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“No.1百均”ダイソーの「在庫があるとうれしい」独自の経営哲学

誰もが知る100円ショップブームの先駆け企業を強くしたのは「将来を怖がる力」だった。/文・樽谷哲也(ノンフィクション作家)

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▶︎自らを笑われ者にし、道化を演じ、相手を己の懐に絡めとる人心収攬の術に長けた男。それがダイソー創業者の矢野博丈だ
▶︎雑貨の移動車販売をやっている頃、「これいくら?」と聞いてくる客に「全部100円でええよ!」と答えたことが百均の興りである
▶︎ダイソーは91年に直営店第1号をオープン。消費不況、デフレを追い風にして店舗網を拡大してきた

「潰れる怖さから必死に逃げてきた」

東広島市内の工業団地の一角に小ぢんまりとあった大創産業の本社を初めて訪ねたのは、26年前の夏のことである。100円ショップなるものが大衆のブームとなり始めたころのことで、本社も、商品がうずたかく積まれている倉庫兼物流センターも、急ごしらえの掘っ立て小屋同然のプレハブ造りであった。安手のパーテーションで仕切られたあちこちの狭いスペースで、従業員と取引先の商談がわいわいと盛んであり、伸び盛りの急成長企業とはかくあるやと妙に感心した。

歩けばミシミシと音がする本社の廊下を、社長の矢野博丈は、サンダル履きで駆けていた。間仕切り越しの商談ににゅいと顔を突き出し、「安うしてな」、「しっかり商談せいよ」と取引先にも従業員にも声をかけながら、私の待つ間仕切りスペースにどっかと腰を下ろした。

「仕入れっちゅうのは格闘技だと、従業員に教えとるんです」

そのとき矢野が差し出した名刺には、《100円均一のトップカンパニー DAISO》というコピーとロゴとともに、《◆売上高115億円》と印刷されていた。実際の大創産業は年商300億円突破が目前となっていた。会社の急激な成長に、名刺の印刷が追いついていなかった。むろん、駆け出しの記者であった私が四半世紀も前に本社へ赴いたことを矢野が覚えていようはずもない。

このたび、取材場所として冬の午後に指定されたのは、東京湾に面して建つタワーマンションの最上階であった。天井は6メートルはあろうかという高さであり、海側は壁一面が強化ガラスとなっていて、羽田空港を離発着する飛行機、レインボーブリッジ、なにかと話題になっている豊洲の東京都中央卸売市場が一望できる。まさしく億ションという代物であろう。矢野は「東京の住まいの一つじゃが、こんなマンション、いくつも持っとる」と窓からのまぶしい景色を眺め、「海はええのう」と呟(つぶや)いている。地べたを這いずり回るような苦労の果てに巨万の富を手にした成功者の、これはこれでひとつのリタイア後の暮らし向きというものなのであろう。

古い思い出と記憶をたどりつつ、あのころは本社も倉庫も質素でしたね、と語りかけた。矢野は、丸顔の眉根を寄せながら「あの時代があるから、強うなって、いまがあるんです」と語気を強めた。

驚いた。矢野が「あのころを知っておられるんですか……よう働きましたわ……ありがたい」と絶句し、金縁の眼鏡をずり上げながら、涙をぬぐい始めたからである。「潰れる怖さから必死に逃げてきた」と。

四半世紀の星霜、また、人と世の移り変わりというものを考えさせずにおかなかった。

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矢野氏

名刺の肩書は「怪鳥」

100円ショップ「ダイソー」の名を知らぬ人は日本にいるまい。国内で約3500、海外でも26の国と地域に合計で約2300もの店舗を展開し、いまや「DAISO」のロゴは世界中に広がりつつある。矢野は、「2019年にマツダを抜いて、中四国地方では納税額で一位になりました」と、さらりと口にした。

19年度の年商を5015億円と公表している大創産業だが、後発の同業であるセリアやキャンドゥと異なって株式非公開会社であり、経営にまつわる詳細なデータを徹底して明かさない。あとは資本金が27億円と公表しているくらいである。株主の構成も非公表だが、おそらく資産管理会社や各種財団なども通して、その多くを矢野博丈の支配するところと考えるのが常識であろう。

プレハブ造の本社を駆け回っていた矢野も、いまや喜寿を迎えた。先年、無理と慢心が祟って2度も脳梗塞に倒れながら幸い大事に至らずに済んだということも、矢野博丈の人生観を変えずにおかなかったろう。

仮に100億円あろうと1000億円あろうと、人はそれを冥途の道連れにすることなどできぬ。老境に差しかかり、無病息災ならぬ二病息災を実感しているであろう矢野博丈に、この際、自慢でも放言でも聞いてみようではないかという気でいた。と、会話を重ねた途端に四半世紀前を否が応でも思い返す仕儀に至った。

「これは、わしの親父からの、おでんじゃなくて遺伝……」

相変わらず、しょうもない駄洒落が繰り出されてきたからである。

かつて、東広島のプレハブ造の本社で向き合ったとき、在庫を大量に抱えることで御社にどんなメリットがあるのですか、と訊ねるや、矢野は真顔で「シャンプーでっか? リンスでっか?」と広島弁で問い返してきた。商品名のことか、と気づきながら無視して、問いを繰り返した。御社にどんなメリッ……と、こんどは言い終わらぬうちに「シャンプーでっか? リンスでっか?」と、なお食い下がって譲ろうとしない。ありきたりの答えでは面白みなぞないし、勢いづく経営者にやすやすと一本を許してなるものかと意地になった若造は、とっさに「リンスインシャンプーでどうでしょう」と捻り出した。矢野は、ゴリラのような顔をくしゃくしゃにして「ぐはは」と笑い、「で、なんの話でしたっけ?」と惚(とぼ)けたように真顔に戻るのである。万事がこの調子で、駄洒落につきあっているうちに問いは少しずつはぐらかされ、話題の核心は微妙にずらされていくことになる。

「わしは、人を喜ばせるのが好きなんです。笑わせるのが好きで、驚かせるのが好きじゃけえ」

プレハブの本社でも聞いたのと同様のことを矢野は何度も口にした。

大創産業の社長の職は、2018年3月、次男の靖二に譲り、自らは代表権のない会長に就いた。翌19年の7月にその職を降りるまで、名刺にもジョークを持ち込んで「怪鳥」という肩書を刷っていた。受け取った相手は目を白黒させ、矢野の顔と名刺を交互に見比べる。自らを笑われ者にすることで、人を笑わせるという、道化を演じているようで、相手を己の懐に絡めとる人心収攬(しゆうらん)の術(すべ)に長けた、ただならぬ男、それが矢野博丈である。

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姓名判断で改名

「頭が悪い、能力がない、運がない」

矢野は、自らを称し、耳にたこができるほど、そう繰り返した。

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