皇室の危機を考える「天皇を鍛えた男たち」 米田雄介
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皇室の危機を考える「天皇を鍛えた男たち」 米田雄介

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川村純義、乃木希典、小泉信三……個性豊かな教育者がいた。/文・米田雄介(元宮内庁書陵部編修課長)

即位する前にいかなる教育を受けるべきか

秋篠宮家のご長男・悠仁さまが、昨年9月で15歳になりました。今年の高校進学を前に、学習院へ行かれるのか、あるいは筑波大学附属高校など別の高校へ進まれるのかが、世間の関心を集めています。

しかし、悠仁さまへの教育において、本来なら最も大事な視点が他にあるのではないかと感じます。

それは「帝王教育」です。

帝王教育とは、いずれ天皇になるために必要な見識などを身につける教育です。即位する前にいかなる教育を受けるべきかという課題は、歴代天皇をめぐって常に存在してきました。

では悠仁さまに対しては、どの段階で、帝王教育を進めるのか。教育環境が変わる今を逃すと切り替えのタイミングが難しくなるように思いますが、私はそれを検討する以前の問題が現状にあるのではないだろうかと案じています。

私はかつて宮内庁で、皇室関係の史資料や文書などを管理・編修する書陵部に勤めていました。正倉院事務所長を経て退職した後は、歴史学研究者として、皇室関係の著書や編著を出してきました。

今回、この国で行われてきた帝王教育を歴史的に俯瞰し、現代の問題を位置づけてみたいと思います。また、皇太子の弟宮への教育が、兄宮と同等に行われるべきか否かが問題になることがありますので、世間に誤解がある「皇族教育」についても、おいおい触れていきます。

まずは帝王教育の制度についての書物を見てみると、古くは8世紀初め(701年)に完成した『大宝令』があります。ここでは東宮(皇太子)に対して、東宮傅とうぐうふを1人置くと規定しています。東宮傅とは「道徳を以て東宮を輔け導く」、つまり天皇になるにふさわしい人格を形成させるための“人間教育”を担う立場。天皇に対する太政大臣のような位置づけです。

東宮傅の下には、東宮学士が2人置かれます。彼らが実際にいろんな学問を教える立場です。また、皇太子の兄弟姉妹である親王や内親王には、それぞれに1人ずつ、文学という教育担当者が置かれます。

東宮学士と文学を比べると、明確にランクが違います。これらの制度はやがて形骸化していきますが、皇太子とそれ以外の方の教育に差をつける形式は残っていきます。

悠仁

皇位継承順位2位の悠仁さま
(宮内庁提供)

『禁秘抄』という天皇の教科書

当時の教科書はいずれも中国から伝来した書物でした。たとえば、帝王の政治に必要な名文を抜き書きしてまとめた『群書治要』。宇多天皇(867~931)は、皇太子敦仁親王(後の醍醐天皇)に書き与えた『寛平御遺誡かんぴょうのごゆいかい』において、こう記しています。

「唯『群書治要』のみ早く誦習すべし」。早くこの教科書を暗誦できるほど学習しなさいよ、と勧めているわけです。

また、善政を行った唐の太宗と臣下との問答をまとめた『貞観政要』という教科書は、近代になっても、明治天皇や大正天皇が学んだことが確認できます。

8~9世紀から歴代の天皇が学んできたこうした古典は、中国の書物なので、儒教的な教えが前面に出ています。ただ中国と異なる事情として、日本の天皇制度の底流には、天照大神のような神話や伝説があります。そうしたものが平安時代以降、だんだんと表へ出てくるようになってきます。

そうした流れの中で、天皇が心得るべき重要事項として「神事」を扱う教科書が出てきます。順徳天皇(1197~1242)の著した『禁秘抄(きんぴしよう)』です。天皇の日常的な心得や儀式についてまとめており、冒頭では「およそ禁中(宮中)の作法、神事を先にし、他事を後にす」と示されています。日々神を敬うことを怠るな、という考え方です。

禁秘抄については、私自身、忘れがたい思い出があります。

宮内庁書陵部編修課長だった時のこと。元掌典長の永積寅彦さんが私に対して、「禁秘抄にはこういうことが書いてあるようですが、どうですか?」と尋ねてきたのです。

永積さんといえば、後にも触れますが、昭和天皇の数少ないご学友のお一人です。そして掌典長というのは、宮中の祭祀を担当する最高責任者です。

いつも紳士的な永積さんが、ちょっとおかしそうに笑みを浮かべておられる様子から、「これは試されている」とピンときました。具体的に何の記述だったかは失念しましたが、永積さんに「はい、そういうことであります」とかしこまって答えながらも「永積さんが知らないはずがないのになぁ」と内心思ったのを覚えています(笑)。

この一件のおかげで、禁秘抄がいかに現代まで大事にされてきたかがよくわかりました。永積さんも10代の頃から、昭和天皇とともに学んでおられたのでしょう。

天皇が楽器を演奏する理由

また、禁秘抄には「諸芸能事」という項目があります。

そこには「第一、御学問なり。それ学ばざれば、即ち古道に明らかならず」と記されています。学問を大事にしなさいと、後の天皇となる人たちに言っているのです。平安末期から鎌倉、室町時代において、天皇が政治的な権限をほとんど持たなかったことが背景にあります。学問に精を出すことで、自らの存在意義を守る面もあったでしょう。

諸芸能事の第2は管絃、第3に和歌と続きます。いずれも、歴代の天皇が実践してこられたことです。

管絃とは楽器を演奏することですが、ただ音楽を楽しむという以上の意味があると私は捉えています。音楽というものは人間にしかできない作業です。その作業を通して人間性を高めているのだと思うのです。

現代でも、上皇がチェロを、天皇がビオラをおやりになるのは、そうした帝王教育の流れに位置づけられるのではないでしょうか。いずれも西洋の楽器ですが、禁秘抄の時代のように琵琶をプルルンと弾いていたらちょっとアナクロな感じもしますので、時代に合わせた楽器を演奏なさるということでいいのだろうと思います。

一方で、日本の伝統文化は皇室の中で伝えられる、ということもよく言われます。一般社会ではほとんど消えてしまっている伝統文化でも、皇室があることによって引き継がれ、維持されているものがあるのです。

歌会始は、まさに典型例です。人々が集まって共通のお題で歌を詠み、披露する「歌会」は、奈良時代以降行われていた伝統文化です。他にも宮中では、様々な年中行事が行われています。私は直接タッチしたことはありませんが、関係者の話を聞くと、祭祀が行われる日には、伝統に則った準備をし、お供えすべきものをお供えするということを維持しているそうです。だからこそ、禁秘抄の教えが現代まで生きているとも言えるわけです。

乃木流「質実剛健」の教え

近代に入ると、帝王教育にも時代に応じた変化が生じます。日本が近代国家として確立するには、天皇となる人がいかにあるべきかと考えられるようになるのです。

礎を築いたのは明治天皇です。大正天皇が幼少の頃から病気がちで十分な教育ができなかった反省を、孫である迪宮みちのみや裕仁親王、つまり後の昭和天皇に生かしたのでしょう。生後70日目から、信頼を置いていた枢密顧問官で海軍大将(死後昇進)の川村純義に養育を任せます。

明治天皇らの意を受け、川村家では次のような養育方針を定めます。

(1)心身の健康を第一にすること
(2)天性を曲げぬこと
(3)ものに恐れず、人を尊ぶ性格を養うこと
(4)難事に耐える習慣をつけること
(5)わがまま気ままのくせをつけないこと

この方針に基づき、川村家は純義亡き後も昭和天皇満4歳まで、家族ぐるみで厳しく躾けたのです。

私は幼い昭和天皇が砂浜で裸になって相撲を取らされたという話を聞き、半ば気の毒なような気持ちを抱いたことがあります。天皇になる人にそこまで無遠慮でよかったのだろうか、と。しかし川村は、元首たる天皇にはとにかく壮健な体を作ることこそが不可欠だ、という確たる信念を持っていたのでしょう。

この信念の延長上にいたのが、やはり明治天皇の信任が篤く、学習院院長を命じられた陸軍大将・乃木希典でした。学習院初等科に進んだ昭和天皇は、乃木の教えを受け、雨の日でも徒歩で通学し、鉛筆や消しゴムは持てなくなるまで使い、継ぎのあたった服を着ました。

乃木希典

乃木希典

冬には、乃木から「今日のように寒い時や雪などが降って手のこごえる時などでも、運動をすればあたたかくなりますが、殿下はいかがでございますか」と尋ねられ、「ええ運動します」と答えたという逸話も残っています。

まさに質実剛健の教えです。

昭和天皇は初等科を卒業後、中等科には進学していません。乃木が発案し、明治天皇が裁可して設置された東宮御学問所で学ぶことになったからです。総裁は、海軍大将の東郷平八郎。東大や学習院などの教授や一流の知識人らを結集し、この国の天皇としてあるべき人物をつくりあげるための特別な教育機関です。

皇太子時代の昭和天皇はこの御学問所で、先ほど挙げた永積さんら5人のご学友とともに、7年間学びました。倫理をはじめ、歴史、数学、化学、地理、博物、仏語、国文、漢文、美術史、法学、経済学、馬術、軍事講話……。未来の天皇として、幅広い教養を身に着けたのです。

ちなみに昭和天皇の3人の弟宮(後の秩父宮、高松宮、三笠宮)は、学習院中等科を出て、それぞれ陸軍や海軍の学校へ進んでいます。皇太子とは、受ける教育に明確な違いがありました。

今上天皇と秋篠宮殿下の場合もそうですが、「なぜ弟宮に皇太子と同じ教育を受けさせなかったのか」と言う人がいます。しかし、差をつけるのは歴史上、当たり前のことです。

なぜなら、弟宮本人ではないにせよ、弟宮を取り囲む人たちがクーデターを起こす可能性があるからです。「天皇が受けるべき教育を、我々が支えている宮様も同じように受けている。それなのになぜ天皇になれないのか」などと誰かが言いだしたら、大変なことではないですか。

そんなことがあってはならないという考えが、古からの帝王教育と皇族教育の違いに表れているのです。

また、明治天皇の下で制定された大日本帝国憲法では、天皇は国の元首であり、軍の最高責任者です。明治天皇としては、昭和天皇の弟宮たちは天皇を支える立場として陸海軍で役割を果たすべきだ、というご意向だったのでしょう。

足立タカからヴァイニングへ

このように昭和天皇は豊かな教育を受けました。だからこそ第2次世界大戦後、皇太子明仁親王、つまり今の上皇の教育にもいろんな配慮をなさったのだと拝察します。

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