
西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#18
第三章
Distortion And Me
★前回の話はこちら。
※本連載は第18回です。最初から読む方はこちら。
*
『ぶーふーうー』のドリンクはジョッキで提供されるので得した気分になるが、クラッシュアイスがたっぷり入っているせいですぐに薄くなった。深夜2時を過ぎると打ち上げを離脱した劇団員やバンドマン、スタッフ、それぞれのファンが始発まで時間を潰すためにバラバラに集まってくる。ふらっと現れた「KOGA RECORDS」代表の古閑裕(こがゆたか)さんが、僕とモリヘーの顔を見つけてほろ酔いの表情で「ういーっす」と声をかけてくれた。僕は、彼がレーベル経営者になる前、ベーシストとして世に出たバンド「ヴィーナス・ペーター」のセカンド・アルバム「SPACE DRIVER」をほんの少し前に手に入れ、夢中で聴いたばかりだった。
古閑さんのことを下北沢で知らない者はいない。最初に古閑さんと会ったのは真夜中のライヴハウス「SHELTER」での誰かのバンドの打ち上げ。湧井さんが「KOGA(ケーオージーエー)は、下北のクリエイション、古閑君は下北のアラン・マッギーだよ」と僕に紹介してくれたのだ。
今をときめくオアシスを擁するクリエイション・レコーズの創設者アラン・マッギーは、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーと学生時代からの親友。自身もバンドマンだったが、次第に銀行から融資を受け、ロンドンにクラブ「ザ・リヴィング・ルーム」を開店するなど裏方へ。元々は仲の良いプライマル・スクリームやジーザス・アンド・メリー・チェインのレコード契約がなかったことから設立したクリエイションは成長を続け、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ティーンエイジ・ファンクラブも在籍、今やイギリス最大のインディー・レーベルとなっていた。
下北沢にはバンドマンだけでなく、古閑さんのようにレーベルを運営しCDをリリースしてくれる先輩達が沢山存在した。僕は逆にそういった立場の人とは一定の距離を保つようにしていた。古閑さんは上機嫌で「おおう、ゴータ、デモめちゃくちゃ良かったよー。メンバー集めて、ライヴやればいいのに」と言ってくれた。僕は言った。
「古閑さん……、実は僕、10月28日に Que でライヴやるかもしれなくて。まだバンドじゃなくて、仲間にソロを手伝ってもらうって感じになりそうなんですが」
少し前から演劇系の知り合いに話しかけられていたモリヘーが僕の言葉を聞き驚いて、こっちを向いた。
「ゴータ、それ初耳! あんたライヴやんの? それも Que で? 早くいいなよー!」
「いや、まだ誰にも言ってない。ドンちゃんが誘ってくれて。ただ、肝心のメンバーがポツポツとしか決まってなくて。もちろんめちゃくちゃやりたいんだけど」
古閑さんは「おーっ、いいじゃんいいじゃん。あ、そうだ。今度俺の新しいバンドも Que で演るから」と言った。
「知ってます! 9月2日、エレクトリック・グラス・バルーン、N.G.THREEと、古閑さん達の Jupiter Smileですよね! めちゃくちゃ楽しみです」
「次のヴォーカル、めちゃ若いよ、ゴータと同じ歳なんじゃない」
モリヘーが言った。
「え!」
心臓を貫かれるほどのショックだった。店内のBGMは、Spitzの「涙がキラリ☆」に変わった。
「でねー、超カッコいいよ、長瀬君みたい。背も高くて、名前もオークボダイゾウあはは」
モリヘーが嬉々とした表情で付け加える。
「えー!? ダイゾウ? めっちゃデカそうな名前やん、苗字も大久保ってどんだけデカいんやみたいな、はは。で、長瀬君ってTOKIOの?」
「そうそう」
「マジか……」
「まぁ、バンド自体仕切り直しだから、これからだけどね。ともかく、ゴータのバンドも楽しみにしてるよー。頼むよー」と古閑さんは満面の笑みを浮かべた後、僕に向かって2度優しく親指を立て、自分の仲間の待つテーブルへと向かった。入れ違いのように「CLUB Que」からやって来た SHORTCUT MIFFY! のヴォーカル沼倉君が、上機嫌な様子で「モリヘー!!」と彼女に声をかけた。僕は彼に場所を譲り、アイスココア代だけを置いて店を出ることにした。SHORTCUT MIFFY! は秋に出るコンピレーション・アルバムに参加が決まっている。どんどん同世代の仲間達がチャンスを掴んでゆく。
地下から階段を登り、キャスター・マイルドに火を着け、真夏の下北沢と吐き出す煙を混ぜてゆく。無性にケースケさんの顔が見たくなった僕は、下北沢駅南口の方に進み、非常階段を登ってバー「敦煌」を目指した。ドアを開けるとケースケさんは一人、カウンターの中でジャズのレコードを聴いていた。
「おおおぅ。ゴータ、今日、STARWAGON レコ発どうだった?」
「サイコーでした……。と言うか、色んな意味で、サイコー過ぎました」
「だろうな、カズロウは?」
「あいつ湧井さんに打ち上げのDJ頼まれてたんで、まだ Que にいますね。俺、さっきまで『ぶーふーうー』にモリヘーといて」
「あ、そういやモリヘー、マイカ探して1回ここに来たわ。あいつ心配しすぎなんだよ、お前はマネージャーかっつうの、はは」
「ははは、さっきモリヘー、連絡取れないの困るからマジで携帯買おうかなって悩んでましたよ。『VINYL(ヴィニール)』の古平君から」
「あぁ、あの噂のバンドね。確か城南電機でバイトしてる奴がいるんだろ」
「そうです、そうです。それが古平君。なんか安く買えるみたいで、周りの先輩達がどんどん古平君から携帯買ってて。今日も英治さん、携帯受け取ってて。打ち上げの途中でハコ開けて喜んでました」
「にしても、VINYL 勢い凄いなぁ。ウチの店に来る音楽関係の連中が大騒ぎしてるわ。完全にブラー以降の世代だって」
「今度、コンピレーション入るらしいです。SHORTCUT MIFFY! や、PEALOUT も入るという」僕は言った。
「あぁ……。まぁ、でも俺はゴータの『80年代趣味』もいいと思うけどね、はは。今、マイケル・ジャクソンとかワム!とか言ってるのサイコーだよ、誰もいない。その笑えるくらいの孤軍奮闘ぶりがいい。あはは」
ケースケさんは、ターンテーブルに向かって終わったレコードをひっくり返し、また針を盤面に下ろし回転させた。
「これ、なんすか?」
「ん? さっきまではマイルス。で、今はセロニアス・モンク。A面がマイルスのライヴで、B面がモンク」
「そんなんあるんすね」
ケースケさんは、レコードのジャケットをヒョイとカウンター越しに僕に渡してくれた。
「モンクは、不遇の時代が長くてさー」
「名前だけは知ってます」
「あんまりにも独創的過ぎて大衆に受けない、受けない。でも、プロになってだいぶ経ってからブレイクするんだよ。で、最高、神だ! 天才だ! みたいな時代が何年か続いて」
「へぇー……」
「それがだいたい今聴いてるこの時期ね。皆に絶賛されるようになって。ありきたりの言い方すると、『時代がモンクに追いついた』的な。で、しばらくしてマンネリだって飽きられたりもするんだけど、なんと言ってもクセが強いからね。逆に今はモンクの評価凄いけどね」
グラスをテキパキと手際良く洗いながら流暢に説明を続けるケースケさんが突然動きを止めた。
「あ! そうそう、あのさ」
「はい」
「突然申し訳ないけど、もう今日、店早く閉めちゃおうかなって思ってて」
「あ、すいません!」
「いやさ、ゴータ、『なんでんかんでん』ってラーメン屋知ってる?」
「『なんでんかんでん』? 初めて聞きました」
「ゴータ、今から店閉めるからそこ一緒に行かない? 奢るからさぁ」
「え?」
「たまに夜中に妙に食べたくなんのよ。さっき、実は行っちゃおうかなぁなんて思ってたとこでさ、めちゃくちゃ腹減ってんだよね」
「いいですけど、こんな深夜に開いてるんですか?」
「開いてる、と言うかちょっと並ぶかも、ゴータといれば暇潰せるからさ、あはは。博多のとんこつ」
「へー!」
「羽根木、環七沿い。悪いけど外の看板持って来てくんない? 俺も店すぐ閉めちゃうから」
非常階段を慌てて降りて看板を持ち上げようとしたその時……。僕は視線の先に佇むマイカを見つけた。黒いノースリーブ、タイト気味のワンピース。僕を見ると彼女はゆっくりと近づき「ゴータ君、敦煌……、今日、もう閉まっちゃうの?」と軽く微笑んだ。心なしか元気がないようにも思える。完璧なショートカット。突然の展開に声のトーンとヴォリュームがいつもより上がってしまった。まるで悪いことをしていたのを親に見つかった子供のように。
「あー! あの、ケースケさんがラーメン食べに行かないかって。あのさ、マイカちゃんも、一緒に行かない? 博多のとんこつだって。と言うか、モデルはこんな夜中に行かないかぁ、あはは」
「え?」
「大丈夫、大丈夫」
「ラーメン行きたい! 一緒に行っていいの?」
「あー? 行く? おー! ちょっと、待って、ちょっと待ってー。ケースケさんに言ってくる!」
なぜかすぐにモリヘーに伝えるよりも、今日はマイカを事情を詳しく知る今までの仲間とは別のルールの中に置いてあげた方がいいような気がした。
★今回の1曲ーースピッツ - 涙がキラリ☆
(連載第18回)
★第19回を読む。
■西寺郷太(にしでら・ごうた)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
Spotify公式ポッドキャスト「西寺郷太の GOTOWN Podcast」、毎週日曜更新。