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ノーベル物理学賞・小柴昌俊さん 94歳で逝去「私の教師時代」

2002年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上はじめて自然発生したニュートリノの観測に成功したことにより、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊東京大学特別栄誉教授が、11月12日夜、老衰のため亡くなりました。享年94。

学生時代には、学費と生活費を稼ぐために、あらゆるアルバイトに精を出し、東大大学院在学中には、当時横須賀市にあった名門・栄光学園(現・鎌倉市)で中学生に物理を教えたこともあるという小柴さんの若き日の素顔を紹介した手記を、追悼の意を込めて掲載します。(出典:「文藝春秋」2012年10月号「正解のないテスト」)

©文藝春秋 20040506BN03360

小柴昌俊さん

◆ ◆ ◆

わたしがアルバイトをするようになったのは、1945年4月、旧制第一高等学校に入学してからです。父は陸軍の職業軍人として中国におり、敗戦してからは捕虜になりました。一家は、生活の糧を失ったわけです。

姉とわたしで、母と弟二人の生活費から学費まで、すべてを稼がねばなりません。せっかく一高に入れたのに、勉強どころではなかったのです。

姉は洋裁の仕立て、わたしは家庭教師と肉体労働。一高の寮には、「家庭教師求ム」の張り紙や申し込みがうんとあったので、仕事には困りませんでしたね。小学生や中学生相手に、理科、英語、数学、なんでも教えました。日本全体が貧しかった時代ですから、家庭教師といってもアルバイト料は高くありません。嬉しかったのは、晩ごはんを出してくれたときです。ほとんど具のない“塩すいとん”であっても、いつもお腹を空かせていたわたしにとっては、アルバイト料と同じくらい魅力的でした。

敗戦の翌年に入水自殺した詩人の原口統三は一高の同窓で、一緒に横浜の波止場に米軍の荷揚げ人足のアルバイトにいったことがあります。後に大蔵省事務次官から日銀総裁になった松下康雄と出版社で働いたこともあります。一高の伝手にはほんとうに助けられました。

1948年、わたしが東京大学理学部物理学科に入学した年に、捕虜になっていた父が帰国。とはいえ公職追放の身で職に就けず、アルバイト生活は続きます。学校に通ったのは、週に1日半といったところでしょう。

わたしは折に触れて、「東大をビリで出た」と言います。全16教科のうち、「優」は「物理学実験第一」と「物理学実験第二」のふたつだけ。当時も、今と同じように成績評価は甘かったから、「全優」で卒業する学生なんていくらでもいました。成績がどん底でも、必修の「実験」だけはきちんと出席していたこともあり、東大大学院に進むことになりました。当時は就職難の時代でしたし、入試などない時代で、先生が「じゃあ、僕の研究室においでよ」と言ってくれれば、成績が悪くても大学院に入れたんです。それでも、よくこの成績で研究室に入れたものだとは思いますけどね(苦笑)。

©文藝春秋 20040707BN00097

研究者になってからも、相変わらずお金はなく、成績が悪くて奨学金も貰えない。

その頃わたしは、信徒でもなんでもないのに、横須賀市田浦町にあったキリスト教の教会の寮に下宿していました。ちょうど田浦町に創設されたばかりの栄光学園も、ミッション・スクールでした。そこで「中学生に物理を教えてくれないか」と依頼が舞い込み、喜んで引き受けたのです。

ありとあらゆる家庭教師をしてきたわたしです。1クラス40名程度の男子生徒を相手に週2日程度、物理の基礎を教えるのに、気負いや衒いがあるはずもありません。それにもともと子どもと遊ぶのが好きで、高校・大学時代から近所の子どもたちを写生やピクニックに連れていったりしていたぐらいですから、1年半に及んだ栄光学園での臨時講師は、とても愉しかった記憶があります。

「この世に摩擦がなかったら」

授業は口頭での講義が主体でした。というのも、わたしは中学1年の頃、小児マヒを患ってしまい、その後遺症で右腕がやや不自由で、板書が得意ではなかったからです。しかし積年の家庭教師のアルバイトで、口頭で説明するコツは会得していましたから、最小限の板書でも、わかりやすい授業ができていたと思います。

生徒からは「ロクさん」と呼ばれていました。ノーベル賞を受賞してから知ったのですが、なんでも国語の教科書に載っていた小説の登場人物の名前で、奇行の持ち主だったらしい。授業を聴かない生徒に、チョークをバンバンぶん投げたりしていたらしいのですが、そんなのあの頃は当たり前だったから、いったいわたしはどんな奇行をしたんでしょうね(笑)。

一方、鮮明に覚えているのは、ある期末試験の問題です。

「もしこの世に摩擦がなかったら、どうなるか。記述せよ」

さて、皆さんならどう答えますか?

正解は、「白紙回答」、答案用紙に何も書かないのが合格です。なぜなら世界に摩擦がなかったら、鉛筆で文字を書くことができないからです。

©文藝春秋 20061019BN00343

なぜこんな問題を出したかというと、生徒が自由に考え、アイディアをひねり出すきっかけになるはずだからです。暗記や計算も大事ですが、学ぶことの第一歩は「愉しい」と感じられることです。

たとえばいまの中学生には、どんどん理科の実験をしてもらいたい。実験をすると、「こうしたらどうなるんだろう?」と能動的に考えられます。あの頃の栄光学園は戦後間もない設備不足もあって、実験授業はあまりできなかったのですが、いまの子どもたちには自ら試行錯誤する喜びを少しでも多く体感してもらいたいと願います。

さて、先ほどの期末試験の結果です。一所懸命考えた回答はたくさんありましたが、正解の「白紙回答」はたしか3名くらいでした。もっとも、その中には、何も考えが浮かばず、文字通り「白紙」で出すしかなかった生徒もいたかもしれませんねえ(笑)。

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