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悲劇を乗り越え大統領に ジョー・バイデン「たくましき男」の履歴書|藤崎一郎

悲劇を乗り越え、米大統領の座に就いた男の強みと弱み。/文・藤崎一郎(中曽根平和研究所理事長・元駐米大使)

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▶バイデン大統領は、にこやかで常識的な人であるが、波乱万丈の人生を歩んできた古つわもの
▶議会の大ベテランだが、寝業師的な政治家でなく、表裏の無い人として知られてきた
▶「1期だけ」とか「後継云々」との議論が出れば、その瞬間に求心力を失い、いわゆるレイムダック化してしまうことはバイデンが百も承知だ。現時点ではやれるところまでやるという気持ちだろう

藤崎氏②

藤崎氏

努力型のバイデン

「申し訳ない。15分後にオバマ大統領がこの部屋を使うので、この会合はその前に終わらせないといけないようです。この建物には私の自由になる会議室がなくってね」

副大統領就任3カ月後のジョー・バイデンが日本の議員団とホワイトハウス1階のルーズベルト・ルームで会っていた最中に秘書からメモが入ったときの彼の言である。200年ほど前につくられた大統領官邸は手狭で、閣議室以外の会議室はこの部屋一つしかない。冗談めかしてはいたが、米国政界きっての重鎮である。こんなはずではなかったのにと、ちょっぴり照れと口惜しさもあるのではないかと同席していた私は想像した。その1年前、民主党の大統領候補指名争いに出馬したものの、オバマとヒラリー・クリントンに大きく後れを取り、早々に撤退していた。

現在78歳のバイデンを、「眠たげなジョー」とトランプ前大統領は揶揄したが、これほど実態とかけ離れた描写はない。にこやかで常識的な人であるが、波乱万丈の人生を歩んできた古つわものである。

最近の米大統領をあえて3つに分けるなら、カーター、クリントン、オバマの目から鼻に抜ける秀才型、ブッシュ父子、トランプの銀のさじ型、フォードなどの努力型となるだろうが、バイデンはこの努力型の部類に入る。アイルランド系カトリックの労働者階級の家庭に生まれ、子供のころは吃音に苦しみ、学業よりフットボールや生徒会活動などで活躍する。一族で大学に進んだのは彼が初めてだった。

行動派であることを示す逸話がある。デラウェア大学の学生のとき、友人たちと海辺のプールに遊びに行き、2人の女の子が座っているのを見かけた。一人はブロンド、もう一人は栗毛だった。バイデンがブロンドの方がいいと言うと友人の一人も同じだと言う。友人たちがコイントスで決めようと言い出したとき、バイデンは友人たちを尻目にさっとブロンド娘に駆け寄り、自己紹介して仲良くなってしまう。そして毎日会えるように彼女の家に近いシラキュース大学のロースクールを目指した。彼の大学の成績では高望みと思われたが見事入学。やがて結婚する。

卒業成績は中程度だったが、弁護士になり郡議会議員になる。その後、1972年になんと29歳でデラウェア州から上院議員選挙に出馬した。妻と妹が有権者の家庭を熱心に回り、お茶会を繰り広げたのが功を奏し、大方の予想を覆して、共和党の大物現職議員を破って当選する。戦後一番若い上院当選だった。

藤崎氏①

バイデン(中央)と握手を交わす筆者

6年前には長男も死去

ところが当選1カ月後、最愛の妻は3人の子を車に乗せて雪の高速道路を運転中、大型車とぶつかってしまう。妻と娘は死亡し、幼い2人の息子が残された。2人の幼子はバイデンの妹が面倒を見てくれたが、彼も朝は学校や幼稚園に送ってから議会に行き、仕事が終わると家に直行して子供たちと過ごす日々を続ける。だからパーティーや夕食会などワシントンの社交界とは疎遠だった。その意味で長年議員は務めたが、ワシントンらしくない政治家ともいわれる。

1977年に後に大学教授となる現在の妻と再婚し娘が生まれる。バイデンが期待をかけていた長男のボーはデラウェア州の司法長官に当選し、将来は中央政界に出て大統領をめざしていた。しかし2015年、脳腫瘍のために46歳の若さで亡くなってしまう。この時、治療費がかさむので家を抵当に入れざるを得ないかもしれないとオバマに話したら、「本が売れたから自分が貸す、抵当はやめておけ」と言われたという。こうした困難を乗り越えてきたことで、自分は弱者やマイノリティの味方という意識が強い。

上院では外交委員会と司法委員会という重要な委員会のトップを長年務め、議会の重鎮と目されてきた。この間、88年と2008年の2回、大統領選挙に出馬している。2016年の大統領選挙では民主党内でヒラリーが圧倒的に強くて断念した。雌伏30年余、3度目の立候補で勝ち得た大統領の座ということになる。

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ジョー・バイデン大統領

副大統領として存在感発揮

2008年、民主党候補に決まったオバマが副大統領を選ぶとき、バイデンを推したのは、その後駐日大使になったキャロライン・ケネディだった。オバマがヒラリーと民主党候補を競り合っていたとき、オバマは父ジョン・F・ケネディを想起させると彼女が応援したことがオバマ躍進に貢献した。従ってその推薦は重みがあった。しかし、自分よりずっと若輩のオバマの要請を受けて副大統領になることは、バイデンには抵抗があった。多くの場合、副大統領の役目は儀式に代理で出席することなどで実質に乏しい。近年で重きをなしたのはブッシュ子政権のチェイニーくらいだ。

バイデンはオバマに条件を出した。ホワイトハウスの重要な会議には必ず同席させること、オバマと2人だけの打ち合わせの時間を毎週持つことの2つだ。これは実行され、すべての重要な会議にバイデンは出席し、また週1回は2人だけのランチが定例となった。

バイデンは長い政治経験を2つの形で活かす。一つは議会対策である。オバマは上院議員として1期だが、バイデンは6期36年のキャリアがあり知己も多い。経済回復法案や政府債務の上限引き上げ、医療保険改革についての議論にこの人脈と経験を活用した。

もう一つは直言居士の役目である。オバマはいわば大久保彦左衛門のように自分にも専門家にも意見してくれることを期待したようである。他の政治家と異なり、軍人ら専門家の議論に簡単に首肯せず、費用対効果比などの観点から根本的な疑義を呈すことが多かった。

たとえば、2009年にアフガニスタン派遣軍の司令官マクリスタルが、4万人の増派が必要と主張した。国防長官のゲイツらは乗ったが、バイデンが「主敵はアルカーイダであり、タリバンの脅威が誇張されている。アフガニスタン全体を対象とする戦略は無理だ」と主張した結果、増派人数は抑えられた。

バイデンは、このマクリスタルやその後任のペトレイアスのようなメディアに登場したがる派手な将軍たちは性に合わなかった。本分をわきまえた実務家を好み、今回、国防長官にオースティンを任命したのも同氏がイラクからの撤兵を果たした際にほとんど記者会見に応じなかったことが理由にあると見られている。

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オバマ氏

仕事のスタイル

バイデンは国際協調主義者であるが、それが米国のためには一番だからという考えからである。次のような信念の持ち主である。

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