
小説 「観月 KANGETSU」#8 麻生幾
第8話
塩屋の坂 (3)
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七海は、涼が口を開くより先んじて一方的に捲し立てた。
「やっぱし殺人事件? 犯人ん目星は? 恨みから? それとも通り魔?」
「ちょ、ちいと待てちゃ。捜査んこと、言ゆるはずねえっちゃ」
「殺されたんか、ってことだけでん教えち」
七海がせっついた。
一瞬、間を置いてから、涼が諦め口調で言った。
「わかったちゃ。殺人であるこたあ断定された」
「じゃあ犯人ん──」
「そこまで!」
涼が遮った。
「今度はこっちん番や」
涼が語気強くそう言って続けた。
「七海に、確認してえことがあるんや」
「なに?」
さっきから涼の態度が解せない七海はぶっきらぼうに応じた。
「熊坂さんから、奥さんの、良子さんのことについちさっき話ぅ聞いたんな、オレと県警本部んしやったんだけんど、そん後、オレ、そっと聞いたんや、昨夜んこと」
「それで?」
七海が言った。
「それが妙なことになっち……」
涼が躊躇いがちに言った。
「妙なこと?」
「熊坂さん、昨夜は、そげな時間にそこへは行っちょらんって……」
「えっ?」
「ずっと自宅におったと……」
涼が言い淀んだ。
「自宅?」
熊坂さんの自宅は、杵築城が見下ろす杵築大橋を渡った先の住宅街にある。車なら、七海の自宅から10分もかからないことを七海は思い出した。
「あんさ(あのさあ)、昨夜は雲が出ち月明かりがなかったんで、暗うて見間違えっちことも……」
涼が辿々(たどたど)しく言った。
「何ゅ言いよんの!」
苛立った七海はさらに続けた。
「襲うた男ん顔は分からんかったけんど、熊坂さんの顔は、涼が乗ったパトカーんヘッドライトじ照らされてはっきりと見たんちゃ」
「そりゃ聞いたけど……」
「涼、私んこと信じられんってこと?」
「分かった、分かった。もちろん信じちょんちゃ」
涼が宥(なだ)めるように言った。
「本当に、見間違いやねえって!」
七海は納得できなかった。
「なら、なし、熊坂さん、なすらごとぅ……」
七海もそのことが気になった。
「熊坂さん、それにしてん、不審な点が多過ぎる……。取り調べで、ずっと黙ったままだし、それに、口ぅ開いたち思うたら、妻が殺されたんな自分のせいだ、と繰り返しち言うちみたり……」
涼が独り言のようにそう言った。
「自分のせい、ってどげな意味?」
七海が訊いた。
「あっ、言うちしもうた」
涼が慌てた。
「もしかして、熊坂さんが奥さんを?」
「七海、今ん話は聞かんかったことにしちくりい」
七海が口を開きかけた時、涼が先んじて言った。
「それで、一応、了解ぅ取りてえことがあるんや」
「了解?」
「昨夜ん熊坂さんのこと、捜査本部に話ぅしちいいか?」
七海は戸惑った。
承諾すれば、すなわち、正式な事情聴取を受けることになるだろうと簡単に想像できた。
しかし、人生がかかっているとも言える、来週のプレゼンテーションの準備を考えると、平日の昼間に長い時間を割くことはできない、と思った。
ただ、殺人事件が起こった以上、非協力の姿勢のままだと、いつかそれがバレて、拙いことになるかもしれない、とも七海は思った。
「もし、事情聴取ぅ受くることになったら、涼、あんたが担当しちくりい?」
七海は渋々応じた。
「そん代わりに、さっきん、熊坂さんが口にした、自分ん責任って、教えち(教えて)」
七海がせがんだ。
「それは……あっ、行かな、じゃっ、また電話するけん」
忙しい雰囲気で涼は電話を切った。
「なんな、勝手に電話を切っち」
七海が唇を突き出した。
「どうかした?」
貴子が声をかけた。
「涼から。やっぱし、殺人事件だって……」
スマートフォンを卓袱台の上に置いた七海が溜息をついた。
「七海、今の電話で、襲うちきた男やら、パトカーんヘッドライトで熊坂さん見たやら、とか、それ何んこと?」
貴子が詰問口調で訊いてきた。
「そげなこつ言うたっけ?」
七海はとぼけた。
(続く)
★第9話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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