見出し画像

88歳「きくち体操」の伝道師 菊池和子

33歳の頃はカーテンを閉めて体操を教えていました。/文・菊池和子(「きくち体操」創始者)

画像1

菊池さん

自分を変えられるのは自分だけ

この春に米寿(88歳)を迎えましたが、今も1時間15分の「きくち体操」の授業に立っています。

ただ動いて見せるだけでなく、スタジオ前方に置いた人体図を指しながらその動きの意味を説明し、生徒さんたちに声をかけて回ります。締めは「また来週、生きていれば来ますよ」と言うのがお約束。この歳だと冗談ではないわね(笑)。毎回が真剣勝負です。

赤いカシュクールシャツに黒のレオタード姿がトレードマークの私のことを、新聞広告でご覧になったという方もいらっしゃるでしょう。50代以上向け女性誌「ハルメク」に2007年から出させていただくようになり、今では全国的に「きくち体操」を知っていただくようになりました。

きくち体操の歴史はそれよりずっと古くて、中学校の体育教師を辞めて体操教室を始めたのは、半世紀以上前のことです。団地の集会所でひっそり始めた教室が、一度も宣伝をしたことがなかったのに、口コミでここまで広まってきました。これまでにない体操だったからでしょう。

この半世紀の間には数々の健康ブームがあり、健康器具や運動法が流行っては廃れていきました。「あれで健康になれるんだったらずっと売れるはずよ」といつも言っていますが、どれも人の体が金儲けに使われるだけで、モノに頼って体が良くなることはありません。

ヒトに頼るのも同じようなものです。いくら「愛している」と言ってくれる人がいたとしても、代わりに動いたり食べたりしてもらうことはできませんからね。

結局、自分を変えられるのは自分だけです。

きくち体操の特色は、「脳」を使って体を動かすことです。単に体を伸ばすストレッチとか、運動選手のように走るとか投げるといった目的で筋肉を鍛えるのとは違います。

まず体の仕組みを理解し、脳で使いたい筋肉を意識して動かし、自分の体の弱っているところを自分の力で良くしていく。それができるようになると、この世に二つとない自分を愛せるようになります。

その方法を変わることなく教えてきたのが、きくち体操なのです。

私のことをお話しする前に、きくち体操で行っていることを少しだけ実践してみましょうか。

画像2

授業ではしなやかな動きを見せる

体操で「脳」を使う

まず、椅子に腰かけるか、床の上で長座になってください。長座のほうが難しいので、最初は無理のないほうで試してくださいね。

片方の足を、反対側の腿に乗せます。背筋を伸ばした状態で足裏を見ることができる人は、股関節がちゃんと機能している証拠です。逆に小指の裏まで見えない人は、股関節が弱っています。

そして、足指を左右に開いたり前後にぐるぐる動かしたりしてみましょう。このとき足指の感覚をしっかり感じ取ることが大切です。

次に足の指の間に、反対側の手の指を入れて組みます。初めてだと、痛くて手の指を入れられない人も少なくありません。筋肉は使っていないと弱って硬くなってしまいます。そうなっている足の指に、いきなり頭で「開け」と思ってみても、手の指を広げるようにはすんなり指示が通らなくなっているのです。

手と足の指が組めた人は、手と足の指で握手をしましょう。足の指に力を入れて、手をギューッと握って……。

それでは空いている方の手で、グーにしている足の指を、一本ずつ触っていってください。

触ってみたら握れていない足指がありませんか? 指先がぐらつく指は、脳と指の筋肉がきちんと繋がっていません。

ですので、その足指に力が入るように練習していきます。人差指なら人差指、中指なら中指に意識を集中すると、少しずつ脳の指令が通るようになって、力が入るようになっていきます。それは足の筋肉が鍛えられるからというより、使っていなかった足の指を動かす脳が活性化されるからなんですね。

きくち体操が「脳」を使う、というのはこういうことです。

この「手と足の指の握手」を毎日やって脳を使い、足の指一本ずつを感じながら動かしましょう。この足で最後まで立って生きられるように。うまくできるようになっても、ちょっとサボるとあっという間に元通りです。足の指を使えていないと歩き方が崩れるし、全身が衰えていってしまいます。

「手と足の指の握手」は、老若男女関係なく、脳と足の指が繋がっていないとできません。

特にハイヒールばかり履いている女性にはできない人が多いです。そういう人は骨盤底筋も弱っているので、若くても尿もれに悩まされています。体操を続けると改善して、後から「実は……」と打ち明けてくれるのですが、若い人が尿もれパッドをしている時代というのはかつてなかったこと。おしっこをコントロールできないというのは赤ちゃんや認知症のお年寄りがオムツをしているのと同じ状態です。生きる力が弱いわけで、その先の長い人生が心配になります。

画像8

原点は動かない手

88歳の誕生日に、私が生まれた当日の新聞のプリントをいただいたのですが、「軍刀で自殺を図る」だとか時代がかった記事ばかり。今もピンピンしているのが自分で不思議なくらい、年季が入っているんです(笑)。

子どもの頃はずっと、戦争ばかりでした。

私は秋田県仙北郡豊川村(現・大仙市)出身。武家屋敷で有名な角館の近くです。父は国民学校2年生の時に出征して、後に奇跡的に復員しましたが、母は3年生になるかならないかという頃に亡くなりました。胃がんだったと思います。

母方の祖母に預かってもらいましたが、その時分には村中の男の人が戦争に取られて、病気の人を除いていなくなっていました。馬を使って田を起こすとか、あらゆる野良仕事を女性だけでやっていたんです。

そんな状況だから、子どももろくに学校へ行っていられない。田んぼの草むしりに駆り出されました。

運動を楽しむことができるようになったのは、国民学校6年生で終戦を迎えた翌年、高等女学校へ進んでからです。

女学校は卓球の強豪校だったのですが、私は卓球というものを見たことも聞いたこともありませんでした。「どんなものだろう」と思って見学に行ったら、格好よくって、自分もやりたくなりました。

ただ、私の手にはハンデがありました。2歳の時、囲炉裏に落とした布を拾おうとして両手を突っ込み、大やけどを負っていたのです。母が死に物狂いで仙台の病院まで運び、すべての指がくっついてひとかたまりになったのを、1本ずつ切り離してもらったそうです。

その後遺症が残って、成長しても手の感覚が乏しく、物をうまくつかむことができませんでした。ケロイドが目立って、ヘビの頭みたいな真っ黒な爪しか生えてこないし、学生時代は同級生から「気持ち悪い」と言われていたものです。

卓球を始めたものの、最初はラケットをうまく握れませんでした。そこで、家の鴨居にピンポン玉をぶら下げて、ラケットを離さないように手に意識を集中して、何時間も振る練習を続けました。

今思うと、きくち体操の原点は、この体験かもしれません。思うように動かない手を動くようにするには、自分の脳と指の1本1本まで感覚を繋げるように意識しながら使っていくしかない、と身をもって知ることができたからです。

画像3

人体図を使って筋肉の動きを説明

中学校の体育教師に

おかげで卓球は結構強くなりましたし、体を動かすのが好きになって、日本女子体育短期大学(現・日本女子体育大学)へ進学しました。体育教師になるためです。

秋田から汽車で12時間かけて上京しました。東京は冬でも雪が降らないと聞いてびっくりしたのを、懐かしく思い出します。

短大卒業後、1度は日本麦酒(現・サッポロビール)に入社しました。卓球の実業団からお声がかかったからで、父が大層喜んで「教師になるより会社勤めをしなさい」ということで決まったのです。ただ、1年しないうちに「もうダメ~」と音を上げました。日中は経理の仕事をするのですが、じっと座っていないといけなくて、体育大学で学んだこととは正反対です。

結局、1年後には東京都の採用試験を受けて、中学校の体育教師になりました。

教師になってみると、自分のやけどの経験を生かせることがたくさんありました。どんな子がいても、それぞれの個性をまるごと受け入れることができましたから。

たとえば担任を受け持った子の中に、肘から先がない女の子がいました。成績はクラスで1番で、すごくきれいな子だけど、いつも暗い顔をしてお友達を作れないでいたんです。その子には、バレーボールは肘先でだって受けられるよと、そのやり方を教えました。縄跳びも、脇に挟んで飛べるようにしました。

ハンデを理由にして最初から諦めるより、ハンデがあるからこそ、他の人ではわからないことを身につけられればいいでしょう?

自分にもいろんなことができるとわかると、彼女は見違えるように明るくなりました。周りの子たちも「あの子は頑張っていて偉いね」と言い出して、友達になり、クラス全体が元気になりました。

こうしたかつての教え子たちは70代になった今でも「先生」と慕ってくれて、毎年「クラス会をやろう」と連絡をくれます。

教師の仕事はやりがいがあったものの、学校体育には違和感が募っていきました。月ごとに取り組む種目が決められていて、目の前の子どもたちに応じてカリキュラムを変えることができないし、それをやることで将来どう役立つかを伝えきれません。本当なら、1人ひとりが健やかに生きていくための体の作り方を教えるべきだと思いますが。

そもそも体育の授業って、生まれつき運動神経がいい子は頑張らなくてもできるし、そうでない子は一生懸命やってもできないことがありますよね。それなのに、当時の公立中学校は相対評価ですから、上手にできるかできないかで成績をつけなくてはならないことにも抵抗がありました。

それで一度、全員に同じ成績をつけたら、校長室に呼び出されました。「評価ができない先生は、教師にしておくわけにいかないと教育委員会から言われるよ」と。でも、校長先生も苦しかったのでしょうね。うっすら涙を浮かべながら「しょうがない。長く休んだり、なかなか授業を受けられなかったりする子はいない?」と言うんです。長期欠席の子がいると低い成績をつけられるからホッとするなんて、つくづくおかしな評価システムでしたね。

画像4

女性が体操をするなんて

出産を機に退職して、専業主婦になりました。するとすぐ、住んでいた横浜・戸塚の公団住宅で、他の奥さんたちから「体操を教えてほしい」とお願いされました。

ここから先は

4,258字 / 3画像
noteで展開する「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。同じ記事は、新サービス「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。新規登録なら「月あたり450円」から。詳しくはこちら→ https://bunshun.jp/bungeishunju

文藝春秋digital

¥900 / 月

月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に配信。月額900円。(「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。今後は、新規登録なら「…

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください