観月_修正

小説「観月 KANGETSU」#27 麻生幾

第27話

参考人聴取(5)

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 七海のその言葉で困惑の表情を浮かべた涼は、七海と正木の顔を見比べた。

 だが正木は、涼を一瞥(いちべつ)もせずに立ち上がった。

「遅うまで申し訳ねえやった」

 正木は頭を下げた。

「いろいろ言うたが、被害者の無念を一刻も早う晴らしてえ、そん一念であるゆえんこととご理解くりい」

「いえ……お仕事でしょうから……」

 さっきまでの態度とまったく違うことに七海は戸惑った。

「駅まで送っち差し上げろ。ほら早う」

 正木は涼をせき立てた。

 七海と涼を通路で見送った正木は、すぐ先のドアの前で待ち構えている、捜査第1課の直属の部下、田原(たはら)巡査部長へ素早く視線を向けた。

「で、さっきん続きだが、確認した話やろな?」

 正木が捜査本部に向かいながら囁き声で訊いた。

「はい。保険会社には真正面から確認しました」

 正木は一度頷いてから口を開いた。

「それにしてん奇妙な話や。妻の久美の生命保険なら、それが動機としち浮上するが、自分への保険たあな……」

「それも、さきほど報告したごつ、熊坂ん年齢からしちみると、めい一杯ん限度額である2000万円保証ん死亡保険――」

 田原の言葉に、正木は低い声で唸った。

「それも事件の2ヶ月前の契約です。事件と何か関係あるのでしょうか?」

 正木はそれには応えず、腕時計へ目を落とした。

 七海への聴取があったので、現在行っている熊坂の調べは部下に一時的に任せたが、もはや帰さなければならない時間だ、と正木は気づいた。

「本人にぶつけたのか?」

 正木が訊いた。

 田原は首を左右に振った。

「いえ、その事実はさきほど入ってきましたので――」

「班長には?」

「それもまだです」

 田原が即答した。

「よし、まず班長に報告しちから、急ぎ、熊坂に当てる」

 捜査本部に戻った正木が、数人の捜査員と話し合う班長の植野(うえの)警部に近づいた時だった。

 まず報告しようとした正木に先んじて植野が言った。

「正木、ついさっき本部捜査共助係から連絡が入り、やんがち(間もなく)東京の警視庁の捜査第1課から、捜査協力に関する電話が入るちゅうことや。対応しろ」

「私に? なし私ですか? 事件を抱えちょるんですよ。なんに捜査協力など――」

「話を聞けばわかる」

 植野はそれだけ言うと、他の捜査員との話を再開した。

 捜査本部のどこからか正木を呼ぶ声がした。

 声の主を探す正木の目に入ったのは、電話の受話器を持ったままの別府中央署の刑事課員の姿だった。

「内線16番によろしゅう」

 正木はそう声を張り上げて、自分のために用意されている席に座った。

 呼び出し音が鳴るのを待って正木はゆっくりと受話器を取り上げた。

「大分県警捜査1課の正木警部補です」

「この度はお忙しいところ申し訳ございません。警視庁捜査1課の萩原警部補です」

「どうも。で、捜査協力ん依頼ん件やらとかですが――」

「申し訳ないのですが、その件です。今朝、都内で発生しましたコロシ(殺人事件)のマルガイ(被害者)の足取りが、そちら、杵築市と関係がありまして、急ぎ、お伺いしたい、そのお願いです」

 滑舌も良く萩原が説明した。

「ご要件はわかりましたが、ほいだら、本部捜査1課の他の誰かとお話された方がよろしいかと。こちらは、捜査本部でありましち――」

「熊坂洋平――」

 正木の言葉を遮って萩原は、突然、そう告げた。

 正木は咄嗟に言葉を返せなかった。

「マルガイの携帯電話の、最近の発信記録にその名前があったのです」

 萩原の言葉に、正木は大きく息を吸い込んで椅子の背もたれに体を預けた。

「しかもマルガイは、大分県警警備部の元警部補です」

 萩原が押し殺した声で言った。

(続く)
★第28話を読む。

麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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