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石原慎太郎 文藝春秋と私の青春時代
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石原慎太郎 文藝春秋と私の青春時代

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私は文藝春秋の揺籃で生まれた「文春子」だ。/文・石原慎太郎(作家)

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石原氏

野蛮な寮での生活

青春時代という人生の花の季節を何をもって規定するかは、やはり自我が形成され、自意識が芽生え、俺は俺なんだという意識の自立が形成される大学生の頃がその発端に違いない。

それは人によってまちまちだろう。しかし多くの優れた友人や学問による啓発、貧しい中での放歌高吟の快楽。それらは貧乏なるが故に高揚され、思えば他愛なくとも、濃く深い快楽をもたらしてくれたものだ。

そしてこれから迎える希望と憧れを育んでくれたものだ。私が在室した粗末極まりない北寮の玄関の入り口の上の白い壁に誰かが逆さ釣りにされながら思い余って書き記した「ああ、悦ちゃん」という落書きこそ、誰にとっても青春の憧れと夢のシンボルだった。それに付け込んで、私が部屋の板壁に若い全裸の女性を描き、「汝、我らが視姦に耐える永遠の処女よ」と記したら噂になり、留守の部屋に入り込み、密かに自慰する者まで現れたものだった。

そうした思いもよらぬ野蛮な寮での生活は私の元々ひ弱で過激な神経を立て直してくれた。

私の志望は京都大学の仏文だったが、弟の放蕩のせいで家が傾きつつある時、それを案じた父のかつての上司で山下近海汽船社長の二神さんから将来どこの大学に行くつもりかと質され、京都の仏文と答えたら一蹴され、文学部など出てもろくな給料は貰えない、家族を養うために最近できた公認会計士なる仕事を選べ、これなら最低20万の収入になる、君なら出来る、とそそのかされ、京都で憧れのジッドやサルトルに耽溺する代わりに、一橋大学で会計学や簿記なんぞにまみれる羽目となった。考えてみれば私が京都を受けていたなら大方合格はしなかっただろう。当時の京都の仏文とは日本一狭き門で、高校時代から趣味で独学していた私のフランス語の力では太刀打ちできなかった。その後の推移結果から見れば、私の会計や簿記の知識は後年都知事として瀕死の財政立て直しには役に立ったと言えそうだ。人生何があるかわかったものでありはしない。

その証の一つに互いに貧乏を凌ぎあって過ごした、ある意味では兄弟にも近かった寮友のその後はわが事のように気になるのだが、4人部屋の一人山崎は一冬一俵とあてがわれていた米俵の俵をある時その日の寒さに耐え兼ねて、火鉢に立てて火をつけたのはいいが、俵は火柱になって燃え上がって横倒しに崩れ、それに手を出し大火傷した後、手の使えぬ彼のために食事はいつもこの私が箸で口元に運んで助ける羽目になった。

もう一人の平川はまだ50代の若さで癌で死んだ。4人部屋の最後の鈴木輝彦は男も惚れる気の良い男だった。当時から珍しい長髪の柔道選手で、その男気、芯の強さに私は惚れて、もし私に妹がいたらこんな男と結婚させたいなと思うくらいの男だったが、富士製鉄で上司と衝突して明らかに非のある相手を殴ってしまい、退社の羽目に陥ってしまった。学生同士の仲なら通じる意気込みも世間ではということか。彼の直情のもたらした悲劇と言うしかない。

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若かりし頃の石原氏

シャンソンを歌って担任を驚かす

私の大学時代は、基本的には貧しくはあったが、財政的には余裕があった。2年生の4月に念願の奨学金の交付が決まり、毎月かなりの金が労せずして懐に入るようになった。

加えて、学費免除なる制度があるのに気づいて、担任の根元先生に父が急逝した後の母子家庭と訴えたらこれまたすんなりまかり通り、何のことは無い私はただでどころか学校からお金をもらいながらの通学と相成った。

これは私の優秀さの証なんぞではなしに、数少ない学生たちの平均的裕福な証でしかない。

それに担任の根元先生には、この私に一目置かぬ訳にはいかぬいきさつがあった。それは、クラスとその担任の先生が決まり、それぞれ自己紹介のクラスコンパの席で私がいきなりティノ・ロッシの「再会」というシャンソンを歌ってみせたせいだった。

仲間の学生はまだフランス語のABCもわからぬ筈なのに、実はその歌は根元先生がフランス留学中に大流行したもので、噂では先生の父親も先生で優秀な人物らしいが、息子の彼は身を持ち崩してろくな勉学もせず帰国後も父親の威光のお陰で大学に籍を置いていたそうな。

その彼が放埒で我が身を持ち崩していた頃の流行歌を、初めて会った学生が歌ったのだからたまげたろう。

その後、密かに呼び出され先生から問われて、京都大の仏文の落ちこぼれと打ち明けた。それ以来先生から一目置かれるようにはなった。学費免除といえば、よほどの秀才に聞こえようが実はそんなところだった。

わが貧乏体験

貧乏の功徳は食べ物の味わいに敏感になる事で、若者が好むスイーツに関して、今の私は昔の苦労の余韻できわめて敏感で、値段やその見てくれに騙されることは無い。故に虚名を馳せているレストランに誰かに招かれた時にも、忌憚なく料理の非難をして顰蹙を買うことがしばしばだ。

そんな時、私もかつての貧乏体験を思い出し、自分を勇気づける。あんな体験はめったに味わえるものでありはしない。

ある時どうしても甘いものが欲しくなり、手元の15円の金で何を買うか迷いに迷った。一番の美味のカレーパンは高くて1個12円。他のジャムやクリームはそれぞれ10円。1番の魅力のカレーにすると、残りの3円では行き止まりで、迷いに迷った末に無難に並みのジャムパンですませた。

あの頃の貧乏の凄まじさを明かす良いエピソードがある。ある寮生がひもじさに耐え兼ねて購買所に行きキャラメルをバラで5個買い求めた。対応した購買部の女性職員が哀れんで、5個のところを気を利かせて2つ余計に7個袋に入れて渡してくれた。その男は部屋に戻って袋を開けて見たら7つ中身があるのに気付いてあの女の子は俺に気があると涙して得意気に言いまわっていたものだ。

他愛ない話だが、あの時代を物語るいい話だ。今の若者が聞くと物笑いにするだろうが、そうした体験の人生における意味や価値を知ることは他に掛け替えはありはしまい。

大学寮における化け猫との戦い

あの時代の空腹を越えた、凄まじいひもじさを表象していたのは、男同士が行き合った時の挨拶が「やあ」でも「おっす」でも無しに、ただ「消耗だ」と言う慨嘆だったことだ。腹を空かせていたのは人間だけではない。貧しい寮に居付いた大きな猫は、部屋に忍び込み食えるものは何でも食い散らしその被害は甚大だった。噂では、ある時犬の死体を食べていたそうな。とにかく人間も獣も飢えていた。

ある時、何とかして捕まえたその猫を学生食堂の飯を炊く釜の中に追い込み、水をはった大鍋を被せて、火をつけ中で焼き殺そうとしたら、何と中で暴れて水を張った大鍋を中から持ち上げ、強引に抜け出して逃げおおせた。

以来、人間対化け猫の戦いは続いていたが、ある時誰かうまい罠を仕掛けてこの天敵を虜にできた。恨み重なるこの宿敵をどうするかと議論の末、殺してみんなで食べるという事になった。

私はその日幸い鎌倉で家庭教師のアルバイトがあり、寮に戻った時はあの化け猫を煮て食べた後で、宴会は終わっていた。その残骸のギトギトした油の浮いた鍋を見せつけられ、仲間は人間勝利の宴会に間に合わなかったのを惜しんでくれたが、鍋の中身と誰かが剥いで壁に張り付けたあの化け猫の生皮を見て、正直私はこの野蛮な宴会に遅刻したことにほっとしていた。

後で聴いたらあの怪物を始末するのに並みの手口では済まないので、誰かが持ち込んだ砲丸投げの砲丸で頭を打ち殺したとか。飢えの恨みを晴らすにしても、だ。

それから暫くしてからの秋口に思いがけぬ誘いを受けた。話を持ち込んだのは同じクラスの西村(潔)という日頃寡黙な目立たぬ男で、彼がなぜ私を選んだのかはよくわからない。

しかし、大袈裟に言えば彼との出会いが私のその後の人生を決めたとも言えそうだ。1年上の4年生の中に今を時めく伊藤整とか評論家の浅見淵(ふかし)たちでやっていた「一橋文藝」を復刊させようという動きがあるので、気が向いたら俺たちも参加してみないか、という持ち掛けだった。

湘南高校時代、同窓の江藤淳とか今日出海の娘たちがひとりよがりの同人雑誌を出していたこともあり、退屈凌ぎには好ましいと参加を決めた。思えばあれは私の人生の糸口と言えたろう。

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江藤淳

伊藤整との幸運な出会い

試しに私を誘った西村は驚くほど事の実現のために緻密で、同人雑誌再興に必要な資料を準備し、資金調達の依頼先の調査では、かつての同人の先輩たちの現住所を調べ上げてくれたものだった。そして、後に彼を見直したのは、日頃会話の中で私の良く知らぬユングとか、臨死体験を踏まえて新しい哲学を提唱しているキューブラー・ロスについて精通していたことで、啓発される事が多かった。しかし先輩の中にはもろ手を挙げて賛成してくれるような、功なり名とげた人は乏しいものだった。

誰よりも先に応じてくれたのは、売れっ子の伊藤整氏で、

「僕は商業学校の学生が文学をやるのはあまり感心しないなあ」

と言いつつも奥さんを呼んで気前よく玄関先で即座に1万円を出してくれた。

その当時伊藤さん自身は愚につかぬ猥褻問題の裁判で煩わしい思いをしておられた最中で、それを思い起こすと恐縮に耐えない。不倫で結ばれた大人2人が満ち足りた性愛の末に近くの草むらで咲いていた花を取って女の性器に挿して飾るという行為は、人間の本能のもたらしたものであって、それを読んで受ける感動を猥褻としてくくるのは卑しさであって、翻訳を手掛けた者の知性をいささかも損なうことでありはしまい。世界中が驚き注目したあの愚劣な裁判は、世界中の失笑と軽蔑を買ったものだった。

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