楽天メディカル_共同

がん医療の新常識 楽天・三木谷浩史が167億円出資した「光免疫療法」の全貌

2012年、悪童だった三木谷を放任主義で育てた最愛の父・良一にすい臓がんが見つかった。三木谷は父を救うため、奔走する。そして、アメリカである治療法に出会った。「インターネットに出会った時と似た感覚」と三木谷氏が振り返る画期的治療法の全貌とは?/文・大西康之(ジャーナリスト)

「これで世界が変わる」

 今年7月1日、東京・虎ノ門のホテルオークラで開かれたのは、楽天が出資する医療ベンチャー、楽天メディカルの「決起パーティー」。会場となった地下2階の宴会場、アスコットホールは、立錐の余地もないほどの賑わいを見せていた。

「この画期的な治療法を早く患者さんに届けたい」

 ビル・ハガティ駐日米大使(当時)ら大勢を前に、こう意気込んだのは、楽天会長兼社長の三木谷浩史だ。

 楽天メディカルが「頭頸部がん向け光免疫療法が厚生労働省の『先駆け審査指定制度』の対象に指定された」と発表したのは、4月8日のこと。日本の医薬品承認は海外に比べて時間がかかり、画期的な新薬の実用化が遅れる「ドラッグ・ラグ」が問題になっている。先駆け審査指定制度は一定要件を満たす新薬などの承認審査期間を半年に短縮する仕組みで、楽天メディカルの光免疫療法は、再生医療関連の製品2品目などと並び「画期的」と認定されたのだ。

「これで世界が変わる」

 それにしてもなぜ、IT企業の楽天ががん治療法に取り組んでいるのか。それを知るには、時計の針を6年ほど戻さねばならない。

 13年9月26日、パ・リーグ首位を走る東北楽天は優勝までのマジック2で西武と対戦し、1点リードで9回裏を迎えていた。マウンドには、リリーフで登板したエースの田中将大。最後の打者を3振に切って取り、楽天は球団創設から9年目で初のリーグ優勝を果たした。

 三木谷はパレスホテル立川で喜びの記者会見を開いた。だが悲願の優勝を果たしたにしては、表情が冴えない。記者会見後、ビールかけが始まったが、三木谷は祝賀ムードに水を差さぬよう、こっそりホテルを抜け出した。駐車場で待っていた車に乗り込んだ三木谷が向かったのはプライベートジェットが待つ羽田空港。ジェットの中には、痩せ細った父・良1の姿があった。

 三木谷が振り返る。

「12年の秋に父親の膵臓がんが見つかって、治療法を探していたのです。あの時は、先端の治療を受けにアメリカにいくところでした」

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三木谷氏

 真面目な姉、兄と違って悪童だった末っ子の三木谷を放任主義で育てた良一。楽天がブランドコンセプトに掲げる「大義名分」「品性高潔」などは、起業の時に良一が贈った言葉である。経済学者の父と起業家の息子は強い絆で結ばれていた。

「現代の医療でも進行した膵臓がんには有効な治療法がほとんどなかった。それでも、親父をなんとか救いたい。『名医がいる』と聞けば全国、どこへも行ったし、英語の論文を読みまくって、海外の医者にも会いに行った。100人の医者や研究者に会ったと思う。治療を受けるため、アメリカやヨーロッパにも親父を連れて行ったこともありました」(同前)

 三木谷が良一のがんを治そうと必死になっていることは、楽天社内だけでなく業界や取引先も知っており、セールスフォース・ドットコム創業者のマーク・ベニオフなどシリコンバレーの友人たちが、米国の名医を紹介してくれたりもした。

 そんな中、日本の取引先の1人から三木谷に電話が入る。

「もしかしたら、お役に立てるかもしれません」

 電話をかけてきたのはインターネット・ショッピング、楽天市場の創業期から出店しているワッフル・ケーキ店「R.L(エール・エル)」の経営者、新保哲也だった。

 新保は建築家で、設計した家のリビングに似合うテーブルをデザインし、そのテーブルに似合うお菓子としてワッフル・タイプの洋菓子を考案したという異能の人である。「インターネットでものは売れない」と言われた頃から、三木谷と苦楽を共にしたいわば「同志」のような存在だ。

 新保によると、いとこの研究者が米国で新しいがんの治療法を研究しているのだが、その治療法が、12年に米オバマ大統領(当時)が一般教書演説で紹介したほど画期的なものらしい。

「新保さんが、そこまで言うのなら」

 三木谷は、その医師に会うことにした。三木谷と新保は、学会出席のため帰国したその医師とホテルオークラで会った。

 医師の名前は小林久隆。米国立衛生研究所(NIH)の主任研究員として、新しいがん治療法の開発に取り組んでいた。大統領の一般教書演説で紹介されたとはいえ、小林は日本ではまだ無名の存在。しかし小林の説明を聞いた三木谷は直感的に「これはいける」と確信した。

「興銀時代にインターネットと出会った時とよく似た感覚だった」

 インターネットの存在を知った時、三木谷は「これで世界は変わる」と確信し、興銀のキャリアを捨てて起業した。楽天市場を立ち上げた時も、「現物に触れられないインターネットで物は売れない」と笑われたが、三木谷には人々がパソコンの画面でショッピングを楽しむ未来が見えていたという。光免疫療法に出会った時、まさにそれと同じ感覚を覚えたのである。

 前述した通り、良一のがんが見つかってから、三木谷は世界中のがんの名医に会い、最先端の論文を読み漁っていた。がんに関する三木谷の知識量は医者と互角の議論をするレベルに達していたが、

「小林先生から聞いた治療法はそのどれとも違い、なぜ治るのか、ロジカルに納得できました」(三木谷)

抗がん剤や放射線治療の限界

 この画期的な治療法を生み出した小林久隆とはどんな人物か。

 87年に京都大学医学部を卒業し、国立京都病院(現京都医療センター)で放射線治療や、内視鏡、病理などの臨床医として勤務していた。

 しかし、医者にとって「がんとの戦い」は多くの場合、敗北で終わる。場合によっては、回復の見込みがほとんどないのに、「他にチョイスがない」という理由で患者の体に負担をかける治療を施すこともある。

「患者さんを苦しめているだけではないのか」

 小林は年間3,000件の内視鏡検査や1万件を超す放射線診断・治療・手術をこなす日々の中で、既存のがん治療に疑問を持ち始めた。

 がん治療には外科手術、抗がん剤、放射線という3つのアプローチがある。これらの治療法は日々進化しているとはいえ、がん細胞を切除、または消滅させる時、正常な細胞にも大きなダメージを与え、強い副作用が出る。体力のない患者の場合、究極的には「患者が勝つか、がん細胞が勝つか」の勝負になり、がんが消える前に患者が力尽きることも多い。

「がんに克つためには、全く新しい治療法を編み出す必要がある」

 そう考えた小林は大学に戻り、研究者の道を歩むことにした。母校京大の大学院を修了し、医学博士になった95年に、自ら売り込んでNIHに留学する。

 NIHは1887年に設立された米最古の医学研究拠点だ。傘下に国立がん研究所(NCI)など21の研究所と6つのセンターがあり、6,000人の医師、研究者と18,000人のスタッフを擁する。これまでに100人を超すノーベル賞受賞者の研究を助成。2018年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑も1991年から5年間、毎年3カ月程度NIHで研究活動に従事していた。

小林久隆 時事

光免疫療法を開発した小林医師

 小林は臨床センターフェローを経て、1年にシニアフェロー、4年には分子イメージングプログラム主任研究員に就任。ウィルスを使った遺伝子療法など様々な治療法に挑戦したものの、「患者の体に負担をかけない」「安全で簡単に施術・投与できる」という臨床医ならではの視点で研究対象を絞り込んでいく。

 そして11年に米医学誌で発表したのが光免疫療法だった。

がん細胞だけを狙い撃ち

 研究の始まりは「がん細胞を光らせる」ことだった。正常細胞を傷つける既存の治療法を超えるには「がん細胞だけを正確に壊す必要がある」と小林は考えた。そのためには、まずがん細胞が可視化できなければならない。小林はがん細胞だけにくっついて光る化学物質を探した。幾つかの候補物質が見つかる過程で、頭にあるアイデアが閃く。

「がん細胞だけが光っているのだから、光化学反応(物質が光を吸収して起こす反応)を利用して、がん細胞を壊すことはできないか」

 小林の思考はさらに進んでいく。

「がん細胞そのものを光らせるのではなく、光をがん細胞に当てて、そのエネルギーでがん細胞を壊すことはできないか」

 がん細胞だけを選択的に消滅させる。全く新しい治療法への道が拓けた瞬間だった。

 やがて開発されたのが、がん細胞(抗原)の表面にある突起物だけに結合する特殊なタンパク質(抗体)に、近赤外線に反応する光感受性色素「IRDye® 700DX」を混ぜた複合体だ。この複合体を静脈に注射すると、全身を駆け巡った抗体が、がん細胞を見つけてドッキング。そこに近赤外線を当てると、IRDye® 700DXが反応し、細胞膜を傷つける。その傷口から水が入り、がん細胞はものの1、2分で膨張し、破裂するのだ。

本誌10月図表_近赤外線免疫療法_page-0001

「近赤外線光線はテレビのリモコンで使う光線で人体には無害。抗体もタンパク質なので、がん細胞以外の正常細胞は傷つけません」(小林)

 皮膚がんや頭頸部がんの一部のように患部が体表面に露出しているがんの場合、ペンライト型の光源で光を当てる。深部がんには円筒型の光源を使うが、楽天メディカルではCTガイドや超音波ガイド下で患部に針を刺入する方法を開発している。

オプジーボの弱点も補える

 実は光免疫療法には、もう1つの効果がある。ターゲットのがん細胞を破壊した後、患者の体に大きな変化が起こるのだ。

「我々が開発した治療は、がん細胞を『キレイに』壊します」(小林)

 がん細胞を「キレイに」壊すと何が起きるか。

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