なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか 小野一光
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なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか 小野一光

死刑確定した“夫”と獄中結婚した理由。/文・小野一光(ノンフィクションライター)

死刑確定後の孤独

これまで数多くの殺人犯との面会を繰り返してきた。

そのなかには、やがて死刑が確定したことで、面会や手紙のやり取りが叶わなくなった相手も少なくない。死刑囚の「心情の安定」との理由で、死刑確定後は弁護士や親族以外の、面会や文通といった接見交通権が制限されてしまうからだ。

つまり親族との関係が断絶した死刑囚は、ほとんど面会や手紙のやり取りができないことを意味する。

私が会ったなかでは、2017年に神奈川県座間市で9人を殺害した白石隆浩死刑囚(面会時は被告)が、刑の確定後の生活について、意識的な発言を繰り返していた。

逮捕後に殺到するメディアに対し、彼は取材の条件として謝礼の支払いを求めていたが、それは死刑確定後に自由に使える現金を確保しておくためだった。

両親や妹といった親族との関係が断絶していた彼は、死刑確定後の孤独な収容生活に備えて、菓子類や生活用品などを購入する費用を、自分で稼ぎ出そうと考えていたのだ。

ちなみに禁錮や懲役囚とは異なり、死刑囚の身柄は、刑の確定後も刑務所ではなく拘置所に置かれる。拘置所内において、死刑執行まで未決拘禁者と同じく、必要な物品を購入することができるのである。

私は、白石と計11回の面会を行ったが、6回目の面会時に彼との面会記事を掲載した雑誌を読んだ白石は、こう切り出した。

「持ち込み企画なんですけど、僕の“獄中結婚相手募集”って(記事を)出してもらえないですかねえ。誰かいい人を見つけられたらと思って」

聞けば、白石には以前から手紙を送ってきたり、差し入れをしてくれる女性が数人いたという。しかし、とある女性週刊誌が、彼の女性観を明かした面会記事を出したところ、連絡が途絶えたというのだ。

私が「獄中結婚は、(死刑)確定後を考えてのこと?」と尋ねると、白石は「そうですね。死刑が確定すると、家族以外の誰にも会えなくなるじゃないですか。それなら誰かと結婚しといたほうがいいかなって」と胸の内を明かした。

現時点で白石が獄中結婚をしたとの話は聞こえてこないが、死刑囚との獄中結婚や養子縁組という話を耳にすることは少なくない。

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「死刑囚を精神的に支えたい」

そこで調査を始めた私がまず注目したのが、01年に大阪府池田市で、児童殺傷事件を起こした宅間守元死刑囚だった。当時の新聞は次のように伝えている。

〈児童8人が犠牲になった大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の乱入殺傷事件で、大阪地裁の死刑判決が確定した宅間守死刑囚(40)=大阪拘置所在監=が今月上旬、支援者の中年女性と獄中結婚していたことが分かった。この女性から「宅間死刑囚を精神的に支えたい」と結婚を申し込んだという。

関係者によると、女性は宅間死刑囚と同じ年代。刑事裁判の公判中に弁護団を通じて何度も、励ましの手紙を寄せたり、菓子類などを差し入れていたという。女性は「(宅間死刑囚の)精神的な弱さに同情し、支えになりたい」などと、宅間死刑囚が控訴を取り下げた9月下旬、弁護団を通じて結婚の意思を伝えていた。その後、自身の写真とともに婚姻届を宅間死刑囚に渡してもらったという。

女性からの結婚の申し込みに対し、宅間死刑囚は「執行されるまでは人間らしくありたい。理解者となら面会もしたい」などとして受け入れたという。死刑囚の妻は通常、拘置所の許可を受ければ面会できる〉(『毎日新聞』2003年12月27日 大阪朝刊より)

なお、同日付の『読売新聞』大阪夕刊の記事では、結婚の時期は12月の〈中旬〉となっており、結婚相手については、〈支援者の30歳代の女性〉とある(筆者注*実際の入籍は12月12日)。

01年6月8日に大阪教育大付属池田小学校に出刃包丁を持って侵入した宅間守は、教室に押し入ると児童や教職員を次々と刺し、児童8人を殺害し、児童と教職員15人に重軽傷を負わせた。

その後の裁判では、反省の気持ちを口にすることはなく、「あの世で子どもをしばいてやる」、「死ぬことはまったくびびっていません」、「幼稚園ならもっと殺せた……」などと、挑発的な発言を続けていた。

宅間には大阪地裁で死刑判決が下され、03年9月26日には自ら控訴を取り下げて死刑が確定。彼は、刑事訴訟法第475条2項にある「(死刑執行の命令につき)判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない」との法律をもとに、刑の早期執行を訴え、約1年後の04年9月14日に、異例の早さで死刑が執行された。

死刑が確定したのち、わずか9カ月間の“結婚”はいかなるものだったのか。相手女性(A子さんとする)は、なぜ「支えになりたい」と考えたのだろうか。

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面会者に宛てた宅間の手紙

「30代で、心の美しい方」

まず裁判で宅間の弁護人を務めた戸谷茂樹弁護士のもとを訪ねた。

「入籍前からA子さんは弁護人である私を通じて手紙や差し入れを続けていました。当時30代で、心の美しい方との印象が強い。死刑囚の救援活動を続けてきたようで、(精神的に)荒み切っていた宅間さんの魂を救いたいと話していました」

親族ではない限り、死刑確定後の宅間と面会できない事情をA子さんはよく理解していた。彼女が入籍の意思を伝えてきたのは刑が確定する少し前のことだった。

「当初、私は(結婚を)考え直すよう説得しました。彼が死刑になることは間違いない状況でしたからね。そうしたら彼女から(03年)9月18日にメールが届いて、そこには次のように書かれていました。〈先生からは、入籍については固く反対の言葉を頂きました。それはそれで、初対面とはいえ、私の将来について、先生の真心からの御考慮を頂いた上での御言葉であったものと受け止め、私は本心から、それを有り難く感じております〉、と」

それでもA子さんの気持ちは変わらなかった。

「そこで彼女は続けて、〈しかし、死ぬ為に生きるような生活を余儀なくされている今の彼からの想いに、私自身が応えずにやり過ごしてしまっては、私はきっと一生涯、自分自身の慈悲のなさに悔やみ嘆き続ける結果になってしまいそうな気がする。…その気持ちだけで頭がいっぱいなのです〉と、宅間さんを迷える羊のように考えて、なんとか救いたいのだということでした。そういう部分に、彼女自身の日頃の信念が裏打ちされている思いがしました」

とはいえ、A子さんにも迷いがないわけではなかったようだ。戸谷弁護士は明かす。

「ただしA子さんはこうも綴っています。〈乗り越えなければならない壁は、両親への説得や、また、今の職場や私生活に及ぶ障害についてなど、考えればキリがないほどで、「私は今、どのような形で何を彼に伝えれば良いのか」「私は、どういう言葉を彼に投げかけることが出来るのか」…と、頭の中の整理が、なかなかつきません。しかし、慎重に言葉を選んで、何としても彼にお返事を書きたく私は望んでいます〉」

A子さんの職業について戸谷弁護士は、「なにかお仕事をされているとは思いましたが、それ以上は詮索しませんでした」と語る。

A子さんの両親は宅間との獄中結婚について猛反対だった。そこで彼女は、実家に迷惑をかけないために、まず同じ死刑廃止活動をしている仲間との養子縁組を行って苗字を変えた上で、結婚する道を選んだ。

「結婚を望む女性がいると宅間さんに伝えると喜んでいました。宅間さん自身が苗字の変わることを承諾し、結婚の意思を示したため、A子さんが書いた婚姻届の用紙を、私が宅間さんに差し入れた。そこに彼が署名し、婚姻が成立したのです」

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結婚を希望する別の女性

じつは同時期に宅間との獄中結婚を望んでいた別の女性がいたという。ここではB子さんとする。

B子さんは愛知県に住む当時36歳のフリーターだった。A子さんと同様に、公判中から戸谷弁護士を通じて、宅間に手紙を送ったり差し入れを続けていた。彼女もまた宅間との直接の面会を強く望んでおり、獄中結婚も辞さない覚悟だった。

宅間と結婚したA子さんはメディアの前に姿を現すことはなかったが、B子さんは04年に女性週刊誌の取材を受けている。

〈「彼が“世の中は皆、敵や”と供述していると報道で知って、“そうじゃない、私は敵じゃないよ”って伝えたかったんです」

とB子さん(原文実名)はいう。自身は厳格な父の暴力を受けながら育ち、学校でもいじめに遭うなどして、周囲を嫌悪してきたという。

「高校を卒業後は家出して職業を転々としました。好きになった男性から暴力を受けたりして、ますます社会を嫌悪するようになっていました。そんな私だから、宅間さんを理解できると思ったんです」(B子さん)〉(『女性セブン』2004年2月5日号より)

彼女は自らの境遇を宅間と重ね合わせ、そこにシンパシーを感じたことで、このような発言が出てきたのだろう。とはいえ宅間はB子さんではなく、A子さんを選んだ。そのため同記事のなかには、〈宅間死刑囚とA(子)さんの結婚を知り、ショックにうちひしがれた〉とある。

前出の戸谷弁護士はB子さんの印象を次のように話す。

「簡単に言うと、宅間さんの妻になったら有名人になるわけじゃないですか。B子さんには、そうした計算があるように感じてしまいました」

手厳しい意見に感じられるかもしれないが、戸谷弁護士がこうした発言をするのも、宅間の嘘と暴力にまみれた女性遍歴を熟知する弁護人だからだ。事件前、宅間は4度の結婚・離婚を繰り返していたが、今回の取材で全容が明らかになった。その概要を以下に記す。

「離婚するなら殺す」

(1)90年6月に結婚したC子さん
看護師の合格者名簿から看護師を呼び出そうとした宅間は、電話をかけ間違え、国立大学の研究員だった19歳年上のC子さんと知り合う。宅間は自らを医師であると偽って交際し、知り合って1カ月で結婚し、彼女のマンションに転がり込んだ。しかしやがて嘘であるとバレ、C子さんは離婚の意思を固め、同年9月に大阪地裁で協議離婚。C子さんは宅間と別れるために慰謝料120万円を支払っている。
(2)90年10月に結婚したD子さん
C子さんと結婚前の同年3月頃から、宅間の小学校時代の教諭だった20歳年上のD子さん宅に電話をかける関係が続いた。C子さんとの離婚話が持ち上がり、宅間が相談を持ちかけた際、半ば強引に肉体関係をもつ。C子さんとの離婚後に結婚。当初宅間はD子さんに対し、日本航空の関係会社に勤務していると嘘をついていたが、結婚後に嘘をついていたことを打ち明ける。結婚解消の話が出たものの、宅間が兵庫県伊丹市の職員(市バス運転手)に採用されたことで、一旦保留となる。しかし、93年9月、テレホンクラブで知り合った女性に対し、強姦容疑で逮捕(後に不起訴)され離婚する。
(3)97年3月に結婚したE子さん
96年8月に神戸市内のホテルでのお見合いパーティで知り合う。E子さんは宅間よりも2歳上の35歳。色白で目が大きく鼻筋が通った、宅間の好みのタイプで、彼から声をかけて交際が始まり結婚に至る。E子さんは結婚にそれほど乗り気ではなかったが、宅間が「結婚しなければ、お前を殺して私も死ぬ」などと言って強引に結婚する。宅間は知り合った当初は市バスの運転手だったが、結婚した直後からゴミ収集の作業員に配置転換となった。その際、E子さんには市の環境クリーンセンターで害虫駆除の仕事をしていると嘘をついていた。97年10月頃に妊娠が発覚。しかし過去に宅間が金銭目当てで養子縁組し、離縁していた女性がE子さんの実家を探し当て、宅間の悪行を暴露する。E子さんは離婚調停を申し立て、堕胎することを通告。激高した宅間は「離婚するなら殺す。カッターナイフで顔を切ってやる」などと脅したが、98年6月にE子さん側が200万円を支払うことで離婚が成立。同年8月、兵庫県内の職業安定所でE子さんを待ち伏せした宅間は顔面を殴打するなどの暴行を加え、傷害容疑で逮捕、起訴されている(罰金15万円)。
(4)98年10月に結婚したF子さん
3歳年下だったF子さんと宅間は、お見合いパーティで出会って、ほどなくして結婚。F子さんは、「宅間に生活の面倒を見て貰いたい」と周囲に語っていた。1児をもうけるが、妊娠中の99年3月、宅間は、用務員として勤務していた伊丹市内の小学校で、教師4名に精神安定剤入りの茶を飲用させて傷害容疑で逮捕(同年4月に措置入院となり起訴猶予)。3月末に離婚する。

以上のように、自身の経歴を偽って相手に近づき、結婚した途端に高圧的な態度を取り、己の意思に沿わなければ躊躇なく暴力を振るう――。

こうした過去の結婚生活について知る戸谷弁護士は、よほどの覚悟の持ち主でないと、たとえ獄中結婚といえども、宅間との交流は難しいと考えていた。

そんな戸谷弁護士を納得させる熱意が、A子さんにはあったということだ。また一方の宅間は、A子さんとの結婚を選択したことについて、「(A子さんは)別嬪さんやったから」と、その理由を語っている。

A子さんの焦燥感

宅間との獄中結婚の願いを叶えたA子さんは、もう一人、宅間の関係者にも接触していた。東海女子大学(現:東海学院大学)の元教授で、現在は「こころぎふ臨床心理センター」のセンター長を務める長谷川博一氏である。

長谷川氏は研究者として、宅間が死刑判決を受けて以降、刑が執行されるまでの間に、大阪拘置所長から特別許可を得て、彼と15回の面会を重ねている。長谷川氏が宅間と面会をしているとの情報を得たA子さんは、彼にも接触を試みたのだ。

長谷川氏が当時を振り返る。

「大阪地裁で死刑判決を受けて、死刑が確定するまでの間にまず2回、接見禁止の部分解除を受けて面会をしていました。そのことが報道され、私のことを知ったのだと思います。A子さんからの手紙にははっきりと、『(面会や文通などの)外部交通権の確保のために入籍しました』と書いていました」

その手紙が届いたのは04年1月31日のこと。速達で送られたものだった。手紙にはA子さんの連絡先が書かれており、長谷川氏はすぐに彼女と連絡を取り、翌2月1日に大阪駅の喫茶店で会っている。

「当時、宅間さん本人は、早く死刑を執行して貰いたいと考えていた。そうなると再審請求などもしないため、刑が早く執行されてしまう。彼女は『死刑執行を踏み止まらせて欲しい』と、私に手助けを求めてきました。宅間さんが自暴自棄に陥るのを防ぐためにも、まずあなたが期待しすぎないようにと助言しました」

以降、A子さんから頻繁に電話がかかってくるようになった。

「彼女は精神的に追い詰められていた。マスコミに自宅住所を知られて、取材されるのではないかと恐怖を訴えていました。不安で不安でしょうがない、眠れない、と。電話口で何度も相談に乗りました」

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「A子とは話が出来んのよ」

一方で、宅間はA子さんについて、自分の妻という意識を明確に持っていたようだ。長谷川氏の面会記録には次の記載があった。

〈「A子とまた電話したってください。また手紙書きます」と言って、ペコペコ頭を下げながら部屋を出て、再度振り返った〉(2月17日)

またこの日、長谷川氏は宅間との面会後にA子さんと会っている。

〈妻(A子さん)は、再審請求のことを検討していた。手紙にどんな返事を書いたらいいのか、しんどい様子がありあり。(長谷川氏が)「これから何年間、ずっと続けても無理にならない程度に仕切り直しをしたほうがいい」と助言〉

死刑執行を遅らせたい、そのために再審請求を出させたいA子さんと、早期の死刑執行を望む宅間との間には深い溝があったようだ。

〈面会後、妻のA子と会い、30分程度話す。(中略)妻は心労が高まり、限界が近い様子。自分の立場が定まらない様子。彼の「死という選択」に対して、どう受け止めたらいいのか。涙を流す場面も。(長谷川氏は)「尊厳ある死も」「彼の選択の尊重」も提案。妻として「死んでほしくない」「こんなに苦しいんだね」の2つの真実の心を伝えていけばよいとアドバイス。傾倒しすぎないことも、再度確認〉(同前)

当時の状況を長谷川氏が明かす。

「じつは私は、宅間さんからA子さんに対する不満の声も聞いていた。彼は、『早く死刑執行してほしいとか、こんな生き地獄は死んだ方が楽だとA子に言うと、「そんなことだめだ」って言うばかりで、話が出来んのよ』と。なので、A子さんに対しては、妻だったら自分の考え方に執着するだけではなく、彼に共感を示して寄り添ってあげる方がいいとアドバイスしていました」

助言に従って、徐々にではあるがA子さんも考え方を変えていく。

妻に宛てた遺言

宅間が長谷川氏に出した8月3日付の手紙には次のようにある。

〈今日、A子さんに面会で、「早期執行を強く願っているが、君の活動とスタンスが、合わないようやったら、籍を抜いてくれてもよい」趣旨の事を言いました。しかし、籍は、抜かないし、面会も来ると言いました。他にも言いましたが、照れが入り秘密にしときます。つまり、A子さんの了解も取れたと言う事です。これで、胸のつかえが、取れました。今まで、主張は、していたものの、ヘソを曲げられたら、いかんと思い、だまし、だまし、していたのが、実状でした。これで、妻帯者として死んで行ける事が、ほぼ確定しました〉

宅間夫婦の心境の変化を長谷川氏はこう分析する。

「死刑廃止に邁進する活動家だったA子さんが次第に一人の妻へと変貌する現象が起きたんじゃないかなと思います。A子さんの面会目的が少しずつ変わっていくにつれて宅間さんに少なからず影響を与えたと思います。まあ家族の絆ですよね。それまでの人生で彼が経験したことのないものです」

長谷川氏の口から次いで出た言葉に思わず息を呑んだ。

「ただし見せかけの絆ですよね。A子さんはアクリル板に守られていましたから。もし彼が自分の魂を全力でぶつけてきたら、間違いなく彼女は暴力の被害に遭っていた。彼は心理的に感情をぶつける際、暴力をふるう性向がある。とくに相手が異性で、しかも妻という立場の女性には必ず……」

2004年9月14日、収容先の大阪拘置所で、宅間守の死刑が執行された。

長谷川氏が当日の記憶を語る。

「午前11時頃、A子さんから連絡がありました。『執行されました』と彼女は泣きじゃくっていました。すぐに大阪に向かったのです。遺体が置かれていたのは西成区にある無縁仏の納骨堂がある部屋でした。私が到着すると、A子さんは激しく泣き、棺の蓋を開けて『見てください』と。彼女は亡骸の首を持ち上げ、『ほら、見て、こんなになってる』と食い込んだ縄の痕を見せてきました。

そこでA子さんから遺体引き取り時の状況も聞きました。拘置所の裏門で、棺が載った車に乗ろうとすると、職員が駆け寄ってきて、宅間さんからのメッセージを伝えに来た。『ありがとうって僕が言っていたと彼女に伝えてください』と。この言葉で、彼女は救われたと思います」

遺体が運び込まれた施設

この日のA子さんの行動については、その後の取材でだいぶ明らかになってきた。

宅間の死刑が執行され、死亡が確認されたのは午前8時16分。そして午前9時40分頃に大阪拘置所の職員がA子さん宅を直接訪れ、マンションの1階で対応した彼女に対し、「今朝、綺麗に逝きましたよ」と刑の執行を知らせている。

その後、A子さんは戸谷弁護士や長谷川氏、死刑制度反対グループの関係者などに電話を入れると同時に、大阪市内のQ弁護士のもとを直接訪ねている。

Q弁護士が明かす。

「死刑執行当日、いきなりA子さんが事務所にやってきて、宅間さんの遺体を引き取りたいと頼んできた。それは驚きましたよ。『助けてくれ』と泣きながら事務所に飛び込んできましたから。それで私が拘置所に電話を入れて、そちらに葬儀業者を行かせるからと交渉しました」

葬儀は協力関係にあったNPO法人「葬儀費用研究会」が引き受けることになった。しかしここで問題となったのが、宅間の遺体をどこに運び入れるかということである。

誰もが知る凶悪事件の犯人であり、当然ながらマスコミもその行方に関心を持っている。そこでQ弁護士が連絡したのが、大阪市西成区にある「社会福祉法人 聖フランシスコ会 ふるさとの家」だった。キリスト教フランシスコ会が運営する、日雇い労働者のための支援施設で、建物内には納骨堂もあり、行き倒れた無縁仏の遺骨の保管なども行っている。

「ふるさとの家」を運営してきた本田哲郎神父が振り返る。

「死刑制度反対のグループが中心になって、見送る会を行ないました。奥さんもそのグループの一人のようでした。20人くらいは来られたかな。ご遺体のまわりに献花をして、みんなでそれぞれのかたちでお焼香をしました。A子さんは、どこにでもいる連れ合いを亡くした奥さんという印象しかありません」

宅間守葬儀祭壇写真

宅間の遺体が安置された祭壇

〈対話の時間が欲しかった〉

死刑執行2日後の9月16日、遺体は大阪市大正区にある火葬場で荼毘にふされた。参列者によれば、A子さんは宅間の遺骨を骨壺に入るだけでなく、すべて持ち帰ったという。また、葬儀代金の25万5800円は、彼女が支払っている。

同年9月19日に行われたアムネスティ・インターナショナル日本などが主催する『死刑執行に対する抗議集会』に、A子さんは手記を寄せている。

〈ここに生前の夫が行ないました取り返しのつかない大罪に、衷心よりお詫び申し上げます。また、昨年末の入籍の際には、世間をお騒がせし、恐らくは、多くの方々に大変に不快な思いをお掛けしてしまったであろうことを、重ねてお詫び致します。

本来ならば、親族となった私は、夫に代わり、被害者、及び、遺族の皆様方の前には直々に参上致し、心からのお詫びを申し上げなければならないところなのですが、死刑囚と婚姻したという、非常識とも取られてしまうような立場である私のような者が、未だ心の深い傷が癒えぬままでおられるであろうご遺族の皆様方の前に参上するのは、更にお心の傷を抉ってしまうばかりか、とも思い、静かに時間の経過を待つことだけしか出来ないままに日々過ごして居りました。(中略)

夫の死刑執行の知らせを受けたことにつきましては、今は、ただただ、「許されるのなら、せめてもう少しだけ、彼と対話を続けるための時間が欲しかった」との思いで、自らの力不足を悔やむ以外に術が見つからないような心境です〉(月刊『創』2004年11月号より)

それから17年が経つ。現在の心境を伺えないかと、戸谷弁護士を通じてA子さんに取材を申し込んだが、「申し訳ありませんが、表に出ることは遠慮させていただきたい」との答えが返ってきた。

果たして、彼女は、自ら切望した死刑囚との獄中結婚を叶えた先に、何を見たのだろうか。

(写真=iStock.com)

文藝春秋2021年12月号|なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか

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