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なぜピカチュウは町田で生まれたのか 門井慶喜「この東京のかたち」#19

★前回の話はこちら。
※本連載は第19回です。最初から読む方はこちら。

 東京都は、東西に長い。

 その東のどんづまりの猫のひたいに23区がつめこまれているため(離島はここでは考えない)、中西部は、面積的には圧倒的大部分を占めるにもかかわらず、 

――その他大勢。

 的なあつかいをしばしばされる。

 なかでも町田はひどいもので、八王子や立川や三鷹やあきる野と同様、東京都に属することはまちがいないのに、しばしば住民みずからが、

「俺たち、神奈川県民だし」

 などと言うという。むろん冗談または軽い自虐なのだろうが、地図の上で見てみると、たしかにその市域は、

 ――町田半島。

 とでも呼びたいほどに南へぐいと張り出している。

 神奈川県にくいこんでいる。領土問題(?)も発生するわけだ。もっとも、そんなことを言いだしたら武蔵国そのものが古代においては中途半端な存在だったわけで、称徳天皇のころ、宝亀2年(771)には奈良の朝廷が、武蔵国を、

 ――東山道から、東海道へ編入すべし。

 という命令を出している。

 ここでの「道」は街道ではない。北海道の「道」とおなじ地域区分である。だいたいのところ現在のJR中央本線沿線地域から東海道本線沿線地域へ移籍させられたわけで、朝廷からすれば、まあ、

 ――どっちでもいい。

 そんな辺境国の問題にすぎなかったのだろう。なお当時、武蔵国は主都(国府)が現在の府中にあったから、その文明の度は中西部のほうが高かった。東部は文明の度が低いという以前に、そもそもたいてい海の下だったはずである。東京都はむかしは地形的にも、文明的にも西高東低だったのである。

 江戸時代になると、おなじ中西部でも八王子、日野、内藤新宿(現在の新宿)といったような甲州街道ぞいの街はにわかに精彩を放つようになった。人の往来の多さもそうだけれど、住民たちの心理としても、街道を行けばじかに江戸へ、あるいは江戸城へ、ぶつかる感じが自慢だったのである。

 将軍様の準「おひざもと」。たとえば幕末に、近藤勇、土方歳三、沖田総司といったような新選組の連中がそこから出るのは偶然ではない。彼らが生まれる以前から、これらの街は、そもそもが首都の防衛前線といったような自覚の空気が濃厚だったわけで、新選組はただその空気に忠実だったにすぎないともいえる。町田はそれとくらべると、甲州街道にも遠く離れ、江戸とも離れて、一貫して歴史上の重要人物を輩出することをしなかった。

 ただの農村でありつづけたのである。近代に入っても事情は変わらず、昭和2年(1927)4月に小田急線が開通したことでようやく少しずつ都心への通勤者が住みつきだしたという程度だから自然もふんだんに残っていた。町田にほんとうに開発の手がのびたのは、戦後、昭和30年代からである。

 高ヶ坂団地、森野団地、木曽団地、鶴川団地、境川団地……それらの大規模開発のおそらくまっただなか、昭和40年(1965)に、田尻智(さとし)は生まれた。のちにロールプレイングゲーム「ポケットモンスター」を創り出し、世界的な人気を獲得することになる彼の目には、町田はこのように変化していたのだ。

 ザリガニとかクワガタが捕れてた山が、半年とか一年の間に発破でボカーンと崩されて崖のようになって。

 あるいは、

 そういうザリガニを手づかみで捕るような場所もあったんだけど、それが1978年を境に、ほとんど新興住宅の宅地造成が完了する。田んぼも雑木林もみんな住宅地になって、近所の釣り堀がゲームセンターになるっていう。

 引用は『田尻智 ポケモンを創った男』(2009、メディアファクトリー)より。インタビュアーは宮昌太朗。

 もっとも、このとき田尻少年はまだ中学生くらいで、懐旧の情にひたる年ごろではない。新しいゲームセンターができたらできたで、熱心に通いだし、ゲームの世界にのめりこみ、そのあげく仲間たちと「ゲームフリーク」という同人誌を出したのである。

 なーんだ同人誌かとあなどるなかれ。そのころ宇都宮に住んでいた、田尻よりも6つ年下のゲーム好きの小学生(私です)でさえその名を知っていて、

「いっぺん、見てみてえなあ」

 などと言っていたほどの伝説的な存在である。田尻はやがてゲームそのものの開発に手をそめるようになり、数作を世に出したあと、

 ――満を持して。

 というような感じで、いわゆる初代「ポケットモンスター」を出したわけだ。

 正確にはゲームボーイ用に2作同時発売された「ポケットモンスター赤」「ポケットモンスター緑」が初代にあたる。発売は任天堂。
 その初代発売から20年あまり。現在はスマホ用「ポケモンGO」の流行もあって、それこそ田尻よりも年上の人々の心までしっかりつかんでしまったけれども、念のため、基本的なルールをおさらいしておこう。全作に共通するのはポケットモンスターという架空の生きもの(以下「ポケモン」と呼ぶ)が野原や、林や、川や、海や、いろいろなところで野生の状態で出現すること。

 ねずみポケモンの「ピカチュウ」は右総代というべき存在だが、ほかにも椰子の木に材を採った「ナッシー」やら、岩石に腕がはえた「イシツブテ」やら、小さな妖精の「ピッピ」やら……。

 もしも『古今和歌集』の編者が見たら、きっと、

 ――生きとし生けるもの、いづれかポケモンにならざりける。

 と反語をもちいたに違いないと思わせるほどの数の多さ。プレイヤー(主人公)はそれらを捕まえて、育てて、強くして、いっしょに遊んだり、べつのプレイヤーのそれと戦わせたりすることができる。

 あるいは交換することもできる。これが基本的なルールである。非日常の冒険というより日常の延長、放課後や夏休みの時間の魅力。ところでこのいとなみは、あらためて考えると、ほかの何かに似ていないだろうか。

 くりかえすが野生、捕獲、飼育、強化、戦闘、交換……そう、昆虫採集だ。田尻がおさないころ豊かな自然のなかでザリガニやらクワガタやらに親しんだ、あの経験の電子版。

 田尻自身、上に挙げた本でこうも述べている。

 ……でも、『ポケモン』を作る可能性が出てくるのは、その辺に気がついたときですよね。「俺、ゲームを始める前に夢中になったことがあったよな」って。

 そうしてこのさい、田尻少年の育ったのが町田という開発のおくれた、東京でも神奈川でもどっちでもいい、歴史上の人物のまったく出なかった無個性の街であることは千金に値する。皮肉ではない。もしも町田が、たとえば奈良や京都のような風光明媚な古都だったなら? 浅草や銀座のような大にぎわいの商業地だったなら?

 伊勢のような日本一の門前町だったり、鹿児島や山口のような明治維新の震源地だったり、横浜や神戸のようなハイカラな港町だったりしたならどうだったか。それらの街の過剰な個性は、過剰さの故に、微妙にポケモン個々のデザインに影響をあたえたかもしれない。あるいは「ポケットモンスター」というゲームの世界観そのものに作用したかもしれない。そんなふうに思うのだ。

 これは作家の妄想にすぎないが、遠野だったらどうだろう。そう、あの柳田国男『遠野物語』の舞台だったら。

 同じ人六角牛に入りて白き鹿に逢へり。白鹿(はくろく)は神なりといふ言伝へあれば、もし傷つけて殺すことあたはずば、必ず祟(たた)りあるべしと思案せしが、名誉の猟人なれば世間の嘲りをいとひ、思ひ切りてこれを撃つに、手応へはあれども鹿少しも動かず。この時もいたく胸騒ぎして平生魔除けとして危急の時のために用意したる黄金の丸(たま)を取り出し、これに蓬(よもぎ)を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなほ動かず。あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。数十年の間山中に暮らせる者が、石と鹿とを見誤るべくもあらず、全く魔障(ましよう)の仕業なりけりと、この時ばかりは猟を止めばやと思ひたりきといふ。

「六角牛」はロッコウシと読み、山の名前である。この引用に見るような昔ばなしの残り香をたっぷり嗅いで育ったら、田尻はゆくゆく、おなじ「ポケットモンスター」を創るにしても、その仕上がりはもうちょっと変わっていただろう。

 川や海はあんまり重視されることなく、山が主要な舞台になり、ポケモンの姿かたちは妖怪寄りになる。または神獣寄りになる、ちょうど上の引用における白い鹿のように。私は、いま私たちの目の前にあるピカチュウ以下のデザインは手塚治虫的画風の最末端と見ているけれど、それよりも、水木しげる的画風のそれに近づくのではないか。

 ひとことで言えば、影の濃い生きもの。当然そんな生きものをそうそう気やすく捕獲や飼育することはできないし、友達どうしでの交換もやりづらい。それはそれで田尻のことだから楽しいゲームに仕立てたことはまちがいないが、それは日本趣味のキャラクターによる日本趣味のゲームになり、いま見る「ポケットモンスター」のような普遍性ある世界にはならなかった。そんなふうに想像するのだが、どうだろうか。

 ここでの「普遍性」とは、

 ――あらゆる国籍、あらゆる年齢の人々に無媒介で受け入れられる性質。

 とでも定義しようか。数多くのポケモンたちが、こんにち、世界的な人気を博している秘密の鍵といえるもの。してみると、昭和40年代の田尻少年は、町田という街の無個性さによって、たぶん自分でも知らないうちにその鍵をゲットしていた。そこには東京も神奈川もないかわり、無限の「世界」があったのである。

(連載第19回)
★第20回を読む。

■門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
新刊に、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた小説『東京、はじまる』。
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