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中国はマスメディアでもリープフロッグしている / 野口悠紀雄

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※本連載は第8回です。最初から読む方はこちら。

 中国では、新聞や書籍などの紙メディアが普及する前に、インターネットで情報が伝達される社会になりました。こうした社会における世論形成は、どのように行なわれるのでしょうか? それは、インターネットの利用が広がる日本においても、重要な問題です。

◇中国は、紙メディアを飛び越えてインターネット社会になった

 これまで、中国でインターネットが重要な役割を果たしていることを見ました。すなわち、
(1)固定電話でなく、インターネットによる通信が主として使われる
(2)実店舗でなく、インターネット上のeコマースで買い物をする
(3)キャッシュでなく、電子マネーが使われる

 これらの分野において、中国は、日本や欧米諸国がたどった発展経路を経験することなく、リープフロッグによって一挙にインターネットの世界に飛び込んだのです。

 似た現象が、マスメディアにおいても見られます。

 中国のマスメディアの環境は、日本や欧米諸国のそれとは大きく異なるものです。

 とくに顕著なのは、紙メディアがほとんど発達していないことです。

 そして、紙メディアを飛び越して、いきなりインターネットが全国的メディアとして主流になりました。

 日本や欧米諸国でも、紙メディアは衰退傾向にあり、主要メディアが徐々にインターネットに移行しつつあります。しかし、中国では、最初からそのような状態だったのです。

◇新聞は一人当たりで日本の20分の1。しかも官営

 このことは、新聞において顕著に見られます。

 日米欧社会では、これまでマスメディアの代表は民間の新聞であり、世論形成と民主主義の形成に重要な役割を果たしてきました。

 日本新聞協会の調査によると、2018年における日本の新聞発行部数は、一般紙が3682万部です。前年に比べて約194万部の落ち込みになったものの、スポーツ新聞と合わせた発行部数は約4000万部で、1世帯あたり購読部数は0.7部です

 全国紙といわれる読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞の5紙を合計すると、2500万部程度になります。

 中国の場合、地方紙を含めた全容を把握するのは困難なのですが、全国的な規模の日刊紙の状況は、つぎのとおりです。

 中国最大の日刊紙は、国営通信社である新華社が発行する「参考消息」で、発行部数は350万部程度。

 中国共産党中央委員会の機関紙である「人民日報」は、発行部数が300万部程度。

   「人民日報」傘下の「環球時報」が 250万部。

 その他、主要なものを合計した全国紙の発行部数は、2000万部程度ではないかと考えられます。

 したがって、全体で日本の半分程度。1世帯あたりで見れば、日本の20分の1ということになります。

 しかも、中国の主要日刊紙のほとんどが、共産党やその関連機関が発行する新聞です。いわば官営新聞であり、日米欧のような民間の新聞とは、かなり性格が違います。

◇書籍も一人当たりで日本の20分の1未満

 書籍でも同様の傾向が見られます。

 出版科学研究所によると、日本の2018年における紙の出版物の推定販売金額は、1兆2921億円です(ピークだった1996年には、2兆6563億円でした)。

 それに対して、JETROの資料によると、中国の実店舗での書籍販売額は、2016年で336億元です

 1人民元=15.4円で換算すれば、5174億円ということになります。

 したがって、一人当たりで見れば、日本の20分の1未満ということになります。

 つまり、中国は、新聞や書籍という紙媒体の情報伝達手段の時代をリープフロッグして、インターネットとスマートフォンの時代に突入したと見ることができます。

 そして、社会的な情報伝達の手段としては、すでにSNSが主役になっているように見受けられます。

 WeChat(微信)、QQ、Weibo(微博)などのSNSが広く使われています。

 最近では、iQIYI(愛奇芸)、 Youku(優酷・优酷)、テンセントビデオ(騰訊視頻)などの動画SNSも広がっています。

◇SNS中心社会の世論形成は、どのように行なわれるか?

 以上で見たことは、中国の政治体制にとって重要な意味を持つと考えられます。

 私たちは身の回りの情報環境に慣れてしまっているので、それとは全く違う社会があることを、なかなか想像できません。

 中国の情報環境の実態がどうなっているかはあまり伝えられていないのですが、社会の構造にとって大変重要な意味を持っているはずです。

 多数の民間新聞の存在が、民主主義社会の形成に重要な役割を果たしてきたことは疑いありません。

 それが存在しないに等しい中国の場合、世論形成は、一体どのようになされるのでしょうか?

 SNSが社会的情報伝達の重要な手段である社会では、共通の認識、共通の倫理観、 共通の価値観は、どのように形成されるのでしょうか?

 何が重要なニュースとして伝えられ、それを誰が判断するのでしょうか?

 2年ほど前に、テンセントが開発した会話ボット「Baby Q」が、「中国の夢とは何か?」という質問に対して「アメリカに移住すること」と答えて、問題になりました。

 これは、会話ボットの教育に用いられた中国のSNSで、そうした考えが多数流されていたからでしょう。

 このように、中国の現状に対する批判メッセージは、SNSでも隠れた形では交わされていると考えられます。

 中国の場合にインターネットに対して強力な検閲がなされているのは事実です。しかし、新聞のような集権的メディアに比べて、SNSのコントロールが難しいのは事実ですから、インターネットとSNSが普及している中国において民主化が進まないのは、不思議な現象だと言わざるを得ません。

 将来、どこまで現在のような共産党独裁体制を続けることができるのか?AIによって情報統制をさらに強化することができるのか? それとも、いずれ、インターネットは民主化のための基本的な道具となるのか?
 これらは、重大な問題です。

◇日本でもメディア環境は大きく変化している

 インターネット利用の広がりによって、日本でも状況は変化しています。

 暫く前までは、電車の中で新聞や本を読んでいる人がほとんどでした。しかし、いまではスマートフォンを見ている人がほとんどです。
 また、町から書店の姿がどんどん消えています。

 世代の間にも大きな差があります。

 若い世代は、新聞を見ないのはもちろんのこと、テレビも見なくなっていると言われます。

 こうなると、違う世代は、お互いに関わりのない別の世界に生きているようなことになってしまいます。

 日本社会も、知らぬうちに変質しつつあるのかもしれません。

 仮に、SNSが主要なメディアになる社会が政治的には全体主義的になるという傾向があるとすれば、それは日本においても無視しえない問題です。

(連載第8回)
★第9回を読む。

■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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