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日本語版は40万部 『反日種族主義』はなぜベストセラーになったか

「反日種族主義」は、未来志向の歴史観が韓国から出てきたことに大きな意味がある。この現象は、韓国における「反日」の、「終わりの始まり」かもしれない/文・池畑修平(NHK前ソウル支局長・BS1「国際報道2020」キャスター)

韓国社会に変化が起きている

 韓国における「反日」の、「終わりの始まり」かもしれない。「反日種族主義」に対する感想を一言で述べよと言われれば、個人的にはそう答えるであろう。希望的観測を込めて。韓国の歴史教育における日本の植民地支配に関する定説を次々と否定していく、その内容が読者に与える強烈なインパクトもさることながら、それ以上に、この本が韓国でベストセラーになったという事実が、よりいっそう、そうした予感を抱かせる。

 何しろ、韓国において日本に植民地支配された歴史に関する定説に異を唱えることは、長年、容易ではなかった。韓国の憲法からして、前文にこうした一節がある。

「悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓国民は、三・一運動により建設された大韓民国臨時政府の法統を継承する」

 三・一運動は、1919年に日本の支配に抵抗して独立を求めた運動を指す。つまり、国家の土台を成す憲法に、日本に対する抵抗の歴史が誇らしく刻まれているわけだ。1945年の解放から国交正常化を経て現在に至るまで、自ずと日本の統治を「全否定」する風潮が定着したのも無理はない。

 そうした韓国において、ソウル大学の李栄薫元教授をはじめ6人からなる執筆陣がまとめた「反日種族主義」は、タイトルも内容も、私のように韓国に多少なりとも関わってきた日本人からすると「大丈夫か」と心配になってしまう。なぜなら、韓国において研究者らが「反日」に異を唱えることは、大袈裟ではなく、社会的に抹殺される恐れを伴うためだ。日本に支配された歴史に対する異論に現在よりもさらに不寛容であった10年前、いや5年前でも、執筆陣は強烈なバッシングに曝され、本の取り扱いを拒む書店が続出したのではないかと思う。

 2013年に出版された「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河氏(世宗大学教授)は、慰安婦には多様なケースがあり、日本軍兵士と「同志的」な関係にあった慰安婦もいたと論じたところ、名誉毀損の罪で在宅起訴され、裁判所が求める修正に応じなければ出版は差し止めるとされた。朴裕河氏は修正を拒んだため、「帝国の慰安婦」は、事実上、出版が差し止められた。韓国の裁判所が、日本の統治に関しては学問上の研究の自由は制約されると判断した例だ。

 ところが、「反日種族主義」は、「1万部売れればヒット」とされる韓国において、2019年7月に発売されるや、たちまち10万部以上を売り上げるベストセラーになったのだ。韓国社会において何か変化が起きているのではないかという希望的観測を抱くのも無理はなかろう。

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池畑氏

 もっとも、韓国の読者たちの評価は、真っ二つに分かれている。大手ネット書店のレビューを参照すると、評価が最上の「5」が52%ほど、最低の「1」が45%あまりで、見事なまでに中間の評価が少ない。批判派の中には、「ゴミのような本」と唾棄する人も少なくない。

 それでも、個人的には思う。5年前なら「1」が90%くらいだったのではないか、と。

「土地収奪説」の虚構

 代表執筆者の李栄薫元教授が「反日種族主義」の日本語版出版に合わせて来日したのを機に、私は李氏にインタビューをした。単刀直入に、このようなタイトルと内容の本を出す上で躊躇はなかったのかと尋ねると、李氏は、こう述べた。

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代表執筆者の李栄薫氏

「『反日種族主義』という概念は、私が長年考えていたものです。正常な議論、客観的な判断や審判がなされていない、そのような韓国の歴史学会の風土に幾度となく直面するうちに、『そうか、これは種族主義社会なのだ』と考えるようになりました。そして、文在寅政権が露骨な反日政策をとる状況を見るに見かねて、この本を編集し、出版しなければならないと決意するようになったのです」

 バッシングに対する「免疫」も十分に備わっていたのだという。

「私は昔から多くの批判を受けてきた人間です。90年代初め、植民地支配の初期に日帝(大日本帝国)が行った土地調査事業に関する論文を執筆し、その中で、(韓国での定説とは異なり)日帝が土地調査事業を通じて朝鮮人たちの土地を収奪したという事実はないと記しました」

 この「土地収奪説」の虚構に関しては、「反日種族主義」でも李氏が説明している。日本は1910年に韓国を併合した直後から8年間かけて朝鮮半島全土の土地面積や地価などを調査した。この土地調査事業に関して、韓国の歴史教科書は、長年に渡り、「全国の土地の40%が朝鮮総督府の所有地として収奪された」と教えてきた。その部分が授業で教えられると、教師も生徒も悔しさのあまり泣いた、というのだから、影響の大きさが窺い知れる。

 ところが、経済史を専門とする李氏が資料や記録を丹念に分析していく中で、「土地の40%を収奪」は誰も証明したことがないと知ることになる。それどころか、そもそも日本は農民らから土地を収奪していなかったという結論に辿り着く。その証拠に、1945年に日本の支配から解放されると、土地を奪われた人々は「土地を返せ」と叫ぶはずが、誰1人としてそのような声は上げず、土地台帳を保管している全国の郡庁や裁判所でもそうした騒動は起きなかったという。

「私は、単なる研究者の立場で新たな事実を明らかにしたいという観点から、論文を出し、実際に新しいことを示せたという嬉しい気持ちで論文を書き下ろしましたが、返ってきたのは『親日派だ』という攻撃でした。しかし、私は政治家ではありませんので、批判されることをそれほど恐れたり、批判のせいで自分の行動が制約されたりすることはありません」

 この「土地収奪説」のように、李氏ら執筆陣は、多くの統計や資料を紹介しながら、日本の統治に関する韓国での定説に次から次へと異論を唱えている。

ヒットの陰に「韓国社会の成熟」

 現在、日韓関係を最も揺るがしている「徴用」の問題に関しても、例えば、炭鉱などにおいて「日本人か朝鮮人かという民族に基づく賃金差別はなかった」と主張する。当時の賃金は基本的に成果給であり、日本人と朝鮮人に分け隔てなく正常に賃金は支給されたのであって、賃金格差は、民族の違いではなく、勤続期間や熟練度の差から生じたのだと論じている。

 そうした「常識を覆す」内容が満載の本が、賛否両論はあるものの、「賛」をこれほど多く集めた状況をどう見ているのか、李氏に尋ねると、1つのキーワードが返ってきた。それは、韓国社会の「成熟」だ。

「より広い視野で、国際的な感覚を持って、歴史を理解し、隣国を理解する現象が韓国の若い世代から広がっていると思います。以前は、『お前は親日派だ』と攻撃されると、韓国人は反論できずにいました。しかし、今は、親日派と攻められても、『それなら、お前は反日種族主義者なのではないか? そのような言動はやめろ』という反論がネット上などで広がりを見せているのです。望ましい方向に社会が成熟していく姿が見え始めています」

 この本がヒットしたことが、「反日」の「終わりの始まり」を予感させるのも、李氏が言う韓国社会の成熟の表れであるためかもしれない。

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