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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#23

第四章
End Of A Century

★前回の話はこちら。
※本連載は第23回です。最初から読む方はこちら。

* 

 1996年8月10日土曜日午後7時。

 林ムネマサの自宅、吉祥寺・大盛寺の庭で下北沢ギター・ポップ・シーンのミュージシャンが大集合した真夏のバーベキュー・パーティ。カズロウが出会い頭に不意に告げた STARWAGON 解散のニュースは、僕の心を大きく引っ掻いた。しかし、正直に言えば「意外」だったわけではない。ポリスターと契約した彼らが6月にリリースした、記念すべきメジャー・デビュー・EP《LA LA Ooh LA DAY》は、メイン・ソングライター湧井さんのある種の暴走、ワンマン・バンド化が激しい作品だった。時折不穏な空気が漂いつつも上昇気流の中で一致団結していた前作までと違い、明らかに湧井さんと他のメンバーのテンションの違いが僕にも伝わってきた。

 最大の変化は、これまで頑なに英語詞に拘っていたはずの湧井さんが突然日本語詞にトライしたことだ。日本語詞になると圧倒的にヴォーカリストとしてのアイデンティティと、フロントマンとしての「実力」が露わになる。バンドのカラーも大きく変わる。日本語で作詞をし、歌い、固有のパーソナリティを認めさせた上で音楽的完成度を保つのは、限られた者にしか許されない特殊技能なのだ。

 STARWAGON だけでなく、少し前までの下北沢インディ・ギター・バンド界隈では英語で歌うことが流行だった。湧井さんも、僕にこう告げていた。

「ゴータ、日本人が英語で歌うことは全然おかしくないんだ。世界でも、例えばフランスでも、スウェーデンでも、どこでも自国の言葉じゃなく、英語で歌って世界的に聴かれているバンドやアーティストは沢山いる。仮に英語で歌ったとしても、どうしても『日本人らしさ』は出てしまう。でも、それこそが、俺たちのオリジナルな魅力にも変わるんだよ」

 その湧井さんが1年後、メンバーの反対を押し切ってまで日本語詞に舵を切ったのはなぜだろうか。湧井さんは僕にとって憧れの存在で、その儚い香りのする歌声が大好きだったが、あくまでも彼の本質はギターやベースなど弦楽器プレイヤーとしてのパーソナリティにあった。1996年2月21日にリリースされたサニーデイ・サービスの名作アルバム《東京》が、日本中のロック・ファンに支持を広げて下北沢の枠をあからさまに飛び越えたことで、各バンドのヴォーカリストが皆焦りを感じたように思えた。ただし……、サニーデイ・サービスの心臓とも呼べる曽我部恵一は類稀なる「ヴォーカル・モンスター」であり、一瞬で永遠の世界を描ける作詞家であり、恐ろしいほどの多作家だった。曽我部恵一の才能は、周囲の磁場を完全に狂わせるほどのもの。雑誌を開けば、そこに彼の写真と賛否両論含む熱狂的な考証記事があった。レコード・ショップにいても目に耳に容赦無く飛び込んでくる。僕は浮き足立たないように、曽我部恵一の才能と距離を置くことを決めた。影響されてたまるか、と。

 湧井さんも自身の「歌手」としてのパワー不足は、理解していたはずだ。彼の描く理想と現実の間に生まれる様々なジレンマが、バンドのメンバーに対する不機嫌の理由のようにも思えた。それほどまでして日本語に歌詞を変え、新機軸を打ち出したはずの《LA LA Ooh LA DAY》だったが、聴いてみるとヴォーカルのミックスが異様に小さくて、そのことにも僕は驚いた。輝いていた STARWAGON の歯車はいつの日か分解され、散らばってしまっていた。

 僕はまだ林ムネマサのヴォーカルを聴いたことがない。確かに彼は STARWAGON のステージで一世代若い新入りのベーシストとして、元気な声でライヴでコーラスを歌ってはいたが、彼がスリーピース・バンドのフロントマンで本当に大丈夫なのだろうか? 湧井さんと話したくても、すぐに話せない。彼は、傍目からはメンバーに見捨てられたように見えるバンド解散のことをなんて言うだろうか。プライドの高い人だ。「せいせいしたよ」と後輩の僕には笑うに違いない。

 考えているうち、急に僕は傍観者のような気分になった。アイスボックスで冷やされた缶ビールを右手に持った僕は、噎せ返る8月の景色の中で楽しそうにはしゃぐバンド仲間や先輩達を静かに眺めていた。SHORTCUT MIFFY! のドラマー、セイちゃんが早くも酔っ払って花火を持って走っている。周りが笑いながら「セイちゃん、危ねーよ!」と口々に注意し、女子達も楽しげな悲鳴を上げている。若く見える彼は社会人なのだと言う。昼間は会社で働き生計を立て、余暇の時間でバンドも続けていると言うタイプの人も実は多かった。

 新しくバンドを組むという林ムネマサも上条兄弟も、心が晴れたような表情で酒を飲んで楽しそうに語らっている。バンドが「恋愛」だとすれば明らかにフラれたのは、彼なりの高みを目指して孤軍奮闘していた湧井さんの方だった。僕はその湧井さんのいない輪の中に入っていけなかった。

 この1年半で僕を巡る状況も大きく変わっていた。インディーズではあるが、年末に初めてのCDをリリースする予定も決まった。急激に自分が「竜宮城」だと思っていた下北沢の夢の玉手箱が開いたような気がしてくる。目の前ではしゃぐバンドマン達が、遠い蜃気楼の影に隠れていった。ただし、変わったのは彼らではなく、明らかに僕自身だった。

 少し離れた場所でベンチに座って缶ビールを飲んでいると、ショートカットを美しく保ったマイカが微笑みながら僕の方に向かってきた。

「ゴータ君、久しぶりだね」

「いつ以来かなー、俺が『さくら庵』に行って、みたらし団子を焼いてくれたの、あれそれこそ桜の季節だったような」

「私さ、カズロウと結婚することになった」

「え? えー! おめでとう! ってことは、お店継ぐってこと?」

「うん。と言うより、赤ちゃん出来たんだ、ふたりの」

「えー!?」

「だから今日も私、呑んでないよ、ふふ。カズロウから聞いたら、赤ちゃんのことは驚いてあげてね。まだ誰にも言ってないから」

「いや、でも、おめでとう、友達で子供生まれるの初めてかも。いつ? 生まれんの?」

「来年の1月予定」

「そうか。じゃ、カズロウのお父さんとお母さん、喜んだんじゃない?」

「うん。私たちが住む家も、買ってくれてさ……」

「そうなん?」

「でも私ね。その時は泣いちゃった」

 適切な相槌を探せず、僕は黙ってしまった。

「桜新町のね……、1階が店舗に出来る、すごくいい家なのよ。でも、私には物件を選ぶ権利もなくてね。悪気はないんだけどね。むしろ家なんて、普通は買ってもらうもんじゃないから……。でも自分の未来は自分で選びたかった、私」

「うん……、まぁ、そうやんな……。マイカのお父さんは?」

「怒ってたよ、早過ぎるって。私のこと好きでもないくせに」

「そんなことはないでしょ」

「酷い人だから。言ったっけ。私、お母さんが小学校2年生の時に家出して。離婚届を置いたまま行方不明になって」

「うっすらとは聞いた、亡くなったお兄さんが優しくしてくれたんだよね、確か」

「1年もしないうちに、父の新しい恋人がウチに来てね。何したと思う、最初に。家族のアルバムからお母さんの写真を切り抜いたのよ」

「うーん……」

 マイカは、少し口角を上にあげ、微笑むようにして続けた。

「何年か前もね。私が泣いてたら、哲平、3番目のお兄ちゃんがね、バイクの後ろに乗せてくれて。黙って新宿までドライヴしてくれた。お母さんも、お兄ちゃんもいないから、今は。新しい家族が出来ること自体はとっても嬉しいんだよ」

「英語の先生になりたくて、勉強してたんやんな」

「それは子供がある程度成長した後、また頑張ろうかなって。うん。去年までは毎日、夜、ゴータ君や皆と下北で踊ったり遊んだりしてたのにね。急に自由が終わっちゃうなんてほんと信じられない」

 僕らを見つけたカズロウが、ビールをゆっくり上に掲げながらニコニコと近づいてきた。マイカは「じゃあね、またね。ケースケさんの店、皆で行こうね」と言って女友達の渦の中に消えた。

「ゴータ君、マイカからなんか聞いた?」

「ん? いやキミら結婚するって。おめでとう」

「それだけじゃなくてさ……、俺さ……、親父になんのよ」

「えーー!!!」

 どれくらいのレベルで驚くのが適切か分からないので、僕は異様なヴォリュームで声を上げてしまった。

「スゴいな、キミ」

「ここだけの話だよ。まじで俺の人生、あー、終わったよー、21だぜ、あー」

「それは知らんがな」

「結婚はしたいんだけどね、もちろん。俺、やっていけっかなー。心配しかなくてさ、正直」

「いや、俺も想像できひん。にしても、スゴいわ……。で、継ぐん? 家?」

「前、言ってたじゃない? オヤジが桜新町で土地見つけて。勝手に家建ててたって。下が店舗に出来るようにした家、あれ結局出来ちゃってさ、今そこに住んでる。そこで新しい店やるかも。前、ゴータ君言ったの覚えてる?」

「ん? なんだっけ、あはは」

「美容院みたいなおしゃれな内装にしてブルーベリーとかマンゴー包んだ饅頭売ればどう? って言ったんだよ!」

「え?」

「忘れんなよ、あはは。俺、その呪縛が頭から離れなくてさ。マジでやってみようかと思ってる。マイカは馬鹿にしてるけど。絶対無理だって」

 季節が変わるごとに、あまりにも早いスピードで周りの景色が変わってゆく。二十歳を越えてしばらくすると学生時代のモラトリアムは終わり、それぞれが自分の道を進まなければならない。僕は、これからどうなるのだろう。まずは、インディーズでCDは作れることは決まっている。それはとてつもない目標の実現だ。才能溢れるギタリスト、キーボーディストである奥田健介の加入以降、バンド NONA REEVES は確実に軌道に乗り始めている。しかし、プロになるという子供の頃からの夢に少しずつ近づいた分、僕の胸に確実な心境の変化も現れてきた。音楽を聴くことが「楽しい」という感情だけでは済まされなくなってしまったのだ。

 雑誌を読んでも知り合いが出ている、レコード・ショップに仲間や先輩、後輩の作品が並んでいる状況が通常になると、日常をエスケイプするために生み出したはずの桃源郷に邪念が混ざり込んでゆく。一緒に走り出した全員が失敗し、全員の夢が叶わないのなら諦めもつくだろう。しかし、現実は違う。下北沢や早稲田大学で出会った東京の仲間達の中には、どんどんそれぞれの描いた計画を実現して塗り替えてく者もいる。嫉妬……。

 女の子グループが選曲しているCDラジカセから、YEN TOWN BAND の「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」が流れてきた。小林武史プロデュース、CHARAの歌う文句のつけようのない切なく美しいメロディのバラードだ。ただ、こんな完璧な名曲を聴いてもジェラシーが邪魔をして認めたくない自分に気づいてしまい怖くなる。去年までは、そんなことはなかったのに。

 インディーズとは言えCDがショップで売られるとなると、古今東西すべての音楽家はライバルとなる。僕は嬉しさと同時に幼い頃から愛し抜いてきた「音楽」が純粋に聴けなくなる日が来た事実が怖かった。自分はプロになれなかった場合、適度な距離感を保てる人間ではない。夢が実現しなければ、音楽からどこまでも耳を塞いで逃げるしかない。バンドとしての競争を勝ち抜き、ミュージシャンになるしかない。もう戻れはしない。自分の選択肢は残されていなかった。

★第24回を読む。

★今回の1曲ーーChara (YEN TOWN BAND) - Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜 (1996)

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
Spotify公式ポッドキャスト「西寺郷太の GOTOWN Podcast」、毎週日曜更新。
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