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「ゴーン氏と私の突然の逮捕は異常です」グレッグ・ケリー前日産自動車代表取締役 独占インタビュー【全文公開】

 世間を驚かせた2019年末のカルロス・ゴーン前会長(65)の国外逃亡劇。ゴーン氏は、「逮捕は私を引き摺り下ろすためのクーデターであり、証拠がある」と主張し、1月8日にレバノンで記者会見を開くという。
 2018年11月にゴーン氏と共に逮捕されたのが、グレッグ・ケリー氏(62)だ。ケリー氏は、ゴーン氏の約90億円分の報酬を隠した有価証券報告書の虚偽記載に関わった容疑で東京地検特捜部に逮捕された。
 2018年12月に保釈されて以来、頸椎の治療を受けながら裁判の準備を進めていたが、2019年5月、弁護士が同席する形で、逮捕後初のインタビューに応じた。公開されている写真よりいくぶん痩せた印象を受けたものの、3時間にわたって自身の容疑や西川(さいかわ)廣人社長兼CEO(65)の関与について語った。
 大手弁護士事務所を経て、北米日産に入社したのは1988年。日産自動車での勤務は30年に及ぶ。法務、人事畑を歩み、ゴーン氏直属のCEOオフィスのヘッドを経て、代表取締役に就任。逮捕時は、ゴーン氏、西川社長に続く日産のナンバー3だった。
 今回、特別にケリー氏のインタビューを全文公開する(※肩書きはインタビュー当時のもの)。

ゴーン氏と西川さんと私

ケリー 質問に答える前に、まずは私の経歴からお話したいと思いますが、いいですか。

――ええ、もちろんです。お願いします。

ケリー 私が日産に入社したのは1988年に、あるリクルーターから誘いを受けたのがきっかけでした。「テネシー州に非常に面白い日本の会社がある。ケリーさんに向いているのではないか」と言われ、紹介されたのが北米日産でした。そこでお目にかかった従業員の皆さんの仕事に対する熱心さ、日産に対する献身的な姿勢と忠誠心に心打たれましたし、製造業で世界トップの日本企業でありながら、アメリカの真ん中のテネシー州で働けることは非常にいい機会だと思って入社することにしたのです。

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 最初は法務部に配属されましたが、1992年3月から翌年8月までの18カ月間、日本でマネジメントトレーニングを受けました。この経験は私にとって素晴らしいものでした。当時35歳だったのですが、私は出身地のシカゴからテネシー州に引っ越したことがあるだけで、海外に行くのは初めてだったのです。日本でのトレーニングを終えてテネシーに戻ると、人事部門の責任者に昇格しました。

 ゴーン氏のことを初めて知ったのは1999年、彼が日産のグローバルビジネスを視察するために北米を訪れたときです。ちょうどルノーが日産の株式約37%を取得して傘下に収め、ゴーン氏が日産のCOO(最高執行責任者)に就任した時期でした。ただし、個人的に知り合いになったのではなく、彼の存在を知ったということです。

 ともに働くことになったのは、私が北米日産の副社長に就任した2005年でした。そのときゴーン氏は北米日産の社長も務めていたので、初めて2人きりで話をし、「北米における人事は任せる」と言われました。 

 2007年になると、西川さんがゴーン氏の後を継いで北米日産の社長に就任しました。ここで直属の上司と部下になって以来、私と西川さんはビジネス上でかなり近しい関係を続けていくことになります。

 翌年4月になるとゴーン氏と西川さんに引っ張られる形で日本に異動しました。CEOオフィスのヘッドに就任し、その翌年には人事担当の役員も兼任することになりました。

 「ゴーン氏の右腕であったのか否か」――この質問にはこうお答えします。「彼の右腕だったことは一度もありません」。そもそも、私は代表取締役ではありましたが、日産の最高意思決定機関「エグゼクティブ・コミッティ」のメンバーではありません。そんな私がどうしてゴーン氏の右腕と言えるでしょうか。

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 ゴーン氏とは月に2回、45分の予定でミーティングを行っていました。ただ、彼は理解が早いので、いつも30分程度で終わっていました。主に給料やコスト面など私が関わる業務内容について私なりの提案もしましたが、最終的には、彼がきわめてビジネスライクに決定を下していました。状況に応じて追加のミーティングが組まれることもありましたが、それは他の役員も同様で、私が特別多かったわけではありません。

 事前にいただいた質問項目の中に、「ゴーン氏の経営者としての能力をどう思っているか」という質問がありましたけれど、私の答えは「非常に優秀なCEO(最高経営責任者)だった」です。彼は戦略的であり、会社の将来のビジョンをはっきりと持っていましたし、新しいマーケットに入っていくときには、彼の力がいかんなく発揮されました。CEOを務めていた2016年まで日産の売上げは好調で、長期にわたって好成績を維持していました。

 彼はコミュニケーションの仕方がクリアで、人の話を聞く力に長けています。そして、社員のモチベーションを上げることもすごく上手です。彼自身がエネルギーに溢れていましたし、「みんなで力を合わせてやっていこう」と部下を鼓舞するのが巧みでした。

 ぜひ言っておきたいのは、ゴーン氏は部下に責任を押し付ける人ではないということです。「あいつのせいでこうなった」とか「○○の理由で彼のパフォーマンスが悪い」といった話は一回も聞いたことがありません。彼の仕事に対するアプローチは、いつも何が課題であるかを見つけ、それをどうやったら早く解決できるかを考えることでした。そのやり方に長けていたのです。

 もちろん、「彼が完璧な人間だったか?」と問われれば、そうではないと私も言います。完璧な人間などこの世には存在しません。ゴーン氏もそうなのです。

ゴーン氏の結婚は全く知らなかった

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――西川氏はメディアの取材に対し、ケリーさんについて、「ゴーン氏の側近として強大な権限を持つ人物」とか、「日産の将来なんて全く考えていない。ゴーン会長のことしか頭にない」などと語っています。11月に逮捕されるまで、ケリーさんをふくめ3人とも日産の代表取締役でした。どのような力関係だったのですか。

ケリー 私の母国では、会社のトップは議論の余地なくCEOです。CEOが経営責任の全てを負い、言い訳ができない立場にいる。ゴーンさんと西川さんが私と同じ立場にあると思ったことは一度もありません。

――西川氏が上司だったことがあるそうですが、ケリーさんと西川氏は同じ立場ですか。

ケリー 彼はゴーンさんの後の日産CEOです。2017年からは彼が最高責任者として会社を経営してきたのです。私はCEOではありません。

――ゴーン氏や西川氏とは、プライベートでも親しく付き合っていたのですか。

ケリー 西川さんとは年に一度、あるいは半年に一度くらい、お互いの妻を交え食事をする関係でした。他の人と一緒に西川さんの自宅に招かれたこともありますが、それほど頻繁ではありません。

 ゴーン氏も西川さんと似て、非常にビジネスにフォーカスしている人です。部下と一緒にお酒を飲んだりすることはありませんでした。彼は日産とルノーという巨大なグローバル企業を経営しており、多忙を極めていました。アメリカの国務長官よりも世界中を飛び回っていたと思います。

――ゴーン氏は、2016年にキャロル夫人とヴェルサイユ宮殿で盛大な結婚披露パーティを開いています。ケリーさんも招待されたのですか。

ケリー 私は、ゴーン氏がいつ結婚したかすら知りませんでした。仕事では近しい関係にありましたけれど、そういったプライベートのことまでは知りません。

「パーキングエリアで停まりなさい」

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――ゴーン氏は、高過ぎると批判された報酬を低く見せるために、約90億円を退職後に受け取る「将来払い」にして有価証券報告書に記載しなかったとされます。検察は、ケリーさんをゴーン氏と共謀したとして起訴しました。ケリーさんは、これに対して「事実無根」と否認していますね。まず、逮捕された時の状況を教えてください。

ケリー 昨年の11月、アメリカにいた私の元に、CEOオフィスのヘッドから、「日本に来てミーティングに出席して欲しい」と電話がかかってきました。

 私は困りました。以前から頸椎狭窄症を患っており、両腕もしびれていたので、12月7日に腰の骨を頸椎に移植する手術の予約を入れていたのです。

 体調面を考えると、飛行機に乗って行くことに不安があったので、ビデオ会議での参加を提案しました。すると「会社のチャーター機を出すから(11月19日の)月曜日に日本に着いてほしい。(22日の)感謝祭までにはアメリカに戻れるよう取り計らうから」と説得され了承しました。つまり当初は「3日で帰れる」と言われていたのです。私はふだん民間のエアラインを利用しています。実をいうと、会社が用意した飛行機に乗るのは初めてのことでした。

 逮捕は、羽田空港からタクシーで高速道路を20分ほど走ったときのことです。

「パーキングエリアで停まりなさい」

 突然近付いてきた黒色のバンからこう指示を受けました。それは検察の車でした。

「後でお話をさせていただいてもいいですか」

 私はこう言いましたが、もちろん許されません。そのまま東京拘置所に連行され、独房に入れられました。それから何日間も尋問されたのです。その時の私の気持ちは、とにかくショック。ただその一言でした。

2009年度から、一億円以上の報酬を得た上場企業の役員は、有価証券報告書への記載が義務付けられた。その年、ゴーン氏は約8億9000万円の報酬を得たことが明らかになり、日本国内のみならずフランス国内でもトップであったため批判の的となった。ゴーン氏はこうした批判を避けるため、「報酬隠し」をしたとされている。

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ケリー 私は役員の総報酬額とゴーン氏以外の役員の報酬はだいたい知っていましたから、ゴーン氏の報酬額を類推することはできました。あくまで推測と断っておきますが、開示義務が施行される前は20億円くらいだったと思います。

 私は専門会社を通じて世界の自動車業界トップの報酬について調べたことがあり、それに比べてゴーン氏の報酬は、業界の中では見合ったレベルと言えるものでした。仮にゴーン氏から、「どう思う?」と尋ねられたら、「適当な水準だと思う」と答えたでしょう。ただ、私は報酬についてアドバイスを求められたことはなく、ゴーン氏の報酬額は彼自身が決めたものです。

 ゴーン氏が懸念していたのは、ルノーの大株主であるフランス政府の反応でした。20億円もの報酬をもらい続ければ、自分の地位も危うくなると危機感を抱いていたのです。開示義務の施行後、ゴーン氏はルノーからのものも含めて約10億円まで報酬を下げました。

 実は、報酬を大きくカットした後、ゴーン氏から「法の範囲内で報酬を得る方法を模索して欲しい」と依頼を受けたことがあります。私は信頼できる弁護士に調査を頼みました。その時は、子会社から報酬を受け取る方法などを検討しましたが、いずれも法的に難しいことがわかり、その話は無理だという結論に至りました。

退職後の報酬は「雇用契約」案で提示したこと

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――それで退職後に支払うことになったのですか。

ケリー いいえ、ゴーン氏の退職後の報酬の話が持ち上がったのは、こういったことがあった後、2011年の夏から秋頃です。人事担当である私の仕事は、いい人材をリクルーティングして、いい人材にいい教育を与え、そして、いい人材の流出を防ぐことでした。ゴーン氏は当時、57歳で自動車業界のCEOとしては2番目に若く、かつまた2番目に長いキャリアを積んでいました。そしてその当時は、60歳になる2014年には退社すると見られていました。ゴーン氏がライバル会社に引き抜かれたら大変なことになります。これは現実的な危機感として、西川さんはじめ日産の経営陣が共有していたことでした。

 ルノーとの提携は素晴らしいもので、日産にとってもルノーにとっても非常にいいことだったと私も思っています。しかしルノーは約43%の株式を保有し、日産の役員人事の過半数を押さえれば、日産の経営権を完全に握ることができました。さらにルノーの背後にはフランス政府もいる。現に2015年には、フランス政府から経営統合のプレッシャーもありました。仮に(ルノーCEOを兼務していた)ゴーン氏がいなくなったら、日産の独立性をどうやって担保できるのか。役員たちの頭を悩ませる非常に大きな懸念事項だったのです。

 2011年6月に代表取締役に昇格した西川さんも、ゴーン氏の報酬が高いことは意味のあることだと考えていました。彼はルノーの役員(2006年~)でもありましたから、ゴーン氏が退社した場合のリスクを肌身に感じ、誰よりも日産が置かれた状況を深刻に捉えていたのです。

 西川さんと私は経営と人事のトップとして、ゴーン氏が退社するリスクをいかに最小限に抑えるか議論を重ねました。その一つの案として2011年夏過ぎに西川さんと私の2人で考えたのが、ゴーン氏と退職後に「アグリーメント(EMPLOYMENT AGREEMENT=雇用契約)」を結ぶ方法でした。

――アグリーメント? それは何ですか。

ケリー 退職した後もゴーン氏が日産にとって、とても重要であり、かけがえのない存在であることを伝えるための書類です。西川さんから「たたき台となるような案を作って欲しい」と依頼され、私がA4の紙2枚の書類を作成しました。

 この雇用契約のたたき台では、まずゴーン氏に対して、最高顧問兼名誉会長への就任を提案しています。彼はさまざまな政府と交渉することができますし、独自のネットワークで優秀な人材を雇うこともできる。もちろん、ビジネスのアイデアもある。最高顧問として、広い意味で日産のためのコンサルティングを求めたのです。

 そして最も大事なことは、日産と競争関係にならないことを約束してもらうことでした。日産との競業禁止の契約があれば、日産にとって大きな価値があるというのが西川さんと私の考えでした。

――書類には、退社後の報酬についても書かれているのですか。

ケリー 金額も書いてあります。コンサルタント料などの報酬です。この書類には西川さんから承認のサインももらっています。

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ゴーン氏退職後の雇用契約書。2枚目左下には西川氏のサインがある

日産の代表として「誠意」を見せたサイン

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――その書類のことは検察から聞かれていますか。

ケリー ええ。ただ、ゴーン氏の退職後の報酬については、私はこの書類のことしか知りません。他に書類があるのかどうかわかりませんが、私は一切タッチしていないのです。もうひとつ言っておきたいのは、この書類が作成されたのが2011年の11月終わりだということです。検察は2011年6月までに共謀が成立したと言っているようですが、この書類は6月時点ではまだ作られていませんでした。

 後日、ケリー氏の弁護士に書類の確認を求めたところ、書類には次のように記されていることが判明した。
〈日産は、ゴーン氏が日産のビジネスに重要な貢献を続けることができると認識しており、ゴーン氏を取締役ではない立場で雇用することを望んでいる〉
 契約項目としては、「ビジネス戦略」「広報活動」「政府との交渉」などとあり、その報酬は、10年間の契約で一時金として「30億円」(「30 oku yen」)、加えて各年の年間報酬として「3億円」(これは目標を達成した年には5億円まで増額される)。ただし、この報酬額は、青インクのペンで修正され、それぞれ4000万米ドル、400万米ドル(増額は600万米ドルまで)と書き換えられていた。さらにリオデジャネイロ、パリ、レバノンの不動産所有権の提供も報酬の一部として記されていた。
 書類の最後には、西川氏のものと思われるサイン(筆記体で「Hiroto Saikawa」)もある。

――西川氏がサインをした時の状況を詳しく教えてください。その書類のやり取りは横浜の本社で行われたのですか。

ケリー そうです。ゴーン氏と西川さん、そして私のオフィスは日産本社の同じフロアにありました。角にゴーン氏の広い部屋があり、少し離れたところに私と西川さんの部屋が隣同士で並んでいました。私は隣にある西川さんの部屋に行ってたたき台の書類を見せ、西川さんはそれを注意深く読み込んだ後、サインをしたわけです。

――その書類をゴーン氏にも見せたのですか。

ケリー 西川さんがサインした後、ゴーンさんに書類を見せると、自ら修正を加えました。その時、30億円を4000万米ドルとペンで書き換えたのです。

 ゴーン氏の修正を受けて書類を打ち直し、西川さんにゴーン氏の修正内容を確認してもらいました。西川さんはOKし、再度、承認のサインをして最終的な契約書案になりました。ですから2011年の書類について、西川さんは何度も確認した上でサインを2回しています。ゴーン氏がサインをしていませんから、契約内容は確定していません。西川氏は日産の代表として、ゴーン氏がこれだけのことをしてくれれば、これだけの報酬は支払うと誠意を見せたということです。

 ゴーン氏の部屋を訪れた時は、私ひとりだったと記憶しています。ただ、西川さんはすべてを承知していました。

――法的な拘束力のある契約書にしなかったのはなぜですか。

ケリー 我々は、ゴーン氏が退社するまで法的に契約を結ぶ権限はありませんでした。そのとき西川さんと私が日産にいるかどうかもわかりません。ですから支払いを始める日付や、西川さんのサインの下にある日付の欄は空白のままなのです。

――検察は、退職後に支払われる「将来払い」の分を隠したとしてケリーさんを追及しています。正式な契約書にしなかったのは、将来払いの約束とみられることを避けるためではないのですか。

ケリー その将来払いの話ですが、検察はどうやって約90億円という金額を計算したのか、まだ理解に苦しんでいるところです。

 将来払いという発想は、西川さんにも私にもありませんでした。そもそも私はゴーン氏が報酬をどれだけ減額したのか正確には知りませんし、この書面は、あくまでも退職後の仕事に対する対価を提示し、またゴーン氏に退職後も日産と関係を持たせる引き留め策として考え出されたものなのです。それにあくまでも退職後に結ばれる予定の契約ですから、ゴーン氏は退職後にサインすることになっている。ゴーン氏がサインして初めて報酬も確定するのです。

 その後、この書類は折に触れて修正が加えられ、ゴーン氏によって一時金も6000万ドルまで引き上げられました。2013年と2015年に修正された書類には、西川さんとともに私もサインをしています。

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――その時は、西川氏と2人でゴーン氏の部屋に行ったのですか。

ケリー そうですね、たしか2015年には、西川さんと2人でゴーン氏の部屋に行ってサインをしました。

――契約の中身について3人で議論をしたのですか。

ケリー そのときはそれほど議論した記憶はありません。それまでも何度かやり取りされたものですから、内容についてはお互いに理解をしていました。

――13年と15年に加えられた修正とは、何なのですか。

ケリー 大筋は同じ内容ですが、13年と15年のものは、弁護士事務所に依頼してより詳しい文書を作ってもらったため、全体の紙数が増えています。

――修正は西川氏からの提案で行われたのですか。

ケリー 彼からのリクエストではありません。ただ西川さんも修正が行われていることは知っていました。西川さんは、ゴーン氏の退社にかかわる件を含め、社の機密に属する事項について、ゴーン氏と定期的に話し合っていて、いつも私に最新の状況を知らせてくれていました。私はこうした件について、何度も西川さんからメールを受け取っています。

 ほかに知っていたのはCEOオフィスのヘッドと、書類を作成したレイサム&ワトキンス法律事務所(日産の法律顧問)です。ただ、彼らによる細かい法的な文言などについては、私も西川さんもあまり深い関心を持っていませんでした。

西川さんが無実なら私も無実のはず

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――西川氏は、「ゴーン氏への権限の集中が不正の温床になった」と批判しています。この言葉についてどう感じますか。

ケリー 私は違法なことをしたとは認識していません。私と西川さんの2人が2011年から取り組んできたのは、合法的な枠組みの中でどうすればゴーン氏に日産と関係を持ち続けてもらえるか。それだけなのです。

――西川氏はメディアの取材に対し、不正について初めて知ったのは昨年10月のことで、社内調査の結果を聞いて「何なんだ、これは」と驚いたと語っています。しかし、今のケリーさんの話では、西川氏は、そもそも雇用契約を提案した一人であり、「将来払い」とは考えていないはずだということですね。

ケリー ええ、その通りです。もっとも、私が西川さんと最後に話したのは昨年9月ですから、昨年10月に西川さんがどう思ったかについてはお答えできません。

 実は昨年、私は、ゴーン氏の引き留めを確実なものにするために、これまでと異なる提案を盛り込んだほうがいいと考え、西川さんにその案を説明し、11月に詳細を詰める予定でした。しかし、この事件のために実現しなかったのです。

――有価証券報告書の虚偽記載について、元CEOオフィスのヘッドと元秘書室長は罪を認めて司法取引に応じています。ケリーさんは、無罪を主張しますか。

ケリー 私は完全に無罪だと申し上げます。独房に入れられている時は、「なぜ私は西川さんと同じ場所にいないのだろうか」と思いました。西川さんと私は全く同じ目的であの書類を作成していましたから。西川氏が逮捕されないのなら、私も逮捕されないはずです。

 ゴーン氏は有価証券報告書の虚偽記載以外にも、特別背任容疑で2度にわたり逮捕されている。
 一つ目が「サウジ・ルート」。ゴーン氏は2008年、リーマンショックで自身の保有する金融商品が多額の含み損を抱えると、旧知のサウジアラビア人実業家に追加担保の負担を依頼。その見返りとして子会社「中東日産」を通じて謝礼金約13億円を支出したとされる。
 2つ目が「オマーン・ルート」。中東日産からオマーンの販売代理店に約11億円を送金させ、そのうち約5億円をゴーン氏が保有する会社に還流させたとされる。これらの件についてケリー氏は容疑をかけられていない。

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――サウジ・ルート、オマーン・ルートについて、ケリーさんが知っていることはありますか。 

ケリー 全くわかりません。メディアで読んだことしか知らないのです。私は中東でのビジネスに関わったことがありませんから。

 ゴーン氏は逮捕容疑以外にも、日産の資金を私的に流用したとして批判を浴びている。その一つが世界各地で購入された豪邸だ。日産の子会社がパリやリオデジャネイロ、ベイルートの高級住宅の購入費などとして34億円超を支出したとされる。

――ゴーン氏は日産にリオデジャネイロやベイルートなどの自宅を購入させ、維持費や改装費まで負担させていたと報じられています。ケリーさんはこの件にかかわっていましたか。

ケリー たしか2011年にゴーン氏が私のところに来まして、「今後、ブラジルと中東で、ビジネスのためにより多くの時間を過ごしたい。拠点となる家や滞在できる場所を日産が用意することはできるか」と尋ねてきたのです。2つともゴーン氏と縁のある地域ですが、そのときブラジルでは、新工場を建設する予定(2014年稼働)でしたし、日産の戦略として両地域の利益率やシェアの向上を重要と考えていた時期でもありました。

 私が会社規定を良く知る秘書室の責任者に相談したところ、「ビジネスで頻繁に長期滞在しているのであれば、会社のお金で購入することも問題ない」という答えが返ってきました。過去にも経営陣からのリクエストで、スイスにビジネス用に家を確保した例があり、ゴーン氏が初めてのケースではありませんでした。そこで私は専門家に依頼して社外秘で購入を進めることにしました。特に治安とか安全性を気にする場合は、それが重要だからです。

 これは、もちろん西川さんも承知のことでした。2011年にゴーン氏CEO退職後の雇用契約書案を作ったときも、パリやブラジル、レバノンの不動産を明記して、私からきちんと説明しましたし、その場で承諾してもらっています。

 ただし不動産の契約にあたっては、私からゴーン氏に対して会社に損が出ないようにすべきだと助言しました。このときゴーン氏はまだ2014年に退社する可能性がありましたので、その場合は、その時の市場価格、もしくは会社が支出した総費用のどちらか高い方でゴーン氏が購入するとしたのです。ゴーン氏はこれを承諾しました。

西川社長も不動産購入を要求した

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――維持費や管理費なども日産に負担させていたと批判されています。これについてはどう思いますか。

ケリー ブラジルでの月々のコストは、ホテルに宿泊するのと同じくらいだったと記憶しています。メンテナンス費は会社持ちでしたが、例えば部屋数を増やしたりすれば、そのぶん不動産価格は上がりますから、最終的にゴーンさんが買い取る約束があれば、会社に損害を与えることは一切ありません。

――西川さんは購入する時には必要性を認めていたのに、なぜ、いまになって批判をしているのでしょうか。

ケリー それを私から説明するのは難しいです。私は西川さんを長年知っており、ゴーン氏のことを非常な熱意で支持している人物だと理解していました。いまの状況についてどう説明すべきなのか、正直なところ困惑するばかりです。

 実は、西川さんにも不動産購入の話がありました。2013年の春ごろ、私にアプローチしてきて、「お金が必要なので、なるべく早く報酬を引き上げてほしい」と言ってきたのですが、その時、会社が不動産を買うことは可能かとも聞いてきました。

――それは西川さんが所有している不動産を買い取ってほしいという話ですか。

ケリー いえ、違います。彼はすでに一軒、家を持っていたのですけれど、日産に新しい家を購入してほしいということです。

――それは東京都内に、ですか。

ケリー 東京だったと思います。少なくとも日本国内だったことは確かです。西川さんが候補として挙げていた物件は2軒ありましたが、マンションだったのか一軒家だったのか詳しいことは覚えていません。

――東京となると自宅ということですか。なぜ自分で買わずに、日産に買ってほしいと言ってきたのでしょうか。

ケリー その時、現金が必要だったことが大きな理由だと思います。「現金がない」と言っていましたから。だから日産にその物件を買ってもらって、月々、日産に返済していくけれど、退職した時は自分が残金を払うのでどうかという提案でした。

――つまり、西川氏は日産にローンを肩代わりしてもらおうと考えていたわけですか。

ケリー それが彼のリクエストです。いくらの物件だったのかはわかりませんし、彼が月々いくら日産に払い戻すつもりだったのかもわかりません。ただ、月々の支払いはそれほど高くない金額を考えていたと記憶しています。

西川氏の現在の自宅登記簿(渋谷区内、約200平米のマンション)を確認すると、2013年7月に購入していることがわかった。それまでの自宅は世田谷区の一軒家。ケリー氏への相談は、渋谷の新居購入直前に行われたとみられる。

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――「買ってくれないか」と言われた不動産は、西川さんが現在住んでいる渋谷区のマンションのことでしょうか。

ケリー それはわかりません。ただ、西川さんは既に所有している不動産が一軒あって、さらにもう一軒、日産に買ってほしいという依頼だったのです。

――日本の経営者が会社に自宅購入を要求したという例は聞いたことがありません。普通はありえないことではないですか。

ケリー 日産では、先ほど話したようにビジネス目的で、役員から「不動産を確保して欲しい」と言ってきた例はあります。

――しかし、西川氏の依頼は日本国内の不動産の購入ですから、外国でのビジネス目的とは意味合いが違います。

ケリー そうですね。私が知る限りでは、他の役員から、たとえ最終的にローンを支払うとしても、自分が暮らす国で「もう一つ不動産を買ってくれるか」というリクエストを受けたことはありません。

――西川さんはその家をどんな目的で使うつもりだったのでしょうか。

ケリー 詳しい目的については聞いていません。

――西川さんはその時点で8年間も日産の取締役を務め、2013年度にも1億3500万円の報酬を受け取っています。なぜ現金が必要だったのでしょう。

ケリー 私から「なぜ」という質問はしませんでした。彼からは「お金がないから」と話をされただけです。

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西川氏の株価連動報酬は「特例中の特例」

――依頼があったのは、ゴーン氏がリオデジャネイロなどの不動産購入費を日産に負担させた後です。ゴーン氏の影響があるのでしょうか。

ケリー 西川さんは「ゴーン氏が不動産を買ってもらったから自分も……」とは言っていません。ゴーン氏が会社に不動産を購入してもらったという事実を西川さんが知っていたことは確かですが。しかし実際に、日産が西川さんのために不動産を購入することはありませんでした。それは西川さんがその頃、SAR(ストック・アプリシエーション権)の行使を一週間ずらすことで、とても大きな額の現金を手にしたことも関係があったと思います。

「SAR」とは、日産が導入している株価連動型の役員報酬のこと。あらかじめ基準となる株価が決められていて、その価格と、権利行使したときの市場株価との差額を日産から受け取ることができる。

ケリー 西川さんから不動産購入を打診された際、実はもうひとつ尋ねられたことがありました。「自分はSARを何株分持っているのか」ということです。彼は既に「行使日」を決めていました。ところが行使日が過ぎた後、株価が上昇したため、行使日を一週間後にずらせば、相当な儲けが出ると考えたのです。そして私の知る限り日産史上初めて、行使日を後ろにずらしました。SARによって利益を得た後、「会社に不動産を買ってもらいたい」という提案は取り下げられました。

――そのSARで得た利益が、不動産購入の原資となったと認識されていますか。

ケリー そうですね。大金でしたから。

――実際の「行使日」は何月何日かわかりますか。

ケリー 5月22日だったと思います。本来であれば5月14日にSARを行使することになっていました。行使日を一週間ずらすことによって約4700万円が上積みされ、トータルで約1億5000万円の利益があったと記憶しています。

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行使日を一週間ずらすことによって、行使価格は約120円(約10%)上昇した。西川氏は数十万株分を行使したとみられる。

――日産の負担は増えますが、行使日の変更は認められることなのですか。

ケリー 変更を担当したのは秘書室です。私が知っているのは5月14日に一度行使したのに、その後に日付だけを変更して「再行使」し、当初の行使のときよりもずいぶん大きな金を儲けたということです。具体的にどのような手続きが行われたのかはわかりません。

――ケリーさんは弁護士です。SARの行使をずらすことが認められたことをどうお考えですか。

ケリー 当然、特例中の特例です。西川さんからの不動産関連の相談は最初メールが送られてきて、その後、ディスカッションをしたのですけれど、とても急いでいることが伝わってきました。

 彼はもともと自分の報酬に関して非常に強い関心を持っていました。日産には、グローバル人材の報酬制度と日本人エグゼクティブ用の報酬制度があります。西川さんは自分が日本人エグゼクティブ用の報酬制度の中に収まっていることをすごく嫌がっていました。それは、他の日本人役員より多くの報酬を得たいと思っていたためであり、彼の言うところの「その他大勢」の一員にされることに我慢がならなかったからです。経営陣の報酬を決める権限は、ゴーン氏にありましたけれど、私に昇給のリクエストがあったこともあります。西川さんの要望が合理的なときは、ゴーン氏に昇給を勧めました。

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社内で議論をすれば解決できたはずだ

――6月25日の株主総会では、西川氏の社長続投が認められる見通しです。西川氏の社長としての力量をどう見ていますか。

ケリー まず申し上げたいのは、世界的な自動車企業は極めて複雑な組織であり、それを経営する力のある人材は非常にまれだということです。

 企業のパフォーマンスは、株主にとっても、従業員の雇用の維持のためにも重要なポイントですけれど、過去2年間の日産の業績を振り返ると、経営不振に陥っていると言わざるを得ない状況にあります。今後数年を見ても、この業績が回復する見通しはなさそうです。それに対してゴーン氏は日産CEOとして収益を確保して強い体質の会社にすることを達成していました。これがご質問に対する私の答えです。

――西川氏は、ゴーン氏の報酬隠しなど一連の不正を指して、「一件だけみても、普通の役員であれば即解雇」と語っています。西川氏に社長を続ける資格はありますか。

ケリー 仮に、日産の株主と経営陣が承認するのであれば、そうなるのでしょう。しかし私は大いに疑問を持っています。

――ご家族とは会えているのですか。

ケリー 幸いなことに妻はものすごく強い人で、いまはできるだけ米国から来て気丈に振舞ってくれています。ただ、私の兄弟や息子はアメリカにいて、孫にはもう7カ月も会えていません。年末にはもうひとり孫が生まれる予定ですが、このままでは生まれた子を抱くこともできないでしょう。企業内の政治的な問題で、ひとりの人間がこのような扱いを受けることには納得がいきません。

――ケリーさんは、今回の事件を「政治的な問題」と思われているのですか。

ケリー もしゴーン氏の退職後の雇用契約について何らかの疑問があるのであれば、社内で処理、解決できたはずです。なぜ私、もしくはゴーン氏に「説明して欲しい」という話が一切ないまま、議論も会議もなく、突然の逮捕にいたったのか。この検討に関与していたのが私たち2人だけでないことを考えれば、本件での突然の逮捕は普通ではありえませんし異常です。

 私は、日産という素晴らしい会社に30年以上勤めたことに強い誇りを持っています。日産の才能にあふれた特別な人々と一緒に働いたことは光栄ですし、それらの人々の多くを友人と考えています。

 私は日産と長くかかわってきましたので、この会社が将来も発展し、繁栄することを希望していますが、西川さんがCEOを引き継いでからの業績を考えると、日産は危機に瀕していると言わざるをえません。現在の日産には、正常な軌道に戻るため、強いリーダーシップが必要ですが、西川さんにそれができるだろうかと不安を感じます。しかし、もっと先の未来を見据えた時、日産には成功してほしいと強く思っています。それは私もその一員として長い間過ごした場所だからです。

(初出:文藝春秋2019年7月号「西川廣人さんに日産社長の資格はない」)


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