ベストセラーで読む日本の近現代史_佐藤優

『代表的日本人』内村鑑三(鈴木範久訳)――佐藤優のベストセラーで読む日本の近現代史

改革思考を持った勤勉な人たち

 現下の日本が危機的状況にあるという認識は広く共有されている。グローバル化に対応した「開国」が必要であると主張する論者も少なくない。政治家や官僚が小物になっているという嘆きもよく聞く。しかし、嘆いたり、愚痴ったりしているだけでは何の効果もない。こういうときは、歴史に学ぶことが重要だ。

 内村鑑三(1861〜1930)が、1908(明治41)年に英語で上梓した『代表的日本人』(Representative Men of Japan)は、日露戦争に勝利した後の日本が、帝国主義クラブの後発メンバーとして熾烈な国際競争の中で生き残っていくという問題意識で書き直されたユニークな偉人列伝である。

 ここで内村は5人をとりあげ、その特徴をキャッチコピーで示す。

 西郷隆盛――新日本の創設者

 上杉鷹山――封建領主

 二宮尊徳――農民聖者

 中江藤樹――村の先生

 日蓮聖人――仏僧

 5人はいずれも改革思考を持った勤勉な人たちだ。プロテスタントのキリスト教徒である内村の価値観が反映された人選だ。特に冒頭の西郷と末尾の日蓮から内村は多くを学んでいる。

「鎖国」は深い智慧

 西郷について論じる前に内村は鎖国の正当性を強調する。

〈長くつづいた日本の鎖国を非難することは、まことに浅薄な考えであります。日本に鎖国を命じたのは最高の智者であり、日本は、さいわいにも、その命にしたがいました。それは、世界にとっても良いことでした。今も変わらず良いことであります。世界から隔絶していることは、必ずしもその国にとって不幸ではありません。/やさしい父親ならだれでも、自分の子がまだ幼いのに、「文明開化」に浴させようとして、世の中にほうり出すような目にはあわせないはずです。世界との交通が比較的開けていたインドは、やすやすとヨーロッパの欲望の餌食(えじき)にされました。インカ帝国とモンテスマの平和な国が、世界からどんな目にあわされたか、おわかりでしょう。私どもの鎖国が非難されていますが、もし門を開けたなら、大勢のクライヴとコルテスが、勝手に押し寄せてくるでしょう。凶器を持った強盗どもは、戸締まり厳重な家に押し入ろうとしたときには同じ非難をするに違いありません〉

 米国に留学した経験から、欧米の帝国主義に対する強い警戒感を内村が持つようになったことが反映されている。同時に、内村は開国が必然的であったことを認識している。そして、東洋の国でいち早く近代化に成功した日本には特別の歴史的使命があると考える。

〈1868年の日本の維新革命は、2つの明らかに異なる文明を代表する2つの民族が、たがいに立派な交際に入る、世界史上の一大転機を意味するものであります。「進歩的な西洋」は無秩序な進歩を抑制され、「保守的な東洋」は安逸な眠りから覚まされたときであったと思います。そのときから、もはや西洋人も東洋人もなく、同じ人道と正義のもとに存在する人間になりました。/日本が目覚める前には、世界の一部には、たがいに背を向けあっている地域がありました。それが、日本により、日本をとおして、両者が顔を向かい合わせるようになりました。ヨーロッパとアジアとの好ましい関係をつくりだすことは、日本の使命であります。今日の日本は、その課せられた仕事に努めているところです〉

 日本が欧米によって植民地化されず、東洋と西洋を繋ぐ特別な役割を演じる力を持つことができたのは、明治維新を行った人々、とりわけ西郷の思想と人間性が優れていたからと内村は考える。

〈「敬天愛人」の言葉が西郷の人生観をよく要約しています。それはまさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛であります。西郷が「天」をどのようなものとして把握していたか、それを「力」とみたか「人格」とみたか、日ごろの実践は別として「天」をどういうふうに崇拝したか、いずれも確認するすべはありません。しかし西郷が、「天」は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、「天」の法は、だれもの守るべき、堅固にしてきわめて恵みゆたかなものとして理解していたことは、その言動により十分知ることができます。「天」とその法に関する西郷の言明は、すでにいくつか触れてきました。西郷の文章はそれに充ちているので、改めておおく付け足す必要はないでしょう。/「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」/西郷のこの言葉は「律法」と預言者の思想の集約であります〉

 西郷の「天」という意識がキリスト教の神に繋がると内村はみなしている。

 さらに西郷の命懸けの姿勢も殉教を恐れないキリスト教徒に似ていると内村は考えている。

〈西郷は、責任のある地位につき、なにかの行動を申し出るときには「わが命を捧げる」ということを何度も語りました。完全な自己否定が西郷の勇気の秘密であったことは、次の注目すべき言葉から明らかです。/「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」/「天」と、その法と、その機会とを信じた西郷は、また自己自身をも信じる人でありました。「天」を信じることは、常に自己自身を信じることをも意味するからです〉

 このような西郷の価値観を体得することが日本が生き残っていく上で重要だと内村は信じている。

 内村はプロテスタントのキリスト教徒であるが、日本の宗教者では日蓮をもっとも高く評価する。

〈ルターにとってキリスト教の聖書が尊いのと同じように、法華経は日蓮にとり尊いものでした。/「我が奉ずる経のために死ぬことができるなら、命は惜しくない」/とは日蓮が度重なる危機に直面した折に口をついて出た言葉でした。ある意味では私どものルターと同じく、日蓮も聖典崇拝者であったのかもしれません。聖書はたしかに、あらゆる偶像や権力にまさって尊い崇拝対象であります。一書のために死をいとわない人は、多くのいわゆる英雄にまさる尊い英雄であります〉

 日蓮の法華経に対する姿勢を内村はプロテスタンティズムの「聖書のみ」という原理の仏教版と見ている。日蓮は偉大な宗教改革者なのだ。

〈日蓮を非難する現代のキリスト教徒に、自分の聖書がほこりにまみれていないかどうか、調べてもらいましょう。たとえ聖書の言葉が毎日口にされ、それからじかに霊感を与えられているとしても、自分の派遣された人々の間に聖書が受容されるために、15年間にもおよぶ剣難や流罪に堪えうるでしょうか。聖書のために、身命をも懸けることができるでしょうか。このことを自分に尋ねてみてほしいのであります。聖書は、他のいかなる書物にもまして、人類の改善に役立ってまいりました。それを所持している人たちが、日蓮を石で打つなど、決してあってはならないことであります〉

 日蓮について研究せずに非難するキリスト教徒の姿勢を内村はこのように厳しく批判する。

2つのJ

 内村にとって重要な価値は、Jesus(イエス)とJapan(日本)という「2つのJ」だ。だから日本を国難から救う目的で書かれた『立正安国論』を高く評価する。さらに仏教を日本に土着化させたという点でも内村は日蓮を賞賛する。

〈私ども日本人のなかで、日蓮ほどの独立人を考えることはできません。実に日蓮が、その創造性と独立心とによって、仏教を日本の宗教にしたのであります。他の宗派が、いずれも起源をインド、中国、朝鮮の人にもつのに対して、日蓮宗のみ、純粋に日本人に有するのであります〉

 さらに日蓮は、世界的視座で仏教の未来を展望した。特に重要なのは仏教が日本からインドに向かっていくという仏法西還だ。

〈日蓮の大望は、同時代の世界全体を視野に収めていました。仏教は、それまでインドから日本へと東に向かって進んできたが、日蓮以後は改良されて、日本からインドへ、西に向かって進むと日蓮は語っています。これでわかるように、受け身で受容的な日本人にあって、日蓮は例外的な存在でありました。――むろん、日蓮は、自分自身の意志を有していましたから、あまり扱いやすい人間ではありません。しかし、そういう人物にしてはじめて国家のバックボーンになるのです。これに反して、愛想よさ、柔順、受容力、依頼上手とかいわれるものは、たいてい国の恥にしかなりません。改宗業者たちが、母国への報告に「改宗者」数の水増しをするためにだけ役立つものであります。/闘争好きを除いた日蓮、これが私どもの理想とする宗教者であります〉

 評者は、内村の日蓮観に共感を覚える。しかし、そのような日蓮を理解する人は日本のキリスト教徒の中では少数派だ。

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