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【紀州のドン・ファン怪死】妻の緊急逮捕と泥沼化する「十三億円遺言書」係争

紀伊半島南西部に位置する和歌山県第2の都市・田辺市。貸金業を営む資産家の野﨑幸助氏が怪死したのは、2018年5月24日のことだ。享年77。好色家を自任し、伝説上のプレイボーイになぞらえて「紀州のドン・ファン」の自叙伝もある野﨑氏は、その晩、自宅2階の寝室のソファで、全裸のまま事切れていた。その体内からは致死量を超える覚醒剤成分が検出され、和歌山県警は、ただちに捜査を開始する。 そして事件から約3年後の4月28日、事態は急展開を迎える。和歌山県警は、殺人と覚醒剤取締法違反の疑いで野崎氏の妻、須藤早貴容疑者(25)を逮捕したのだった。
本稿は、早貴容疑者が逮捕される直前、4月24日に校了したものである。

文・石垣篤志(「週刊文春」記者)

「あの嫁は何もせん。離婚や!」

発生当時、真っ先に関与を疑われたのが、第1発見者の妻だった。野﨑氏の3番目の結婚相手で55歳年下の由美さん(仮名・当時22)である。野﨑氏の死後、彼女が最も得をする人物だったのも事実。詳しくは後述するが、野﨑氏の遺産総額は、30億円近くあった。 その日夕刻、野﨑氏は自宅でビールを飲みながら大相撲五月場所をテレビ観戦し、午後6時過ぎに寝室のある2階へ上がったとされる。夕方に就寝、午前1時頃に起床する生活サイクルの野﨑氏にとっては、世間の深夜にあたる時間帯だ。

この間、野﨑家は夫婦2人。家政婦の幸代さん(仮名)は午後4時頃から外出し、野﨑邸に戻ってきたのが午後7時台だった。その後、1階のリビングでテレビを観ていた女性2人は、午後8時頃、野﨑氏のいる2階から物音が響いたと証言している。由美さんが夫の異変に気づいたのは、2階に上がった午後10時過ぎ。幸代さんにも知らせたうえ、自ら119番通報した。

札幌出身の由美さんは、知人を通じた縁で2017年の暮れに野﨑氏と知り合い、彼の猛アタックを受けて翌年2月8日に入籍した。東京住まいだった彼女は、結婚の条件として野﨑氏から毎月100万円の小遣いをもらい、田辺市で同居を始めたのが4月以降のこと。だが、気の短い野﨑氏は、周囲にこう言い始めた。

「あの嫁は何もせん。離婚や!」

死亡する直前、野﨑氏は早くも別の女性に熱を入れ揚げていた。当の由美さんとて、金に困らない野﨑氏とは、割り切った夫婦関係を演じていたに過ぎない。夫の死後、出演したテレビ番組では、入籍した理由として経済的な側面を挙げている。

入籍から105日で未亡人となった由美さんに加え、野﨑氏と腐れ縁の間柄にあった幸代さんも、直後は疑いをかけられた。和歌山県出身の幸代さんは、六本木でクラブママをしていた約30年前に野﨑氏と知り合い、後に同氏の会社で取締役を務めた側近の一人でもある。

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野﨑氏と須藤早貴容疑者

原点はコンドーム販売

遺体発見時、自宅に居合わせた妻と家政婦の2人は、ともに身の潔白を主張。一方で当夜、防犯設備の整った野﨑邸に第三者が侵入した形跡も見当たらなかった。

喜寿を迎えた老富豪の身に何が起きたのか。野﨑氏が経営する会社の元監査役で、40年来の友人だった沖見泰一氏が偲ぶ。

「(野﨑)社長は勝手気ままで破天荒なところはありましたけど、根は寂しがり屋でね。どこか憎めない人でした。なぜあんな最期を迎えてしまったのか。無念でなりません」

野﨑氏は1941年、田辺市の小さな酒屋の家に、7人きょうだいの3男として生まれた。貸金業、酒類販売業を軸として莫大な財産を形成した御仁だが、事業の原点はコンドームの訪問販売だった。

「子供がたくさん生まれた昭和の30、40年代は、各家庭で避妊具が飛ぶように売れたそうです。スキンがまだ高価で、薬局にしか置いてなかった時代。社長は小柄で愛嬌がありましたし、軽妙な売り文句で主婦の心を掴み、歩合で大儲けしたんだと。それを元手に、30代で金貸しを始めたんです」(同前)

貸金業登録をした野﨑氏は、地元の和歌山を皮切りに、三重、大阪を経て、約30年前に東京進出。丸の内のオフィス街を中心に、連絡先が書かれたポケットティッシュを自ら配り、顧客開拓に勤しんだ。

「官公庁の役人や一流企業勤務のサラリーマンを主な貸し付け対象にしていました。彼らは身元がしっかりしているし、保証人を取らない代わりに、公正証書を作成する。契約が成立すれば『この度はお借上げいただき、ありがとうございます』と一筆を添え、債務者に紀州の梅干しを送り届けるのです」(同前)

一方で、回収は苛烈を極めた。野﨑氏の会社に勤務していた元従業員の男性が明かす。 「取り立てはまるでVシネマに出てくる悪徳金融業者のようでした。催促は3段階あり、最初は『返済をお忘れではないですか』と優しい警告。次は言葉がきつくなり、最後は『金返せ、ドロボー』と。そう書かれた紙を束で用意し、債務者の家の窓に、何十枚と隙間なくビッシリと貼り付けるんです。利息は法定金利の目一杯でしたが、儲けは延滞遅延金が大きかった。そちらの方がはるかに金利は高く、それを取り立てることで利益を出していました」

ヤクザ相手にも一歩も退かず、野﨑氏は着々と財を成していった。本人の自己申告ベースだが、ピーク時は「資産が200億円あった」と豪語していたという。

しかし2010年、改正貸金業法の完全施行によってグレーゾーン金利が撤廃されると、過払い金返還請求訴訟が多発。高額返金を迫られて廃業する金融業者が続出する中、野﨑氏は最後までその流れに抗い、裁判の度に上京した。

「その度に、デートクラブを利用したり、知り合いから紹介してもらったりして、女性と遊ぶ。ナンパも積極的にやっていました。綺麗な女性を見かければ、『ビューティフルですね。デートしましょう』と。そんな調子で100人に声をかければ、1人くらいはついてくる。社長の好みはハッキリしていて、自分より背が高く、すらっとした細身の女性。1回で20万円ほどを渡していました」(同前)

野崎幸助3

ドン・ファンと呼ばれる理由

野﨑氏が世間の注目を浴びる契機となったのは、2016年2月に報じられた窃盗事件だ。野﨑氏はその約1年前、都内の高級デートクラブで知り合った自称モデルのハーフ美女(当時27)に、自宅にあった約6000万円相当の金品を盗まれた。女性の逮捕(後に不起訴)を受け、メディアの取材に応じた野﨑氏は「1億円なんて紙屑」と言い放ち、「セックスは1回あたり40万円、経験人数は軽く4桁」などと、型破りな下半身事情も赤裸々に告白したのだ。

その強烈な個性が出版社の目に留まり、野﨑氏は同年暮れに「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男」(講談社)を上梓。彼の怪死が“ドン・ファン事件”と呼ばれるようになった所以である。

野﨑氏の死因は「急性覚醒剤中毒死」。和歌山県警は「事件、事故の両面捜査」を強調しつつも、当初から殺人を念頭に捜査を進めてきた。 死亡状況から自然死、病死は除外され、他に考えられるのは、覚醒剤を用いた自殺か他殺、事故死。だが、野﨑氏が人知れず覚醒剤を使用していた可能性を、彼を知るほとんどの者が否定している。

野﨑氏は覚醒剤をはじめとした違法薬物を忌み嫌い、「あんなものを使う奴の気が知れん」と話していたという。そもそも、自ら覚醒剤を使って自死、あるいは事故死することなどあり得ないというわけだ。

Xデーは近い

加えて、野﨑氏は直後に重要なイベントを控えていた。野﨑氏が死亡する18日前の5月6日。愛犬のイブが老衰死した。彼が「全財産を遺す」と公言するほど溺愛した雌のミニチュアダックスフントだ。ほどなく野﨑氏は、南紀白浜の高級リゾートホテルにて「イブのお別れ会」を企画。6月11日の開催に向け、手あたり次第に参加者を募っていたところだった。

都内に住む知人の一人も、改めてこう証言する。

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