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佐藤優のベストセラーで読む日本の近現代史 『東條英機 「独裁者」を演じた男』一ノ瀬俊也

知られざる戦争指導者の実像

コロナ禍の危機にあるにもかかわらず、日本の政界は緊張感に欠けている。当事者にとっては深刻だが、国家や国民とは関係ない権力闘争に明け暮れている。

もっとも太平洋戦争中も日本は2度も首相が交替している。総力戦体制の確立に努め、対米英戦争に日本が踏み切ったときの首相だった東條英機(1884年12月30日生~1948年12月23日没、41年10月18日~44年7月22日首相)の生涯を見ると、今日にも共通する日本の政治文化がわかる。まず、東條は知識人からは人気がなかったが、庶民からは好かれたポピュリスト型政治家だったことだ。

〈東條はこうした同時代の列強指導者に倣い、自己を「カリスマ指導者」として演出しようとしたのではないか。東條はルーデンドルフいうところの「総帥」になろうとしたのである。/(中略)吉田裕は東條が移動や視察に際してオープンカーを常用していたことに注目し、それらのパフォーマンスの狙いは「果断に行動する戦時指導者というイメージを作り出すところにあった」とみている(吉田『シリーズ日本近現代史(6)アジア・太平洋戦争』)。/しかし、しょせん東條はヒトラーのようなカリスマ指導者にはなれなかった。軍を指揮してヨーロッパを制覇した実績も、聞き手を魅了する巧みな弁舌の才もなかったからである。では東條が「国民の給養」にも真剣に配慮、処置する「総力戦」の「総帥」となるにはどうすればよかったのか。/(中略)かつて東條を電気仕掛けのような人物と述べた評論家・伊藤金次郎の東條首相論は興味深い。伊藤は、場末の国民学校や派出所、八百屋、ごみ溜に電撃的視察を繰り返し「民情検討に倦むところを知らない」東條をみた「インテリー層」は「ヒットラーは、政治と軍事に関する工夫想念を、毎朝4時ごろまで練りに練りあげる」のだから、東條も「黎明の巷路視察というが如き末梢的なことに時間を消費せず、今少し考うる時間を用意して、各般の戦争完勝の方途を、大局から構想してもらいたい」と声を発しているとする。しかしこれに反し「大衆層」は「従来の総理大臣に見られなかった東條首相の、気軽な、そして、きびきびした「町の探訪」に多大な好感を寄せている」と観察している(伊藤金次郎『六原道場』)〉

男子普通選挙が導入され、日本の政治も民意を無視できなくなった。ポピュリズムが政治の中で不可欠の要素になったから長州、薩摩など藩閥出身ではなく、メリトクラシー(能力主義)によって将官となり、しかも庶民的気軽さを持った東條が首相になることができたのだと思う。

すべての責任を東條に

日本の政界では、権力が上向きのときには多くの政治家や官僚が首相の周囲に集まる。権力が下降線を辿りはじめると、こういう政治家や官僚は逃げ出す。その姿は、菅義偉前首相の1年間に顕著に表れた。東條の場合、窮地に陥っても「辞めるな」と強く進言する人もいた。しかし、これは敗戦の責任を押しつけようとする邪悪な意図から出たものだった。

〈サイパン戦さなかの6月22日、東久邇宮は近衛文麿に「東條も今度は弱ったようだ。〔中略〕東條は「私も今日まで全力を挙げて来ましたが、とてももうやって行けません」と言って来た」ので、「そこで俺は、今は絶対にやめてはいかん。内閣を大改造してでもこの際は続けて行くがよい、と言ってやった」と語った(以下は共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』による)。東久邇宮は、内閣が替わると敗戦責任が不明瞭になり、皇室に累が及ぶ可能性があるので「悪くなったら皆東條が悪いのだ。すべての責任を東條にしょっかぶせるがよいと思うのだ」というのであった〉

東條は太平洋戦争の責任を政治エリートたちから過重に負わされた面があることは否めない。評者は鈴木宗男事件のときに、鈴木氏に依存していた官僚ほど、自らの責任を回避するために「鈴木の被害者だ」と訴える姿を目の当たりにした。鈴木氏が権力を持っていたときには「私は浮くも沈むも鈴木先生と一緒です」との誓いを繰り返していた某大使が、文字通り目から涙をぽろぽろこぼして「鈴木には本当に酷い目に遭わされた。その俺が鈴木との関係で処分されるかもしれないんだ。こんな理不尽なことがあっていいのか」と叫んでいる姿も見た。それを見て「こんな連中が日本の外交を担っているのか」と唖然としたことがある。

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