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「転向」ではない「自己変革」の近現代史|保阪正康『日本の地下水脈』

「転向」というレッテル貼りではなく、「自己変革」という観点から、あらためて近現代史を振り返る。/文・保阪正康(昭和史研究家) 構成:栗原俊雄(毎日新聞記者)

「転向」の後ろ暗いイメージ

大正時代後期から昭和初期にかけて、共産主義勢力に対する弾圧は苛烈を極めた。そうした状況下の昭和8(1933)年、共産党幹部の佐野学と鍋山貞親が獄中から「共同被告同志に告ぐる書」を発表した。いわゆる転向声明文である。

共産党はコミンテルンの指導を受け、天皇制の打倒を目指していた。しかし佐野と鍋山は、日本の天皇制は帝政ロシア時代の君主制とは違うとの認識を持つようになり、明治維新以来、天皇制が日本の「革命」を牽引してきたと位置づけた。まさに天皇観、国家観が180度転回したのである。

その衝撃は、凄まじかった。幹部やシンパたちは雪崩を打つように続々と転向し、第2次共産党は事実上壊滅したのである。

この件が契機となり、「転向」という語には、後ろ暗いイメージがつきまとうようになった。左翼運動が退潮した現在においても、転向には否定的なイメージが拭い難く込められている。転向者は、負のレッテルを貼られたまま、昭和史の中に埋もれようとしている。

だが私は転向の問題について、負のイメージのまま片付けるべきではないと考える。歴史を研究するとき、時には迂遠に思える作業によって、次の時代の歴史的な解釈に繋げられることがあるからである。いわば野球における犠牲バントのような試みだと考えてもいい。

前回、転向という語を「自己変革」という言葉に代置させる試みについて触れた。転向を自己変革と捉えると、従来の「転向」のイメージとは全く異なる風景が見えてくるのである。

そこで今回は、日本の近現代史におけるさまざまな自己変革を振り返ることにする。

転向者が抱える罪悪感と敗北感

まずは、「転向」という語に負のイメージが与えられた歴史的経緯を振り返っておきたい。

戦前、思想を取り締まる側である内務省や特別高等警察(特高)は、左翼活動家に思想を放棄させる際の手法として「転向」という語を用いた。それは取りも直さず、共産主義者を日本主義に回帰・順化させるということになるのだが、当然のことながら、思想を捨てる本人は葛藤に苦しむ。そこで、「正しい思想に転じて向かう」というレトリックを用いたのである。

「転向」と似た表現は、江戸時代、幕府によるキリシタン弾圧にも用いられた。十字架やマリア像などを踏ませて信徒かどうかを確かめ、弾圧によって改宗することを「転び」、改宗した者を「転びキリシタン」と呼んだ。この「転ぶ」という発想と表現は、「転向」と通底している。

一方、戦後になると、「転向」という語は、左翼運動体にも利用されるようになる。

徳田球一や志賀義雄ら治安維持法違反で投獄されていた活動家たちが敗戦と同時に出獄し、共産主義運動が息を吹き返すと、獄中18年、思想を捨てなかった者たちが称賛され、英雄視されることになった。共産党は転向という語に「権力への屈服」「組織への裏切り」という負のイメージを込めて、転向者たちを激烈に批判した。

「転向者」との批判は、あたかも転向した者が道義的に許されない存在であるかのようなメッセージ性を持った。「転向」という語は、共産主義から離れた者たちを攻撃し、運動体の求心力を増すために、非常に便利な語だったのである。

つまり共産主義から離れた者は、権力からも、それと対峙する運動体の側からも全否定されたといえる。そのため転向者たちは、深刻な倫理的敗北感と人間不信を抱えながら生きて行かざるを得なかった。

転向した者たちのその後の生き方には、いくつかのタイプがあった。第1に、思想を完全に捨て、ごく普通の市民として生きてゆく者。第2に、逆に権力側と一体化し、日本主義的な思想に染まる者。第3に、面従腹背的に転向し、学問や芸術に打ち込む素振りを見せながら、心の奥底では共産主義へのシンパシーを捨てきれていない者。第四に、思想と自己の折り合いがつけられず、自殺したり亡命したりする者がいた。彼等は、いずれも負い目をどこかに持ち続けていた。

さらに、同じ左派の中でも、共産党に留まった者が最上位で、穏健な社会民主主義などに転じた者は下位に置かれるという序列がついた。そのため、戦後の社会党はつねに共産党に卑下されるという奇妙な心理的現象もあった。

しかし、長い人生のなかで思想信条を変えることは、多くの人が体験することで、珍しくはない。しかも、他者から圧力を受けて無理やり変えるのではなく、自覚的に考えを変える場合がほとんどだ。

それにもかかわらず、転向という語にマイナスのイメージが与えられてきたのは、日本人が近現代史を見るときの正邪の尺度に利用されてきたからではないか、と私は思う。

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不転向を通した志賀義雄

あり得た「5つの国家像」

実際、日本の近現代史には驚くべき「転向」がいくつもあり、国家自身が転向を繰り返してきたと言っても過言ではないのである。

幕末から維新を振り返ると、国家の根幹そのものが大きな方針転換を迫られ、政治指導者たちも屈託なく転向を繰り返している。

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