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「団体歌のパネル」に唸らされる…小粒だが味わい深い江口夜詩記念館|辻田真佐憲

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※本連載は第19回です。最初から読む方はこちら。

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 “昭和歌謡の大御所”として死してなおその名を轟かせる古賀政男が、「私は容易ならぬ強敵の出現に思わず身がまえた」「よき宿敵(ライバル)を得て、私の作曲意欲はますます激しく燃えた」とまで自伝に書いた作曲家がいる。「東京音頭」の中山晋平でも、「リンゴの唄」の万城目正でも、朝ドラ「エール」で話題の古関裕而でもない。江口夜詩がその人である。

 その名を聞いて、ピンと来る人は今では少ないだろう。「月月火水木金金」や「憧れのハワイ航路」の作曲者と聞いて、そうかと思う人はかなり詳しいほうだ。とはいえ、かつての江口は、飛ぶ鳥を落とすヒットメーカーであり、コロムビアへの移籍に際して、売れっ子になる前の古関をその余波でクビにしかけたほどの勢いを誇っていた。

 古賀もこう回想している。「コロムビアには、若き日の古関裕而君がいたが、私が活躍し始めた頃からスランプに陥ってしまった。会社は、江口君の入社後、古関君と再契約しないと言い出したのである」。

 そんな江口の記念館が岐阜県大垣市に存在することは、あまり知られていない。

 大垣駅より南西へ、牧田川の流れに逆らうように車で走ること約40分。草木が生い茂る養老山脈の西腹を見ながら、こんな山間にそんなものがあるのかと疑わしくなってきたころ、その建物は突如としてダム湖畔に姿をあらわす。

江口夜詩記念館。水嶺湖は隣接するダム湖の名称(2020年7月、筆者撮影)。

江口夜詩記念館。水嶺湖は隣接するダム湖の名称(2020年7月、筆者撮影)

 日本昭和音楽村。ここには、そんなやや形容過剰な名称がついている。1989年度に、旧上石津町のふるさと創生事業の一環として整備がはじまり、現在では、カフェレストラン、コテージ、音楽スタジオなどを擁する、ちょっとした複合施設となっている。江口夜詩記念館と呼ばれるのは、中核となる円形ドームのホールだ。

 江口の名を冠する理由は簡単で、ここが出身地だからである。

 江口夜詩(本名、源吾)は、1903年、上石津町の前身のひとつ、時村に生まれた。13年間、海軍軍楽隊に在籍してチェロや作曲を学んだのち、1931年、ポリドールの専属作曲家に転身。そこでヒット曲を連発して、1933年、コロムビアに迎えられた。先述のエピソードはこのときのものだ。なお、ペンネームは、早世した最初の妻・喜枝(よしえ)にちなむ。

  代表曲のひとつで、海軍の休み知らずの猛訓練を歌った「月月火水木金金」(正式には「艦隊勤務『月月火水木金金』」)は、ポリドールに復帰していた1940年に発表された。当初あまり受けなかったものの、翌年、アジア太平洋戦争が勃発すると大ヒット。「轟沈」と並んで、江口の代表的な軍歌となった。

 戦後は、もうひとつの代表曲「憧れのハワイ航路」などを発表したものの、1963年ギランバレー症候群と診断され、作曲活動が困難に。それでも、1978年の逝去まで、数多くの弟子を育て、4000曲ともいわれる作品を残した。晩年、医者から「何かアレルギーは」と聞かれて、古賀の「丘を越えて」を上げ、「俺はあれを聞くと蕁麻疹が出る」と答えたエピソードはあまりに有名。江口にとっても、古賀は永遠のライバルだった。

 こういうと、さぞや記念館の展示も立派なのだろうと思うかもしれないが、さにあらず。展示エリアは、ホールの一角にこぢんまりとあるにすぎなかった。資料点数は、100あるかどうか。受け付けに訊ねても、それ以上のものは保管していないという。昭和の音楽資料を広く集める構想もあったと聞いていたので、これには拍子抜けしてしまった。

 ただ、小粒ながら、よく見ると味わい深い。主要なレコードが小気味よく集められているだけではなく、その間を、必要十分な自筆譜や色紙などが埋めている。海軍の報道班員として、マレー半島北西岸沖のペナン島を訪れたときの身分証明書や腕章はいかにも珍しい。

 なかでも「校歌・社歌・町民歌・音頭」のプレートには唸らされた。その名のとおり、江口が作曲した団体歌の作品リストなのだが、これが1時間眺めていられるくらい、興味深いものなのである。

 たとえば、社歌。講談社、西濃運輸、山際電気、主婦と生活社、樺太新聞社、千葉製粉、ホンダモーター、中島飛行機製作所、九州飛行機などの名前が所狭しと並んでいる。普段関係なさそうな会社が、江口の名のもとでつながっていくところに、知的な愉悦を覚えないではおれない。

 官公署の関係では、「長浜警察の歌」「国鉄大船工場歌」「海上保安の歌」、さらには「玉川税務署の歌」も。税務署単位の歌とは、どんなものだったのだろう。これに加えて、「全逓歌」のように、労働組合の歌もあるのも興味をそそられる。

 戦争関係のものは、とりわけマニアック。「海軍中川部隊の歌」「鹿児島県暁第16760部隊隊歌」「若林猛中隊の歌」「硫黄島守備隊歌」「弔歌(時村出身英霊に捧げる歌)」という具合で、軍歌を長年調べている筆者でも知らないものさえあった。

 このような団体歌は、古賀政男や古関裕而など、人気の作曲家に依頼されがちだった。江口も、かれらと同じカテゴリーに入っていたわけだ。

 それから幾星霜。江口はすっかり「忘れられた」作曲家になってしまった。流行歌は一時輝かしくみえても、実に儚い。それにくらべて、団体歌は地味なようで、生命が長い。それらはいわば、音楽の記念碑なのである。

 まして団体歌を集めたプレートは、その王様のようなものだ。江口夜詩記念館の展示は少なかったものの、記念碑鑑賞を趣味とする筆者はこれ一枚ですっかり満足。近代の史跡に乏しいといわれる岐阜県南部への認識も、この意外な宝を前に改めなければならないと思わされたのだった。

(連載第19回)
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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。
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