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佐藤優のベストセラーで読む日本の近現代史『東京タワー』 リリー・フランキー

日本社会を形づくる「家族」を読み解く

先日、安倍晋三首相は辞意を表明したが、第2次安倍政権は、決して支持率は高くなかったにもかかわらず、7年8カ月という歴代最長の長期政権となった。日本では、国民の平等な秘密投票で国会議員が選ばれる。そして国会議員が首相を選出する議院内閣制をとっている。民意で国家指導者が選ばれるのだから、日本も民主主義国だ。しかし、イギリス、フランス、アメリカと日本の民主主義はどこか異なる。この点について、わかりやすく分析しているのがフランスの人口学者で歴史家のエマニュエル・トッド氏だ。

トッド氏は、民主主義には、「フランス・アメリカ・イギリス型」「ドイツ・日本型」「ロシア型」の3つの類型があると指摘する(『大分断』)。

〈まず、「フランス・アメリカ・イギリス型」の民主主義です。例えば、フランスのパリ盆地の農民、つまりフランス革命が起きた場所での家族というのは、核家族で個人主義です。そこから生まれた価値観が自由と平等でした。パリ盆地の農民家族には、大人になった子供たちが親に対して自由であるという価値観があり、兄弟間の平等主義という価値観もありました。そのような地盤があった上で、識字率が向上し、その平等と自由の価値観は普遍的な価値観になっていったのです。

次に、「ドイツ・日本型」の民主主義についてです。日本の12世紀から10九世紀の間に発展した家族の形というのは、直系家族構造で、そこでは長男が父を継いでいきます。ここで生まれた基本的な価値観は、自由と平等ではなく、権威の原理と不平等です。両親の代がその下を監視するという意味での権威主義と、子供がみな平等に相続を受けるわけではないという点から生まれた不平等です。つまり、日本の識字率がある程度のレベルまでいった時点で明らかになった価値観が、権威の原理と不平等だったのです。だから、軍国主義のように権威主義に基づいた形がとられた時期もありました。それはドイツを思い起こさせます。ドイツもまた、イギリスやフランスの価値観を取り込むことに失敗したからです。ドイツは、その家族構造が日本と似通っているのです。

民主主義の種類について最後に付け加えたいのが、「ロシア型」の民主主義です。西洋でしばしば議論の対象になるのが、共産党に続いたロシア政権の本質です。ロシアの基礎にある価値観は、中国と同じで、権威主義と平等主義です。そこに伝統的な宗教の崩壊が起き、共産党が生まれました。現在、ロシア人たちは投票をするようになり、その中で、世論調査が認めるように、彼らは一斉にプーチンに投票をしているのです。これは新しいタイプの民主主義と言えます。権威主義と平等主義に合致したタイプの民主主義で、一体主義的な民主主義と言えるでしょう〉

民主主義と「家族」のかたち

識字が国民に広く普及した家族様式によって民主主義の鋳型が形成されるというトッド氏の分析には説得力がある。1789年のフランス革命は、パリ盆地を中心に起きた。この地域では、相続は兄弟姉妹で平等になされた。兄弟姉妹が平等なので人類も平等だという認識になる。また家父長的な権威が強くないので、民衆の意向に反するような政権は打倒すべきだという発想になる。

ロシアでは、国民に識字が普及したときには共産党の独裁政権が成立していた。従って、誰もが権威を認める。国民は貧しくても平等であれば、政権に対して不平不満を口にしても、それを打倒する行動はとらない。ソ連崩壊後のロシアでは、民主的選挙によって大統領が選ばれるようになった。しかし、そこでは権力を争奪するための自由競争は起きず、既存の権力者を追認するという選択を国民が無意識のうちにとる。これがプーチン政権の強さの秘密だ。

日本人も権威に弱いという点はロシア人に近い。しかし違いもある。日本型民主主義においては平等の原理が弱い。コロナ禍との文脈では、家族(配偶者や子供)がいる人、企業の正社員、役所の正規職員は、権威主義的なパターナリズム(強い立場の者が、弱い立場の者の利益のために当事者の意思と関係なく介入や支援をすること)によって、仕事と生活が保障される。しかし、一人親家庭、非正規職員、失業者などに対して日本社会はとても冷たい。しかもその冷たさを多くの日本人が自覚していない。

「母子家庭」が映しだす日本社会

日本社会の特徴を理解するのに、リリー・フランキー氏の『東京タワー』がとても有益だ。リリー氏は1963年生まれなので、60年生まれの評者とほぼ同世代だ。事実上、母子家庭のような生活が、一人息子のリリー氏の視点から描かれている。リリー氏が4歳になる直前に両親は別居する。しかし、別居しても2人は離婚しない。リリー氏は母(オカン)と暮らすことになる。母は非正規労働者で、経済的には楽ではないが、息子の生活と教育のために全力を尽くす。リリー氏は、美大に進むが勉強に身が入らずに1年留年する。経済的負担をこれ以上かけたくないと退学を決意したが、母がそれを止める。母は過剰なほどに息子に尽くす。その度にリリー氏の頭を過ぎる不安がある。自分は母の実子ではないのではないかという不安だ。

小学生時代の夏休みに、リリー氏は父方の祖母のところに1人で送られる習慣になっていた。ある夏休みのことだ。

〈ばあちゃんは会うたびに、何度も同じことをボクに聞いた。

「一番好きなのは誰ね?」

ボクは毎回、同じことを答えた。

「ママ」

「その次に好きな人は誰ね?」

「小倉のおばあちゃん」

そうね、そうねとばあちゃんは言う。

何番目まで聞かれてもオトンの名前は言わなかった。それは別にオトンが嫌いだったというわけではなく、なんとなく、この場ではオトンの名前を出さない方がいいのだろうなと、子供心に思っていたからだ。

その日は、ばあちゃんの他に、もうひとり誰かがいた。それが誰なのかは憶えてない。

夏の昼間。電気を消した茶の間に扇風機だけが回っている。磨(す)り硝子(ガラス)から洩(も)れる光だけの薄暗い部屋だった。

その時も、ボクはばあちゃんに同じ質問をされていた。

「一番好きな人は誰ね?」

「ママ」

しばらくして、ばあちゃんは、もうひとりの誰かと小声でなにか話をしていた。そして、ボクを横目で見ながら、憐(あわ)れんだ声でこう言った。

「生みの親より、育ての親って、言うけんねぇ……」

それが聞こえた時、その時はどういう意味なのか、わからなかったけど、なにか嫌なことを言われているな、ということは、すぐにわかった〉

このときにリリー少年に自分は養子ではないかという刷り込みがなされた。その謎解きがなされるのは、リリー氏が作家兼イラストレーターとして独り立ちし、引き取った母が、ガンとの闘病で2001年4月15日に69歳で死去した後だった。母の死後、リリー氏は父(オトン)に別居の理由について尋ねた。

〈「どうして、別居することになったん?」

「あぁ……」

「女なん?」

「いや違う……。ばあちゃんなんや……」

「小倉のばあちゃん……?」

「ばあさんとオカンが合わんやった。いっつもばあさんが文句を言いよった。たまらんごとなったお母さんが小倉の家やのうで、お父さんとお母さんとオマエと3人で住めんのやろうかって言い出したんよ。お父さんもまだ若いでから気が短かったもんやけんのぉ。そんなん言うなら、オマエが出て行けって言うてしもうたんや……」

オトンはそのことに関しては忘れようがないらしく、まるで昨日の話をするような口ぶりで話した。

「でも……。オカンみたいに誰とでも仲良くできる人やのにから、なんでうまくいかんかったんやろうか……?」

溜息(ためいき)をつきながらオトンは言った。

「うちのばあさんは、誰とも合わんよ……」〉

姑と嫁の関係がどうしても調整できなくなったので、母と一人息子は、家を出るという選択をとらざるをえなくなったのだ。無理して家に留まっていたならば、姑嫁関係の軋轢で、子どもの成長にも悪い影響を与えたと思う。母子家庭のような生活になってしまったが、母は姑と距離を置くという選択をしてよかったのだ。

リリー氏は、北九州の家父長的文化の中で育ったので、権威が強く平等の原理が弱いという日本社会の特徴が端的に表れた。事実上の母子家庭のような状況にもかかわらず、リリー氏が独り立ちの基礎となる高等教育を受けられたのは、母の犠牲によるところが大きい。評者の場合、日本の伝統的家族形態とは異質な、団地の核家族で暮らし、経済的にも特に苦労したことはないので、リリー氏の体験を皮膚感覚では理解できない部分がある。しかし、『東京タワー』という優れた小説を通じて心で追体験することができた。

(2020年10月号)

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