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吉永みち子「鬼の熊ちゃんのこと」

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文・吉永みち子(ノンフィクション作家)

ある朝のこと。友人の大澤孝征弁護士から電話が入った。

「熊ちゃんが亡くなったって。今、連絡があった」

声がうろたえていた。私も信じられずに呆然としていた。熊ちゃんとは、熊﨑勝彦さん。巨悪と戦う鬼の東京地検特捜部長で、退官後は日本野球機構のコミッショナーとしても活躍していた人である。

巨額脱税事件やゼネコン汚職や大蔵省接待汚職事件に検事として辣腕をふるっていた頃は、コラムなどで頑張れ熊さんと遠くから応援していたが、実際にお目にかかったのは検察を去る日だった。司法修習同期の大澤弁護士が、これからふたりでお疲れ様の飲み会をするのだという。ふたりだけ? それならひとり増やして、市井の民代表として私もご苦労様を伝えたいと乱入の意思を伝えたところ「いいよいいよ」ということになって願いが叶ったのだ。もう20年近く前のことだが、初対面の挨拶の後で一気に10年の時を飛び越えた勢いで意気投合。二次会三次会と店を変えて未明まで。途中でどんどん人が増えて、最後は4倍ぐらいに膨れ上がっていた。よく笑い、よくしゃべり、どんどん人を引き付けていく。大きくなっていく人の輪にびっくりしたが、今思うと最初からいかにも熊ちゃんらしい展開だったのだと思う。

ただ、私が勝手に抱いていたスキがなくジワジワと追い詰めていく怖そうな特捜検事のイメージとはあまりに違う。黙って座っていると端正な顔だちで威厳十分なのだが、ひとたび話すとべらんめえ口調で笑うと人懐こさがにじみ出てくる。

知り合ってすぐの頃は、どのように被疑者に容疑を認めさせるのか知りたくて、テレビドラマで見るシーンを想像しながらいろいろ聞きまくっていた。

「ガサ入れの時とか、熊ちゃんは何をしているの? どこに目を付けてどんな方向で捜すの?」と聞いたことがあった。

答えは「俺はいつも本棚を見てるんだよ。この人はどんな本を読んできたのかなと思うわけよ。で、いろいろ考えるんだよ。こんな本を読んできた人が、なぜどこで変わったのかなとかさ。人が罪を犯すって悲しいことなんだよな」

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