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即位パレードの時に見せた、雅子皇后の「涙の秘密」

11月10日のパレードの時、雅子皇后の目には涙が浮かんでいた。沿道を埋め尽くす人びとの姿を見た時、脳裏には何が浮かんでいたのだろうか。そして、即位の礼、大嘗祭…湧き上がる不安をどう克服したのか/文・友納尚子(ジャーナリスト)

29年前の上皇・上皇后陛下のお姿

11月22日の伊勢神宮(三重県伊勢市)外宮の空には、朝から雨雲が広がっていた。

 付近の沿道には、天皇皇后両陛下の姿をひと目見たいと、前日の夜から並んだり、他県から訪れたりした2万人近くの人たちの人垣ができていた。

 29年前にも私は、上皇上皇后両陛下参拝の取材のためこの地を訪れている。だが、今回は当時の厳粛な雰囲気はもう感じられなかった。それどころかブースごとに配置された警察官(三重県警と滋賀県警など)によるDJポリスさながらの整理誘導を楽しむ現象まで起きていた。

 私服の警察官が最前列の高齢の女性にこう呼びかける。

「お母さん、三重では何食べましたか? 私は昨日の夜に泊所でカレーを食べてその前もカレーでした。6日前からここにきているんですけど、思い出に残るものを食べて帰りたいですね。そのためには皆さんにルールを守って頂いて、何事もなく良い気持ちで食事をしたいものですね」

 待機している人たちからどっと笑いが起こる。その女性が、

「あんたも大変だわ。早くお嫁さんもらわんと。三重の女性はええよ」

 というとその警察官は、

「いやいや、まだ僕は若いですから。でもお母さんなら。イヤ?」

 まるで、ベテラン演歌歌手のコンサートにでも来ているかのような掛け合いだ。最近では、こうした警察官が話しかける「こうわ」が恒例となっている。

「皆さん、奇声は発しないでね。黄色い声で。ポケットにも手を突っ込まないでくださいね。危ないですし、何か危険なものが入っていると困りますから。カッコつけて突っ込まなくても充分素敵ですからね」

 と警察官が声をかけると、また笑いが起こる。

 天皇と国民との距離は、平成と比べても確実に縮まっている。両陛下が国民との自然な対話を大切になさり、警備をなるべく軽くしてほしいという意向を示されてきたことが反映しているのだろうか。私服の警察官が増えているようだった。寒空の下で何時間も待つ人たちを飽きさせないための「ソフト警備」は、即位という最も重要な行事の中でも違和感なく行われていた。

 午前9時半、両陛下は、即位に関する一連の儀式が終了したことを報告する「神宮に親謁の儀」に臨まれるため、宿泊先の内宮行在所(あんざいしよ)から別々の御料車で外宮に到着された。

 車から降りた皇后雅子さまは、白のツーピースに白い靴、白い手袋と全身白で身を包まれていた。高い木々が立ち並び、うす暗い神域にあっても衣装が光を集め、まるで光を発しているように見えた。

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儀装馬車2号に乗られて

 両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは5年ぶりのことだ。

 5年前は20年に一度、社殿を作り替え、ご神体を移す式年遷宮に伴うご訪問で、長期療養中の雅子さまは20年ぶりに参拝をすることができた。当時、中学1年生の愛子内親王殿下も初めて玉串をささげて拝礼された。この参拝を機に伊勢神宮へのご関心をさらに深められ、日本史を学ばれることに繋がったという。

 5年前の厳粛な風景や夏の日差しは、今でもご一家の思い出となっているそうだ。

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伊勢神宮での天皇陛下

 天皇陛下は外宮行在所から参道を通って正宮に向かわれる際、「即位礼正殿の儀」の時とおなじ「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身に付けられた。頭には立纓御冠(りゆうえいのおんかんむり)を付けられた御束帯姿だ。29年前に上皇陛下が即位した際にも乗られたという、宮内庁で最も格式の高い儀装馬車2号で参拝に向かわれた。

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伊勢神宮参拝を終えた皇后陛下

 皇后雅子さまは十二単をお召しになられた。表着(うわぎ)には、お印であるバラ科のハマナスが描かれていて、萌黄色の唐衣を羽織られていた。髪をおすべらかしに結い上げられ、頭前には金の「釵子(さいし)」が付けられている。手には大きな檜扇(ひおうぎ)を持たれていた。

「十二単は15キロあるため、お召しになるのに2時間はかかると言われています。おすべらかしも1時間近くかかっていましたが、最近の皇后さまは、お着替えの時間や歩く時の足さばきが早くなってきました。外宮に到着してから参道に出発なさるまで2時間もかかっていません。こうしたことからもご回復を感じます」(宮内庁関係者)

 午前10時35分、小雨が時折降り始めて参道を濡らしていた。この雨のため、皇后雅子さまの移動には、11月10日のパレード「祝賀御列の儀」で使ったオープンカーではなく、通常の御料車を使用することが決まった。
 実は、この移動手段に関しては、宮内庁の中でちょっとした動きが広がった。10月2日、宮内庁は、皇后雅子さまの移動は陛下と同じ馬車ではなく、別の車になると発表したからだ。

馬アレルギーでかゆくなる

 雅子さまが馬車に同乗されないのは、「馬アレルギーのため」と説明された。だが過去には、オマーン国王から贈られた仔馬の頭を撫でたり、御料牧場ではエサを与えたこともあったから、宮内記者からも驚きの声が上がったほどだった。

「皇后さまが動物好きであることはよく知られていました。でも馬アレルギーであることは、記者のほとんどが知らなかったと思います。適応障害という病気で自信をなくされていた皇后さまにとって、馬との交流は、動物を通した癒しであるアニマルセラピーにもなっているともいわれていました。ただ、今となって御料牧場での取材を振り返ると、確かに少し離れたところから餌をあげていましたね」(宮内記者)

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 馬アレルギーは皇室入りされる前からだと証言するのは、2人で乗馬をしたこともあるという雅子さまの友人の1人だ。

「雅子さまは小さいころからアレルギーがあったそうで、乗馬をした時もしっかり重ね着をしていました。まるで防護服みたいねと笑い合ったのを覚えています。それでも馬はお好きで、撫でたくなってしまうそうで、体調が良い時は、アレルギー反応が出なくても、季節の変わり目や疲れているときなど、ご体調によっては痒くなったり、呼吸が乱れることがあるとおっしゃっていました」

 体力作りのために治療の一環として始められた乗馬でも、マスクを二重にされていたという。見かけた記者は、風邪気味か予防ではないかと思っていた。乗馬の後、入念に服を掃(はら)う姿を職員の多くが目にしている。

 当時の東宮大夫の会見では、雅子さまが乗馬をなさっていることは会見で述べても、その理由が「治療の一環」であることを公にしなかった。理由は定かではないが、こうした情報の少なさから、後に「公務もしないで乗馬を楽しんでいる」という見方をメディアがするようになることにもつながってしまった。

 今回の「馬アレルギー」の発表があった後の定例会見で、西村泰彦次長は次のように説明した。

「皇后さまは、馬はお好きなんです。ただ、アレルギーというのはその時によって出方が違いますし、(アレルギーの)薬によっても(症状の出方が)違う。これから重要な祭祀があるため今回は車になった。皇后さまも馬車に乗れないことを大変残念がられていました」

宮内庁が恐れていたこと

 この発表があった時点では、まだ「即位礼正殿の儀」「饗宴の儀」(10月22日、25日、29日、31日)、「祝賀御列の儀」(パレード、11月10日)、「大嘗祭」(11月14日、15日未明)が執り行われる前だったこともあり、長期療養中の皇后雅子さまがすべてをこなせるかどうかは、宮内庁としても確信が持てなかったという。

「仮に皇后さまのご体調が悪くなって、その日になって急遽欠席することになったら大変です。宮内庁としては即位礼関係の儀式を最後までつつがなく行っていただくことが何より大事。お疲れが溜まった皇后さまのアレルギーが悪化されて馬車に乗れないなどといったハプニングは何としても避けたかったのでしょう。

 宮内庁関係者からの意見もあり、皇后さまご自身も即位の行事を最後までお務めになることを一番にご希望されていたので、陛下は馬車、御自身は車という選択になったのです」(宮内庁関係者)

 天皇陛下は、雅子さまが馬車に乗れないという話を聞かれた時、自分も同じオープンカーに乗ればいいのではないかと側近にお尋ねになったという。しかし立纓御冠を付けられているため、雨天で御料車に変更になった場合には、天井につかえてしまうため、現実的には難しかったといわれた。結局、雅子さまからも別々でと了承も得られたことから、陛下は馬車で、雅子さまは車での移動が決まった。

 つつがなく参拝を終えられた皇后雅子さまの表情には、安堵のご様子が見て取れた。

「皇后さまは、いつも通りに口角を上げて微笑んでいらっしゃいましたが、目から余計な力が抜けて余裕のあるご表情でした。皇太子妃の頃には、目の下が腫れて隈ができているときもあったので、眠れなかったり、お疲れになったりしているのではないかと思う時もありました。皇后陛下になられてからは、ご病気であることを忘れてしまうほどです」(宮内記者)

 11月14、15日におこなわれた大嘗祭は、午後3時に御所をご出発され、午前4時過ぎにお戻りになられるという長時間のお勤めだった。しかも所作に不備があってはいけないため、当日まで緊張のつづく習礼(練習)が何度も行われた。2泊3日の伊勢神宮から帰京された雅子さまは、さすがに少しお疲れのご様子だったという。

 夕方、玄関前でお出迎えになった愛子さまとご家族で伊勢神宮の話などをなさったあと、早くにお休みになられたそうだ。以前であれば、ご病気の性質から眠れないこともままあったといわれたが、活動の幅が広がってからは、そうしたこともなくなってきた。

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