李王家の縁談

連載小説「李王家の縁談」#4 |林真理子

【前号まで】
韓国併合から五年経った大正四年(一九一五)。佐賀藩主の鍋島家から嫁いだ梨本宮伊都子妃には、方子という娘がいた。伊都子妃は、迪宮(後の昭和天皇)の妃候補として、方子の従妹にあたる、良子女王の名前が挙がっていると知る。そこで伊都子は、韓国併合後に皇室に準ずる待遇を受けていた李王家の王世子、李垠に方子を嫁がせることを画策した。そして八月三日、方子は自分と李垠の婚約を新聞記事で知り泣きくずれるのだった。

★前回の話を読む。

 予想していたよりも、はるかに方子(まさこ)は頑なであった。

 新聞で自分の婚約記事を見るやいなや、部屋に閉じこもってしまったのである。女中たちによると、襖の前に置いた盆のものにも手をつけていないという。

「まあさん、お聞きなさい」

 二日後、伊都子(いつこ)は娘の部屋の前に座った。

「あなたも子どもではないのだから、ご自分の置かれた立場もわかるだろう。まあさんは前におっしゃったね。級友の方々は、よく音楽会やお芝居においでになる。だけど私はどこに行くことも出来ないと。あたり前のことなのですよ。私たちは気軽なお立場の、爵位があるだけの方々とは違うのです。私たちは皇族という、陛下のいちばんお側にいる者なのです。命を賭けても、陛下をお支えする。この日本という国を守らなければいけない立場なのです。王世子(おうせいし)殿下との婚約は、もう陛下のご裁可をいただいている。嫌だと言って断ることが出来るか、よく考えてみればいい。もしそのようなことをすれば、おもうさまは皇族という身分をお返ししなければならなくなるでしょう。東京の邸とて、国の土地をいただいたのだから、すぐに出ていかなければならないでしょうね」

 こういう脅しめいたことは、伊都子の好みではなかったが仕方ない。ありったけの知識を動員し、アジアにおける日本の地位、そしてロシアに狙われ続けている日本や朝鮮の危うさを語ったのであるが、十四歳の娘の心には届かなかったのである。

「私たちは、陛下に、どのように申し上げればいいのか」

 畏れ多くも、陛下の名を出したことにより、方子はしぶしぶ部屋から出てきた。そしてひと言も口をきかぬまま、家族と一緒に東京へと戻った。

 九月からは新学期が始まり、方子はそこで級友たちから祝福の言葉を受けたらしい。クラスの中でいちばん早い婚約だったので、少女たちは興味と好奇心とをつのらせていた。多くが小さな棘(とげ)を秘めた言葉を口にする。これがかえって方子の負けん気をかきたてたらしい。

「王世子さまは日本語をお話しになるのとか、何の言葉で話すの、などと聞く方がおいでだったわ。私はつくづく王世子さまがお気の毒になりました」

 帰ってから、方子は母に告げた。肌の薄い白い顔には、涙をぬぐった跡があった。

「はっきりとはおっしゃらないけど、朝鮮の方と婚約するなんて、というお考えがわかりました。お小さいながら日本に連れてこられて、一生懸命お勉強なさった王世子さまに、なんという冷たい態度をおとりになるのでしょうか」

「そうですとも」

 伊都子は頷いた。

「おもうさまもおっしゃっておいでだ。王世子殿下は秀才のうえ、士官学校の方々にもとても慕われておられると。まあさんは、お一人で日本にいらっしゃった王世子殿下を、これからはまごころをもってお慰めするのです」

 こうして娘の心もやわらぎ、夏が終わるにつれ、伊都子の心配ごともひとつひとつ解消されていく。なぜならば波多野敬直宮内大臣が、次々と約束の実行にかかっているからだ。

 婚約発表の後ただちに、新聞は先帝の天長節に、結婚勅許が下されると報じた。王世子と方子との結婚は、皇室典範および皇室親族令による婚儀になるというのだ。

 が、これをめぐって、帝室制度審議会と、枢密院とが、後に長々と議論をすることをまだ伊都子は知らない。この議論はなんと、二人の婚儀の後までももちこされることになるのだ。

 政治家たちのほとんどが、学習院の華族の少女たちよりもはるかに朝鮮に敬意をはらっていなかったのである。論議はいつのまにか、

「そもそも、韓国併合で朝鮮王室を、日本の皇族と同じにみなしたことが間違いだったのではないか」

 というところまでいきつくのである。

 帝室制度審議会総裁伊東巳代治(みよじ)と、枢密院議長山縣有朋とが激しくやり合うことも伊都子の耳には届いてはいない。

 彼女にとって、縁談というのは、国など遠くにあってまず女たちが主導する内々のことなのだ。

 少しずつ、伊都子は婚礼の準備を始めた。宝石店の御木本(みきもと)を呼び、方子が身につけるさまざまな宝石の相談をした。ティアラは一万二千円の予算だ。

 御木本はさまざまな下絵を描いてきたが、伊都子はどれも気に入らない。そして支配人相手にこんな昔話をした。

「この頃は日本で王冠をつくれるけれど、私の時はそうではなかったよ」

 それは明治二十九年の頃だ。伊都子の父直大(なおひろ)は、婚儀のための宝石をすべてパリに注文した。たまたま所用でかの地に出かけることになった、鍋島の旧臣の者にすべてを託したのだ。ティアラ、首飾り、腕輪、指輪といったものの値段は、それこそひとつの宮家の予算に匹敵したのではあるまいか。ティアラひとつが二万数千円であった。もちろん伊都子は商人相手にそんなことは言いやしないが、

「その時の宝石の見事さは、私どもの間でも広く知れ渡っております」

 支配人は頭を下げた。

「あれから二十年たって、日本でもやっとティアラがつくれるようになった。だけど形はまるで追いつかない。やっぱり本場のものはもっと豪華で立派だよ。この真中に使うルビイは、何とかならないものかね」

 嫌味を口にする伊都子は、方子が“皇族”に嫁ぐことに何の疑問も持っていない。“皇族妃”となる方子に、ティアラが必要だと固く信じている。

 その頃、伊東巳代治総裁は、「王公家軌範(おうこうけきはん)案」を波多野宮内大臣に提出している。これによって、さらに論議はややこしいことになっていく。

 伊都子が婚約の準備に追われている頃、王世子の兄、純宗(スンジヨン)が来日した。天皇に拝謁(はいえつ)するという名目であるが、海外の事情に詳しい鍋島の父直大は、

「おいたわしいことではないか」

 と首を横に振った。

「明治の御世、東宮でいらした陛下は、ご自身が朝鮮へいかれたものだ。ところが今は、あちらの王に挨拶に来いという。これは朝鮮総督府が仕組んだことであろうが、長谷川総督も、なんと傲慢なことか。これでは朝鮮の民衆の、心を損ねるばかりだ」

 直大は寺内正毅の後任として、朝鮮総督となった元帥陸軍大将長谷川好道(よしみち)についての、いくつかの噂話をした。三井・三菱といったところから、多くの賄賂を受け取っているということ。排日運動の思想犯に対する締めつけもひどい。両班(ヤンバン)出身の官臣たちは、みな日本政府から爵位を授けられ、長谷川におもねるばかりだという。

 長谷川もまた寺内と同じく長州の出身である。おそらくこれからも朝鮮は長州閥が握っていくことになるだろうと直大は言った。

 その寺内は、朝鮮総督の功績が高く評価され、昨年内閣総理大臣に就任している。伊藤博文以来、朝鮮総督は日本の総理と並ぶほどの大きな力を持ち始めているようだ。そしてその長州の男たちの頂点には、老いてもなお四方に勢力を誇る山縣有朋が鎮座していた。

 この山縣有朋は、枢密院での王世子婚姻に関する議会で、

「これは植民地問題であり、皇室問題にあらず」

 と言い放ったというが、直大はそれを娘の伊都子には伝えてはいなかった。どれほど憤るかわかっていたからだ。

 純宗は一週間ほどの滞在で、すべての皇族に挨拶をした後、最後に梨本宮家を訪れた。名古屋では、王世子が出迎えたという。

「久しぶりに兄弟二人で、さまざまな話をしました」

 それを思い出したのか、少し微笑んだ。彼の前歯の何本かは失なわれている。前に京城で会った時も気づいていたが、言葉も少々不自由である。それを通訳がうまく庇っていた。少年の頃、アヘン入りの茶を飲まされたのが原因という。朝鮮の宮殿では謀略が横行していて、貴人の毒殺がそう珍しくなかった時代の話である。

「私どもと梨本宮家との縁談がまとまったのは、朝鮮にとって大きな慶事であります」

 と言った後で、純宗は不意にこう告げたのである。

「王世子の婚約者には、既に破棄を告げていますから、ご心配なさることは何もありません」

「はっ?」

 伊都子は思わず聞き返した。通訳は今、確かに、

「王世子の婚約者」

 と告げたのである。伊都子があまりにもけげんな顔をしていたのだろう、純宗はおごそかに告げた。

「朝鮮の宮中のならわしで、王世子は子どもの頃に許嫁を立てました。しかしこれはしきたりにのっとっただけです。王世子が日本に来たからには、何の効力もありません。どうか安心してください」

 それでは、私の義妹になるお方、王世子の妃になる方に会わせていただけませんかと、彼は告げた。

 伊都子は躊躇する。なぜならば、方子はまだ一度も婚約者である王世子と会ったことはないのだ。納采を終えるまでは、二人は会うことはないであろう。それを先に純宗に会わせるのはいかがなものかとちらっと考えたが、相手は兄である。家長というべき人物に会わせるのは、何の問題もないだろうと伊都子は判断する。

「まあさんをここに」

 やがて応接間の扉が開いて、方子が現れた。今日純宗が来ることは告げていたが、挨拶に来るようには命じていなかった。しかし方子は正装の振袖に着替えていたのである。伊都子があっと思ったのはその髪型だ。今まで横分けにしていたものを、真中できっちりと分けていたのである。着物を着たためかもしれないが、朝鮮風にしているともとれないことはない。紫地に水仙を染め出した単衣は、方子をとても大人びて見せている。

「陛下、ようこそいらっしゃいました。私が方子でございます」

 さらに驚いたことに、方子は朝鮮語で語り出したのである。

「何もわからぬふつつか者でございますが、どうかよろしくお導きくださいませ」

 結婚の準備のため女子学習院を中退させてから、フランス語や礼儀作法の他に、朝鮮語と歴史を学ばせていた。わずか半年で、これほど上達していようとは伊都子も少々驚いている。

「これは何という、美しい王女さまでしょうか」

 通訳が彼自身も心からそう思っているように、感動したおももちで声を発した。

「あなたのような方が妻になって、王世子は本当に幸せ者です」

「ありがとうございます、陛下」

「ご結婚なさったら、二人でぜひ京城にいらっしゃい。きっとですよ」

「ぜひ、そういたします、陛下」

 陛下と呼ばれるたびに、純宗の顔が喜びで輝やいていく。朝鮮総督府では、純宗は陛下ではなく、殿下と呼ばれていることを伊都子が知るのは、そのしばらく後のことだ。

 翌大正七年は、さまざまなことが動き出した年である。

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