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《Char2時間独白》「『Thrill』の頃、自分のキャリアに不安を感じていた」Johnny, Louis & Char誕生秘話 竹中尚人責任編集「ロックとギターをめぐる冒険」#1

日本のロック史上に燦然と輝く3ピースが生まれて消えるまでの17年間に何が起きていたのか? ジョニー吉長、ルイズルイス加部が天に召されたいま、残されたひとりが語る黄金の日々。これが最初で最後!2時間にわたる独白をノーカットでお届けする。(前編)

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Johnny, Louis & Charは、1978年にジョニー吉長(ds)、ルイズルイス加部(b)、Char(g)が結成したトリオ。翌年日比谷野外音楽堂に1万4000人を集めたフリーコンサートでベールを脱ぎ、その音源が「Free Spirit」としてデビューアルバムになる。1982年にバンド名がPink Cloud へと改称、1994年頃自然消滅 Photo : Tadayuki Naito

衝撃を受けたジョニー吉長の「イエロー」

ミュージシャンとしての自分のキャリアを振り返ってみると、Johnny, Louis & Char(以下JL&C)とピンククラウドで追究していた表現というのは、少しばかり特殊だったのかもしれない。いま聴いても、トリオ・バンドが創り出したとは思えないアンサンブルだと感じるし、もはや“JL&C”としか形容できないような、ファンクもプログレもハードロックも飲み込んだ独特な世界。プリミティブで、モダンで、先鋭的な実験性も兼ね備えていて、日本というマーケットだけにとどまらない可能性を持っていたバンドだったと思う。

マーちゃん(ルイズルイス加部)のことを初めて知ったのは……子供の頃に観た『ヤング720』。朝のTV番組なのに、ザ・ゴールデン・カップスがレッド・ツェッペリンの「コミュニケーション・ブレイクダウン」を演奏していて、俺は驚きのあまり自分の目を疑ったよ。学校に行っても、その衝撃と感動と分かち合える奴がいなくて、もどかしかったことを今でも覚えている。本人と直接話したのはいつだったかもう覚えていないけど、都内のデパートでやっていたカップスのコンサートを観に行った時、会場の前で裸にオーバーオール姿のマーちゃんに声をかけられたことがあるから……おそらくデビューする前にはどこかで出会っていたんだろうな。

ゴダイゴが羨ましかった理由

ジョニー(吉長)は、イエローというバンドで活動していた時に赤坂のMUGENという本場のR&Bバンドしか出られないクラブに出演していて、フロアにいる大勢の黒人に対して「なんとしても踊らせてやる!」と勝負している姿に衝撃を受けた。俺以外の客は全員外国人。ある意味、「海外で勝負している日本のバンド」のようだったね。もし自分がバンドを組むなら「こういう人と一緒にやりたい」と強く思ったよ。実際、俺がデビューする前に「一緒にやろう」とジョニーを誘ったんだけど、ちょうどジョー(山中)とやるバンドでアメリカに行ってしまうタイミングと重なってしまい「残念だけど今はできない」と断られてしまったんだ。

俺は長い間ずっとトリオ・バンドにこだわっていて、デビューする前から「加部正義とジョニー吉長と一緒にバンドがやりたい」なんてことを漠然と考えたりもしていた。そうこうしているうちにマーちゃんは行方知れずになり、「噂によると死んだらしい」なんて憶測も飛び交うようになった。俺のほうは自分のバンドもなくなり、芸能界という世界でギターを手にひとりで仕事をするようになっていった。阿久(悠)さんと出会ったのもこの頃だね。

デビューしてから2年が経った1978年、3枚目のアルバム『Thrill』を作っている頃の俺は、将来の自分キャリアに対して漠然とした不安を感じていた。自分がやりたい音楽性についてはもちろん「これから先の未来にバンドがどうやって生きていくべきか?」ってことを模索していた時期で……「ひょっとしたらこのまま燃え尽きて終わるんじゃないか?」という考えが頭をよぎることもあった。プロデューサーやレコード会社のスタッフのようなサポートしてくれる人たちとも前向きな話ができず、チームとしてひとつにまとまっていない状況だったんだ。

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1978年に発表されたCharのサード・アルバム『Thrill』。「YOU GOT THE MUSIC」「闘牛士」「表参道」「WONDERING AGAIN」などが収録されている

そんな時に『Thrill』で一緒にレコーディングをしたゴダイゴをバックにライブ・ツアーをやることになり、そこでミッキー(吉野)といろんな話をしたんだ。彼らはいろんなアイディアを持ちながら、何年も先のビジョンも思い描いて活動していて、理想とする未来に向けて自分たちからアクションを起こしていた。俺はそんな彼らのことが羨ましかった。

「俺、ベース?」マーちゃんはベースを持っていなかった

話の流れの中でミッキーが「マーちゃんが日本に帰ってきている」と教えてくれた。どうやらアメリカの美術大学へ行っていたらしい。俺はすぐにマーちゃんの実家に電話をかけて「何もやってないんだったら一緒にバンドやろうよ」って声をかけたんだ。そしたら「俺、ベース?」って言われてね。当時、マーちゃんはベースを持っていなかったんだよ。そこで俺がESP製のJBタイプを用意して渡したんだ。

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『FREE SPIRIT』 Johnny, Louis & Char

マーちゃんと一緒にバンドをやれるのなら、ドラムはジョニーしかいないと考えていた。俺がバンドに誘うと「とりあえずみんなで音を出そうよ。それで決めない?」という返事だった。そこで俺たちは、赤坂にできたばかりのバックペイジスタジオに集まったんだ。

その時の風景は今でも忘れない。誰かが音を出したらそれに反応して音楽が始まる……そんな感じでセッションをしながら、お互いの感触を探っていたね。なんだかんだ言ってふたりは、俺よりも6〜7歳ほど年上だから、俺にしてみたら同世代の連中と集まって音を出して遊ぶのとはまた違う緊張感があったのを覚えているよ。

俺はもう楽しくて仕方がなかったし、この3人が生み出す新たな表現への手応えを感じてはいたものの「よし、これで行こう!」と盛り上がったわけではなかった。なぜなら、その頃のジョニーは金子マリ&バックスバニーの一員として活動していたからね。

最初のセッションから数日して、ジョニーが「バックスバニーの活動もやりながら、ふたりと一緒にやりたい」という話になり、JL&Cの母体となるバンドが生まれた。これはあとから知ることなんだけど、実はマーちゃんとジョニーは、JL&Cで集まるよりも前に一度だけセッションしたことがあるみたいなんだ。その時は一緒にやることにはならなかったけど、ある時ふたりが「やっぱり一緒にやることになったね」と話をしているのを聞いたことがある。お互いに「お前とはいつかどこかで会うと思ったんだよね」って言い方をしていたよ。

まとまったスケジュールを取った俺たちは、バンドの方向性を固めるために「合歓の郷」へ合宿に行った。そこで最初に作ったのは、ベース、ドラム、キーボードというトリオ編成の曲で、俺のクラビネットとマーちゃんのベース・ラインをユニゾンさせたりして……ある種、プログレッシブな音楽性だった。その時のアイディアは、のちに「Depression」や「Get High」で形になっているよ。加えて、ジョニーはもともとチェックメイツというグループでボーカルを担当していたこともあって、ふたりで一緒にハモれるのは新鮮で楽しかった。

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Johnny, Louis & Char

俺はずっと一緒にやりたかった人と演奏できる「うれしさ」を噛み締めていた。やっぱりJL&Cは、俺にとって初めてのパーマネントなバンドだったからね。本来なら、デビューした時の4人がそうなるはずだったんだけど……そうはいかなかったから俺の心の根底にはずっと「バンドがやりたい」って気持ちがあったんだ。JL&Cを組んだ1978年は、すでにジミ・ヘンドリックスやクリームの時代ではなかったけど、心のどこかで「ロック・トリオ」に対するあこがれは少なからずあったように思う。ただし、ジミヘンやクリームと同じことをやろうなんて気持ちは微塵もなかった。それよりも「この3人で何を表現できるか?」がすべてだった。俺はJL&Cで世界を相手に勝負したかったんだ。

「Smoky」「Shinin' You, Shinin' Day」もやっていたけど…

ジョニーはソウルやR&B、マーちゃんはブリティッシュ・ロックやブルースといった具合に、ベーシックとなる部分が全然違う3人だからこそできる表現に大きな可能性を感じていた。3人で音を鳴らすと、自分ひとりでは思いつかないような音楽が生まれてくるのがものすごく楽しかった。そうやってクリエイティブになる瞬間もあれば、逆にフラストレーションを感じる時もあって……バンドを解散するまで、ずっとそのせめぎ合いだったね。JL&Cでは「Smoky」や「Shinin' You, Shinin' Day」のような曲もやっていたけど……ピッタリとハマる時もあれば、そうでない時もある。天気みたいなもんだよ。ひどい時は本当にひどい。天才3人が集まった最高の音楽が生まれる時もあったし、逆に最低なアマチュア・バンドになってしまうこともあったからね。

2021年12月11日(土)には、デビュー45周年記念ライブ「Char 45th anniversary concert special」が東京・日本武道館で開催される。

★#2に続く

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