たちが四十八人もやってきた。彼女たちは好奇心をおさえることが出来ない。自分も高貴な家に嫁ぐ少女たちであるが、相手が異国の王子というのは初めてなのだ。が、花嫁道具が日本のものと全く変わりないのでやや落胆している。目をひいたものといえば、華やかなチョゴリという衣裳ぐらいだ。

 多感な年頃であるから、中にはしくしく泣き出す少女もいた。

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