西寺郷太_ナインティーズ

西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」 #1

第一章
Once Upon A Time In SHIMOKITAZAWA


(1)

 下北沢ビッグベンビルの地下階段を一歩ずつ降りてゆくごとに、これまで体験したことのない異常な熱気と、自分を待ち受ける未来に対するほのかな「予感」が全身を包みこんだ。

 1995年4月22日土曜日夕刻。

 この2日後にはオアシスの〈サム・マイト・セイ〉がリリースされている。夏には彼らの人気を不動のものとした〈ロール・ウィズ・イット〉と、ブラーの〈カントリー・ハウス〉が同日発売。「ブリット・ポップ戦争」などとも言われた若きギター・バンド達の狂騒の余波が、東京で最も鮮烈に届きスパークしていた場所。それこそが、前年に開店したばかりのライヴハウス「CLUB Que」だった。僕は、今まさに、初めて訪れる噂の「聖地」に足を踏み入れようとしていた。

 10代から20代の音楽ファンでぎっしりと会場が埋まった、この夜のイベントには4つのバンドが登場。僕の目当ては、秋葉原の凸版印刷で出会ったバイトの先輩、湧井正則さんがヴォーカル、ギターを務める「STARWAGON」だった。

 4ヶ月前、つまり1994年12月末のこと。

 20代後半の派遣社員・湧井さんは、185㎝ほどの長身細身で眼鏡をかけ、ネルシャツにジーンズというスタイルで、僕がバイトを始めたばかりの凸版印刷内の「電子メディアサービス」にやってきた。大学3年生だった僕は、ほんの少しだけ先にいた都合上「先輩」ということになり、当初は彼も名字にさん付けで呼んでくれていた。しかし、食事休憩などの時間に音楽の話をし始めると、立場は急速に逆転した。

 彼は、バンドマンだった。グループの名は、STARWAGON。メンバーは、ドラムとギターが双子の上条兄弟。そしてベーシストは、僕よりたったひとつ年上なだけ、22歳の林ムネマサ。上条兄弟は、すでに女性ヴォーカルを擁した「ロコ・ホリデイズ」というギター・バンドで一度デビューしており、解散後に組んだのが STARWAGON 。湧井さんは当初、ベースとヴォーカルを担当していたが、演奏のバリエーションを増やすため、若い林をベーシストに誘い、自分はギタリストにスイッチしたばかりだという。僕はベースもろくすっぽ弾けないのに、最近加入したという会ったこともない林に嫉妬するほど、音楽知識が異常に豊富で人心掌握術にも長けた湧井さんに心酔し始めていた。

 プロ・ミュージシャンになる、という小学生の頃からの夢を抱いて、故郷の京都から上京してから約3年。

 その当時の僕は、絶望の淵にいた。入学した早稲田大学で「トラベリング・ライト」なる音楽サークルに入り、そこで「幹事長」という代表者の役割にもついたが、結局サークル活動を終えるまで理想のバンドは組めずじまいだった。

 大学生のミュージシャンが行うライヴは、ほとんどが内輪の仲間がオーディエンス。ライヴハウスを貸し切り、40人くらいがその場にはいるが、それはあくまでもサークル内で順番に見せ合っているだけ。クラスの友達などに頭を下げて、観にきてもらうことも多かったが、一度目は楽しんでくれていても何度もは来ない。またライヴに誘われるぞとあからさまに逃げ腰になる者もいた。学生の組んだバンドなどそんなものだとも言えるが。

 作詞作曲と歌が担当だった僕が仕切っていたバンドの名前は「Slip Slide(スリップ・スライド)」。それとて、各楽器のメンバーに毎回イベントやライヴのために頼みこんで活動する始末。意を決して、Mr.Childrenや、SPITZ、THE YELLOW MONKEYなどの人気バンドを輩出した老舗、渋谷La.mamaが昼間に行っているオーディションも受けたが、店長から厳しい助言をされ夜の部に昇格出演することは出来ずに空中分解。結局、僕一人が頑張って「バンドのような形」を守っていただけでしかなかった。サークル活動を「幹事長」任期満了で終えた後、僕は「Slip Slide 最後のコンサート」を告知するために作ったポスターをきっかけに、ある人物から電話をもらう。彼に誘われ、秋葉原でデザインや雑務を手伝うバイトを始めていた。

 職場に颯爽と現れたインディ・ギター・バンドのリーダーが、湧井さんだった。彼と一緒になってから、僕はバイトの休み時間が楽しみで仕方がなかった。湧井さんの語る言葉、特に1970年代や1990年代の僕が知らなかった宝石のような音楽達、そして様々なバンド界隈のシチュエーション、そのすべてに僕は魅了されてゆく。

 決定打は、出会ってから数週間経った後に彼が、「俺らのバンドのCDは……」と言ったことだ。湧井さんは意地悪な部分もある性格で、敢えて僕が衝撃を受けるベストな瞬間を見計らっていたのだと、今になれば思う。もしも僕が逆の立場ならば、出会った若者がミュージシャン志望だとわかれば即座に「俺、CDも出してるよ、聴いてみてよ」と言うだろう。しかし、湧井さんは熱く自分の夢を語る僕に対して、溜めに溜めてから弾丸のようなその一言をトークに織り交ぜたのだ。

「え? 今、なんて言いました?」

 僕は聞き返した。

「いや、俺らのバンドのCD?」

「CD出してるんですか!?」

「そうだよ」

「なんなんですか!どこに売ってるんですか!早く教えてくださいよ!帰りに買いに行きます!なんなんですか!」

 僕は、発狂寸前。声のトーンは甲高く上がっていたことだろう。正直、その時の感情は怒りにも似ていた。この人は僕の心を完全に弄んでいる、と。自分の直接話している人が、CDをリリースしているなどという経験はそれまで僕にはなかったのだから。

「で、湧井さん!STARWAGON のCDは、どこに売ってるんですか?」

 湧井さんは、僕の反応が予想通りだったことに満足したのか笑いながら「まぁ、落ち着けよ、ゴータ」と、まず言った。そして、一呼吸置いてからこう告げたのだ。

「池袋のタワーレコードなら、売ってるんじゃないかなぁ?」

(続く)

★今回の1曲――Oasis-Some Might Say(1995)

(連載第1回)
★第2回を読む。

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としても少年隊、SMAP、V6、YUKI、鈴木雅之、岡村靖幸、私立恵比寿中学などの多くの作品、アーティストに携わる。
日本屈指の音楽研究家としても知られ、近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。代表作に小説『噂のメロディー・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)など。
現在NHK-FMで放送中の「ディスカバー・マイケル」に案内役としてレギュラー出演。


【編集部よりお知らせ】
文藝春秋は、皆さんの投稿を募集しています。「#みんなの文藝春秋」で、文藝春秋に掲載された記事への感想・疑問・要望、または記事(に取り上げられたテーマ)を題材としたエッセイ、コラム、小説……などをぜひお書きください。投稿形式は「文章」であれば何でもOKです。編集部が「これは面白い!」と思った記事は、無料マガジン「#みんなの文藝春秋」に掲載させていただきます。皆さんの投稿、お待ちしています!

▼月額900円で月70本以上の『文藝春秋』最新号のコンテンツや過去記事アーカイブ、オリジナル記事が読み放題!『文藝春秋digital』の購読はこちらから!


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

サポートありがとうございます。もっともっと面白く、クオリティが高いコンテンツを作っていけるよう、頑張ります。

ありがとうございます!
123
シェアしたくなる教養メディア。100年近くの歴史がある総合月刊誌「文藝春秋」が、あなたの人生を豊かに彩るコンテンツを毎日お届けします。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。