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眞子さま、小室圭さんへの「不滅の愛」

猛反対の父・秋篠宮がついに結婚を認めた——。/文・友納尚子(ジャーナリスト)

<この記事のポイント>
▶︎眞子さまと小室さんの結婚への堅い意志は、何があっても揺らぐことがない
▶︎眞子さまのご結婚がここまでこじれた原因は、秋篠宮家の自由を重んじる教育方針が災いした、という意見もある

歌会始で恋の歌を発表

「色々とありましたが、自分を信じて進んで参りたいと思います」

1年が終わりに近づこうとしていた11月末、秋篠宮皇嗣殿下の長女、眞子内親王殿下(29)は、かねてから相談なさってきたという皇室関係者に、現在のお気持ちをこのようにお伝えになった。

眞子さまにとって、2020年は人生の大きな節目の年になった。年の初め、小室圭さん(29)との結婚話は周囲から反対され、暗礁に乗り上げていた。目の前に立ちはだかる山を前にして、それを乗り越えようとお努めになった1年だった。

11月13日に発表されることになった「結婚に関するお気持ち文書」の準備に、眞子さまが動き出したのは、さかのぼること10カ月前の20年1月、「歌会始の儀」の後のことだった。

眞子さまはこの歌会始で、

〈望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな〉

という恋の歌を発表した。

月といえば、小室さんが婚約内定会見で「きれいな月を見つけますとうれしくなり、宮さまにお電話をおかけしています」と語ったように、お二人には大切な符牒だ。下の句は「思う心を持ち続けていたい」という意味で、まさに小室さんへの愛を歌っており、お二人のお気持ちは今も変わっていないという、結婚への決意表明とも取れるものだった。

宮内庁が結婚関係の儀式を2年延期すると発表してまる2年。ご結婚を認めないご両親との会話は途絶えているといわれた。一向に進展の気配が見えない中、1月末、ついに眞子さまは動きだした。現状打破のため、宮内庁の重鎮らを呼び出したのである。まずは彼らの話を聞き、次に自分の変わらぬ気持ちを伝えて、納得してもらわなくてはならないとお考えになったようだ。

2020年秋には発表するとみられていた文書についても、表現などの相談をなさったという。

「ご相談を受けた人の中には、『愛情を受けて育ててもらったのですから、今うかがった話をご両親にしない状況は良くない』とあえて申し上げた方もいたようです。眞子さまは納得していないご様子で、考えていらっしゃったといいます」(宮内記者)

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あの会見は今から3年前

小室さんの留学の成果を報告

その後コロナの感染拡大で世間は騒然となるが、緊急事態宣言が解除された5月、眞子さまは再び行動に出られた。4月に米フォーダム大学のHPに小室さんがもう一人の学生と共に大学OBである金融専門家にインタビューした音源がアップされ、ほぼ同時にニューヨーク州弁護士会のビジネス法部門が発行する専門誌にも論文が掲載された。眞子さまは、このことを小室さんの留学の成果として、ご両親である秋篠宮ご夫妻に説明されたという。

コロナ禍で外出が減り、家族が揃う機会が増えたことで、一時期は口も利かなかったご両親との会話が戻ってきたといわれた。

ご両親の姿勢はその頃から軟化し始めたようだ。夏になると、「強く反対されていた秋篠宮さまも結婚を許す意向に変わってきた」という情報が漏れ伝わってきた。

結婚容認への流れが決定的になったのは、今年9月11日の紀子妃殿下54歳のお誕生日に際してのお言葉だ。

「長女の結婚については、対話を重ねながら、親として娘の気持ちを受け止め、一緒に考えていくことが大切だと考えています」と語り、「長女の気持ちをできる限り尊重したい」と踏み込まれたのだ。

ご両親の理解を得られたのだろうか。眞子さまが9月、8カ月ぶりの公務で日本橋三越本店に外出された時の表情は、実に晴れやかなものだった。11月の「立皇嗣の礼」に向けて秋篠宮家は、足並みを揃えられていた。

眞子さまが長い時間をかけて準備された「お気持ち」を公表したのは「立皇嗣の礼」の5日後の11月13日のこと。冒頭で「両親の理解を得たうえで」と前置きしたうえで、自分と小室さんお二人の気持ちをこう表現した。

〈私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です〉

この「必要な選択」という言葉は、以前、小室さんが眞子さまに語った言葉だといわれる。文書はお二人で相談され、丁寧に書き上げられたものだった。

今後の予定については、〈具体的なものをお知らせすることは難しい〉としたものの、全体としては、眞子さまの結婚に対する強い姿勢が示されていた。眞子さまが結婚への変わらぬ意思を表明されたことで、これに対し秋篠宮がどう「回答」をなさるのかが注目された。

皇嗣・秋篠宮

皇嗣となった父

皇嗣初会見で「容認」

眞子さまのお気持ち公表から1週間後の11月20日、秋篠宮の誕生日会見が赤坂東邸で開かれた。

実際の誕生日は同月30日だが、当日ではなく事前に行われるのが通例だ。宮内記者らの関心は、秋篠宮が眞子さまの結婚をお認めになるかどうかの一点に集中していた。

会見が始まると、秋篠宮は結婚の質問に対して、「それは結婚することを認めるということです」とはっきり述べられた。そして憲法の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するという条文を引用されて、「本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」と念を押された。

はっきりとした「結婚容認」だったが、会見の後半で記者から「多くの人が納得し喜んでくれる状況になったと受け止めているか」と聞かれると、

「(以前の会見で)多くの人が納得し喜んでくれる状況の前提として、今まであった問題をクリア(するために)、相応に対応する必要があると申しました。これは他人のうちのことですので、詳しくは知りませんけれども、では対応を全くしていないかと言えばそんなことはないと思います。ただ、ひとつ言えるのは、いろいろな対応をしているとしても、それが見える形になるというのは必要なことではないかというふうに思っております」

と従来の主張を繰り返され、さらに「結婚と婚約は違いますから」と述べられた。出席した記者たちも、ご真意を測りかねていた。

ある宮内庁OBは、こう言って落胆していた。

「『見える形』とは借金を返済することだと思われますが、ここまで問題がこじれた後、今さら返したところで国民が納得するかどうか。会見内容も秋篠宮の誕生日までは解禁厳禁でしたが、事前に発売された週刊誌が内容を入手して、大きく取り上げている。なぜ皇嗣職は会見を通常通りの10日前ではなく情報が漏れにくい誕生日ぎりぎりにしなかったのか。しかも秋篠宮さまのお言葉は不明瞭な箇所があり、記者の混乱を招くのはたしか。事前質問に時間をかけてお考えを練られたとは思えませんでした。皇嗣となった初の会見でもあります。このような準備不足な状態でご会見に臨まれるとは……」

皇族のご結婚は難しい。眞子さまのご結婚がここまでこじれた原因は、秋篠宮家の自由を重んじる教育方針が災いした、という厳しい意見もある。

「三笠宮家の寬仁親王殿下は、彬子女王が英国に留学される際、『思いっきり自由にして来なさい。でも結婚は別だからな』とはっきり念を押していたといいます」(報道記者)

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三笠宮寬仁親王殿下

内定会見をなぜ急いだか

秋篠宮の胸中にあるのは皇嗣としての責任なのか、あるいは、娘の将来に対する不安だったのか。真意はわからないが、結婚は容認したものの、全面的に賛成というわけではないことは伝わって来る会見だった。

翌日の写真撮影では、ご一家は庭で笑顔をお見せになっていた。室内の撮影でもソファに肩を寄せ合って5人が座られて、和やかな雰囲気だったという。

眞子さまと小室さんの婚約が内定したのは、2017年(平成29年)9月3日のことだった。

会見でのお二人は仲睦まじいご様子で、眞子さまは、「居心地が良く、笑顔あふれる家庭をつくることができれば、嬉しく思います」と幸せそうに述べられていた。

実はこの日、婚約内定会見が開かれることにいちばん驚かれたのは、皇太子殿下同妃両殿下(天皇皇后両陛下)だった。皇室の大切な慶事を当日の朝になってから、行啓先の奈良県で知るのは異例なことだった。

眞子さまと小室さんの笑顔のご様子と両殿下が驚かれているご様子を合わせて考えると、アンバランスなものを感じずにはいられなかった。眞子さまと小室さんが、急遽、婚約をしなくてはならない理由が何かあったのではないか。

実際に眞子さまの周辺を取材すると、複数の見方があった。

ひとつは、前年にお二人が“電車デート”している写真が「週刊女性」に掲載され、秋篠宮家側がこれ以上、マスコミに情報が出ることを嫌い、結婚前提の正式な関係であることを表明したかったのではないか、というものだった。これは皇室のイメージを守るという意味で真実味のある理由ではあったが、もうひとつの理由は、2016年に生前退位の意向を表明された陛下(上皇)と美智子皇后陛下(上皇后)による「朝見の儀」(結婚に際して天皇皇后にあいさつする儀式)に間に合わせたかったというものだった。

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小室氏

「2人だけで決めよう」

上皇上皇后ご夫妻にとって、眞子さまは初孫である。美智子さまも、眞子さまの小さい頃に蚕の世話の仕方を教えるなど可愛がられていた。こうしたことから、両陛下からお祝いのお言葉をいただけるように周囲が急がせたのではないか、ということだった。

いずれにしても、眞子さまと小室さんの婚約内定が慌ただしく進められたのは、ご本人たちの意思だけではなく、周辺から背中を押されたことも大きかったということだ。

マスコミは、眞子さまのお相手がどんな男性なのかということに注目した。同じ国際基督教大学(ICU)出身だということはすぐに分かり、徐々に詳細な人物像にまで焦点が当てられるようになった。

紀子さまは17年11月の会見で、小室さんの人物像について、「小室さんの優しいピアノの音色を聴きながら、私たちは心和むひとときを過ごしました」と語っていた。

インターナショナルスクールを卒業して英語も堪能。神奈川県藤沢市観光協会の「海の王子」に選ばれたことには賛否が分かれたが、それだけの器量となれば、期待が高まるのも無理はなかった。

取材合戦が繰り広げられていた同年12月、小室さんの母親が元婚約者との間に400万円の金銭トラブルがあるとスクープされた(「週刊女性」12月26日号)。この報道で小室家のイメージは一転した。

記事は話題となり、他誌やテレビも追随した。元婚約者は、名前こそ伏せていたが、多くのインタビューに応え、小室家の私生活まで明かすスキャンダル的な記事もあった。世論の底流には、眞子さまの皇籍離脱に伴う一時金が上限の1億5250万円支払われるとみられることへの反発があった。

宮内庁は慌てふためいた。退位を控えられた両陛下にご心配をおかけしてしまうと語る職員もいた。

眞子さまもまた、ご自分と婚約したことによって小室家の過去が世間に露呈され、結果的に圭さんや圭さんの母親に迷惑を掛けてしまったのではないかと、心苦しい思いをされていたという。

翌年2月、宮内庁は「納采の儀」を2年先の2020年に延期することを発表。その時、眞子さまは、ことを急いだことへの反省の言葉を綴られた。

〈色々なことを急ぎ過ぎていたのだと思います。ここで一度、この速度が自分たちに本当に合っているのかを慎重に考えるべきでしたが(略)そのまま前に進むという選択をしてまいりました〉

急いだことは、自分たち2人の責任として認めていらっしゃるようにも受け取れるが、実態は必ずしもそうではなかったという。

「眞子さまは、内心、『急がされた』と思われていたことも確かです。婚約内定を大人たちの都合に合わせて早めたのに、今度はまた大人たちの都合で延期にされたと複雑な思いを抱かれたといいます。後に、この時に感じた思いから、結婚は周囲の人に押し流されることなく、自分たち2人だけで決めようという堅いご決心に繋がったようでした」(秋篠宮家関係者)

婚約延期が発表されてから、小室さん母子が秋篠宮邸に出入りする姿が確認されるようになった。2人は宮邸での話し合いの場で、「400万円は借金ではなく贈与だ」と言い切ったが、ただ一度だけ、考えられる返済方法について話したことがあった。これに対し秋篠宮は、「それはこちらに相談することではありません」と応じ、2人の態度に不信感を募らせるばかりだったといわれる。

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いま29歳(宮内庁提供)

母ゆずりの「強い性格」

母親の金銭問題が明るみに出た後、小室さんに向けられる皇室内の視線も変わり、また返済しないことでさらに厳しくなった。そもそも皇族の配偶者にふさわしくなかったという雰囲気が広がり、事前の調査が不十分だと責任を問う声まで上がった。

「実際に小室さんのことを調べようと思えば1日で出来ますが、プライベートなことなので調べていることが秋篠宮ご夫妻にわかってしまったら我々との信頼関係にかかわりますから……」と言い訳する職員もいた。

秋篠宮家と小室家の話し合いは平行線のままで、一時期は小室さんがこれ以上、眞子さまに迷惑をかけてはいけないと身を引こうとした。その後に小室さんは勤めていた日本の弁護士事務所から留学費用を借りて米国のフォーダム大へ留学した。

翌年の2019年1月、小室さんは借金問題について、騒動から13カ月後にようやく文書を公表。母親が元婚約者から金銭的な支援を受けた経緯を説明し、〈すべて解決済みであることを2人は確認した〉とした。

婚約を解消したのであれば「金銭的な支援」は返済すべきという意見もあるが、突然理由もなく婚約を解消された母子は、返済義務に当たらないと考えていたようだ。

眞子さまは小室家に共感

宮内庁には連日のように「眞子さまに小室家はふさわしくない」と抗議の電話が鳴るようになったが、小室さんは意思を変えなかった。秋篠宮ご本人から解決を促されても、あくまで「解決済み」と主張を貫く。小室さんの「強い性格」は、母ゆずりのものだといわれた。

小室さんの母に対する世間のイメージは、決して芳しいものではない。サングラスやアンクレットは派手に映り、記者を避けるために度々、タクシーを使う姿は、金銭的な余裕すら感じられた。とても400万円が返済できない生活ぶりには見えなかった。

母親をよく知る人物は、「決して贅沢な暮らしはしていないと思います。高齢の父親と2人の生活なので、日常のお世話とパート勤めだけの平凡な毎日ではないでしょうか」と言う。

「ただ婚約が内定してからは、『息子のためにも身なりに気を使わなくてはならないから』とは言っていました」と話す。借金問題について尋ねると、

「彼女にとって、母として真面目に生きてきたということがアイデンティティだといいます。婚約を解消されて本人も深く傷ついた。ようやく立ち直った今頃になって、返せといわれることに難色を示していました。『借金』と言っても合意のうえで支援してもらったものです。たとえ子どもの結婚のためであっても、自分の人生そのものを否定することになりかねない。そんな生き方は、息子にも胸を張れないと考えているようです」

筆者の取材でも、母親の元婚約者は、「食事の後に手を握ろうとしたら振り払われた」と言い、「(母親は)どちらかというと潔癖な方」だと話していた。

ただ、一人息子である圭さんへの溺愛ぶりは相当なものがあると感じた。これも元婚約者から聞いたエピソードだが、小室さんが学生時代に留学する際、元婚約者が運転する車でドラッグストアに立ち寄ったところ、母親が避妊具を買い与えた。小室さんも元婚約者の前でそれを黙って受け取ったというので、正直驚いた。

親一人子一人で世間の荒波をかいくぐって来た自負はあるだろう。母親にとって小室さんは何よりの希望であることは事実だ。小室さんもわずか10歳の時に父を亡くし、母親を守りたいという気持ちは人一倍強いにちがいない。眞子さまは、そういう2人に共感なさっただろう。金銭問題についても小室さんを支持している。

感染者が多いニューヨークでの生活を母親と眞子さまは心配しているというが、小室さんの留学はすでにロースクールの最終年(3年目)に入り、21年5月には修了する予定だ。現在は、修了後の7月に受験するとみられるニューヨーク州の司法試験に向け、大学の授業を対面とオンラインで受けている。試験の結果が出るのは10月。眞子さまは30歳を迎えられている。

皇女第1号は決まり

秋篠宮が会見で「結婚容認」を示された頃、結婚によって皇籍離脱した皇族女子に「皇女」という新たな尊称を贈る新制度案が急浮上した。愛子内親王殿下、眞子さま、佳子内親王殿下、黒田清子さんを対象として、結婚した後も皇室の活動を継続していただき、皇室の負担軽減を目指すという案だ。特例法を制定し、公務員としての手当も支給される。結婚を認められた眞子さまを「第1号」と意識しての新制度であることは明らかだった。創設された場合、眞子さまが結婚した後も皇室の活動を行っていくことになるが、果たしてそのお姿は見られるのだろうか。

名古屋大学大学院人文学研究科の河西秀哉准教授はこう話す。

「皇族が減ってしまう問題は前々から解決すべき問題でした。しかし女性宮家の創設はハードルが高く、小室さん問題でさらに後退した。今回は、民主党政権時代に議論していた3つの案の中で最も軽いものを採用した感じがします。小室さんに対する逆風や保守派にも配慮ができ、皇室典範を変えなくてもいいから玉虫色。眞子さまの結婚に間に合わせたのでしょうが、継承問題の解決策にはなりません」

眞子さまと小室さんは、この3年間も逆風が吹き荒れる中を突き進まれてきた。何があってもお二人の堅い意思は揺らぐことはないだろう。

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文藝春秋2021年1月号「眞子さま「不滅の愛」」

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