文藝春秋digital李王家の縁談

新連載小説「李王家の縁談」#2 / 林真理子

【前号まで】
韓国併合から五年経った大正四年(一九一五)。佐賀藩主の鍋島家から嫁いだ梨本宮伊都子妃には、方子という娘がいた。伊都子妃は、迪宮(後の昭和天皇)の妃候補として、久邇宮邦彦王の第一女子で方子の従姉にあたる、良子女王の名前が挙がっていると知る。そこで伊都子は、大韓帝国最後の皇太子として韓国併合を迎え、その後、皇室に準ずる待遇を受けていた李王家の李垠に方子を嫁がせることを考える。

★前回の話を読む。

 昨今の大金持ちといえば、三井、岩崎ということになっているが、かつての有力大名たちも負けてはいない。

 加賀百万石の前田家、薩摩の島津家、長州毛利家が毎年の長者番付に名を連らねている。どこの家にも優秀な家令がおり、維新後に受け取った莫大な金禄公債を、鉄道や銀行にうまく運用しているのだ。二つの戦争を経て、株も上がるばかりである。鍋島家も例外ではなかった。

 鍋島邸は明治二十五年に完成した。永田町の二万坪の敷地に、西洋館と日本館がある。それぞれが三百坪であった。

 海外生活を体験した鍋島夫妻だけに、西洋館にちぐはぐなところはなく、サロンや螺旋階段の様式は、完全にフランス風のそれを取り入れている。この邸のシャンデリアはすべてヨーロッパから輸入したものだ。

 今、小ぶりのシャンデリアがさがるサロンで、伊都子(いつこ)は両親と向かい合っている。皇族妃である伊都子から、実家に出むくことは少ない。が、今日は馬車をとばして、渋谷の梨本宮邸から、ここ永田町にやってきたのである。

 伊都子も母の栄子(ながこ)も、庇髪(ひさしがみ)に地味な色合いの和服を着ていた。二人は美しい姉妹としかみえない。

「いつさん、そんなこと、急にお決めになってよろしいんやろか」

 公卿の広橋家から来ている栄子は、時々京の訛りをにじませることがある。興奮している証拠だ。

「いくら東宮さんのお相手が、良宮(ながみや)さんにお決まりになったからって、そんなに急がなくてもよろしいのに。それに何も、朝鮮の王世子(おうせいし)さんなんてなあ、そんな異国にまあさん、嫁がさはらなくても」

 方子(まさこ)は祖父母を大層慕っていて、この邸にもよく泊まりがけで遊びにくるほどだ。栄子にとっては可愛い孫なのである。

「まだ決めたわけではありませんよ。私がふと思いついて、相談しているだけなんです」

「宮さんは、なんておっしゃっているの」

「宮さんは今、名古屋にいらっしゃっておいでです。私の心積もりは、まだお話ししてはいません」

 梨本宮守正(もりまさ)王は温厚な人柄で、勝気で美しい妻に惚れきっている。男子が生まれず、梨本宮家がいつか廃絶になるのを覚悟してからというもの、夫が諦念の中にいるのを伊都子は知っていた。娘二人の縁談に、夫は口をあまりはさまないはずである。娘を皇太子妃にしようと奔走したであろう、兄の久邇宮とはまるで違うのだ。

「私の考えがおかしいかどうか、今日はお二人のご意見をお聞かせいただこうと思って」

 伊都子は両親を見つめる。切れ長の美しい目が強く光っている。関係している赤十字で、どんな切断手術や出血の処置をしようとも、伊都子は身じろぎひとつしないと有名であった。その目は公卿出身の母をもたじろがすこともあるほどである。

「私は朝鮮がどんなところかまるでわかりません。そやけど、とても遅れた国だったのを、伊藤博文さんは、えらいお金遣われて、鉄道敷いたり、病院や学校をつくられました。それなのにお礼言われるどころか、朝鮮人に殺されましたなあ。私はそんな怖しいとこ、何もまあさんが、嫁がなくてもいいと思いますけどなあ……」

「いやいや、伊藤公はあまりにも急ぎ過ぎたのだ」

 父の直大(なおひろ)侯爵が初めて口を開いた。

「父の直正公もかねがねおっしゃっていたものだ。朝鮮というのは、なんと誇り高い国であろうかと。ご一新が終ってからもずっと、日本国を臣下のように扱っていたので、なんと傲慢なことかと、皆が怒っていたことを。それで西郷隆盛は、どれほど苦労したことか」

 海のすぐ先にある朝鮮は日本人にとって大陸への踏み台のように見える。だから古代から征服の野望を持った。豊臣秀吉にいたっては、おのれの力のすべてを賭けようと、ねばっこい執着をみせたものである。

 鎖国によってしばらく途絶えていたこの思いが再燃したのは、この半世紀ほどのことだ。

 それまで極東の小国で、朝鮮とほとんど変わりない因襲の中にいた日本が、維新によって突然世界の舞台に躍り出たのである。そしてはるかに大国である、清、ロシアを次々とうち破ったのだから、過剰な自信を持っても無理ないことであった。

 そして“大国”日本は、再び朝鮮への野心を持つ。さまざまな戦いやかけひきがあった。

 近代化がうまくいかず、政治の混乱の中にあった朝鮮は、たやすく屈伏する。が、屈伏したと思ったのは日本だけで、明治四十三年の併合の時は、多くの廷臣たちが憤怒のあまり自害したと言われているのであるが、そのような複雑なことは、日本の貴族の女たちに伝わるはずはない。

 今、伊都子の頭の中にあるのは、朝鮮の王家が日本によって存続を許され、その王や王世子は、日本の皇族と同じ待遇を得ているということだけだ。

「王世子さまは、ずっと日本でお暮らしになっていました。これからもお帰りになることはありますまい。ねえ、お父上」

 今、朝鮮は、朝鮮総督府が支配しているのである。李王家はお飾りといっていいのであるが、八年前、そのお飾りが反乱を起こした。王世子の父親である高宗(コジヨン)が、日本の横暴を世界世論に訴えようと、オランダのハーグで開かれた万国平和会議に密使を送ったのだ。しかしこのことが露見し、王は退位させられた。梨本宮夫妻が京城で会った王は、その息子で垠(ウン)の兄の純宗(スンジヨン)である。

 ふーむと直大は嘆息した。可愛い孫娘が、かなりややこしい場所に行かされようとしているからだ。それでも欧州に留学し、イタリア公使を務めたことがある彼は、妻とはまるで違う考えを持った。

 マントルピースの上の飾りものに目をやる。

 そこには、鍋島の家と朝鮮との深い繋がりを示すものが二つ飾られているのである。

 右側にあるものは、青磁の美しい壺で、高麗のものと言われている。これは伊都子の異母兄である直映(なおみつ)の土産だ。直映は外務省嘱託として、しばらく京城に暮らしていた。ケンブリッジ大学卒業という経歴を買われ、大正になる少し前には、朝鮮総督府からの依頼を受け、農事調査に携っている。

 その頃から、鍋島家の者たちも朝鮮にはよく出向いていて、珍しい鶴の肉を毎年調達してきたものだ。

 そしてその傍に、牡丹と鳥を描いた色鍋島が置かれている。鍋島藩直営の窯で焼かれた磁器は、今も盛隆だ。内国勧業博覧会で入賞したもので、鍋島家に献上されたものである。

「やはりこれを見れば、不思議な気持ちになるものだ」

 直大は二つの飾りものを見つめる。

「わが先祖直茂公が、豊臣秀吉の命を受けて、朝鮮に攻め入ったのは、遠い昔のことと思っていたが、そうではない。あの時、直茂公は何人もの陶工を連れてお帰りになり、窯を開かせたのだ。それが有田となり、こうしてわが鍋島の家を盛(さか)えさせてくれたのだ。こうして考えると、今回もし李王家とのご縁があるとしたら、それは前から決められていたことかもしれない」

 直大は静かに目を閉じ、語り出した。それは妻や娘に対してではなく、自分自身に言い聞かせるようであった。

「わが父、直正公がどれほどご立派な方であったか、お前たちに言うまでもない事だ。直正公がいらっしゃらなければ、ご維新などかなわぬことであったろう、あったとしても、二十年、三十年遅れていたに違いない。知っているだろう、父上がこの国で初めての種痘を、私にほどこされたことを」

 女たちは頷く。それは今や、子どもの道徳の読本にも載っているほどの、有名な出来ごとである。

「家臣たちは、牛の肝(きも)を植えつけるとは何ごとかと血相を変えて止めようとした。しかし父上はこうおっしゃったそうだ。初めてでも正しいことは正しい。もう少しして時代が変われば、私がしたことは正しいことと分かるだろう」

 そう、時代は変わるのだと、直大ははっきりと口に出した。

「確かに今の朝鮮は貧しい。見下されることもあろう。が、ご維新前の日本も同じようなものであった。今、日本の力で、朝鮮は日本と同じようになろうとしているのだ。もう少したてば、もうひとつの日本が出来ることであろう。李(イ)垠殿下は弟の方の王になられる。その妻に鍋島の娘がなるというのも、悪いことではないかもしれない。これも鍋島の家の使命かもしれぬ」

「鍋島の使命」

 という言葉を、伊都子は深く心に刻む。

 幼ない頃から、どれほど父のことを愛し、尊敬してきたことであろう。海外生活が長かったため、鍋島家は日本の貴族には珍しく、皆で睦み合う。

 直大は非常に教育熱心な父親であった。貴族階級の共通言語はフランス語であったから、娘たちにはそれを習わせたが、兄の直映にはイギリス人の家庭教師をつけた。いずれ英語の方が必要になるだろうと、身にしみて感じていたからに違いない。

 そして伊都子には自分自身で、さまざまな躾をほどこした。それは、

「当今(とうきん)の 仰せいださる ことのはを 綸旨綸言(りんじりんげん) 勅宣(ちよくせん)といふ」

 などと皇室に関わる用語を覚えさせたかと思うと、

「香のもの 湯を受けて後 くふぞかし めしのなかばに くふはひがごと」

 などと日常の瑣末なことにまで及んでいる。

 そればかりか、直大はやがて鹿鳴館に向かうであろう娘のために、西洋作法の歌まで作っていた。

「女子にして 貴人の前に 礼するに 胴はまげても 首はまげるな」

「食卓は 右にコップに パン左 中はメニューと おして知るべし」

「祝盃は げこといへども 一杯は つぎて祝詞を 言(いう)ぞよろしき」

 結局鹿鳴館で踊ることはなかったが、これらのことは夫と行った欧州でどれほど役に立ったことだろう。伊都子は今でも空で言うことが出来る。幸い、というのはおかしな言い方であるが、母の栄子は後妻であったために、鍋島の家での勢力は非常に弱かった。公卿の風はほとんどなく、明治になっても大名家の気風は脈々と受け継がれ、それにヨーロッパの色彩がほどこされたのが鍋島という家だったのである。

 伊都子にとって嬉しかったのは、両親の口から、

「朝鮮人の皇太子などとは……」

 という甫視の言葉が聞かれなかったことだ。韓国併合から五年がたとうとしていたが、日本に朝鮮人はほとんど住んでいない。見るのは留学生ぐらいで、朝鮮に渡った者も数えるほどだ。それなのに庶民は朝鮮の者を自分より下に見るのである。

 日本政府は注意深く併合を進め、決して植民地化ではなく、平等な統合であると主張しているのであるが、それを信じる者など一人もいない。見たこともないくせに、朝鮮人といえば無学で粗野と決めつけている者のなんと多いことであろうか。

 が、そんな下々(しもじも)の者たちの感想など、伊都子は気にかけていない。あの者たちは何も知らないのだ。李垠は条約に基づいて、日本の皇族と全く同じ地位にいる。多額の歳費が受け取れるはずであった。それどころか、李家は本国に広大な土地や建物、先祖伝来の財宝を所持しているのである。

 最近は財産管理に失敗して、破産寸前に追い込まれる華族の話もよく聞く。いくら気軽だからといって、娘をあんなところに嫁がせるのはまっぴらだった。自分やまわりの者に偏見がない限り、朝鮮の王世子というのは、決して悪くない話だと伊都子は考えるのである。

 が、難しいのは、この話をどうやって進めるかということである。波多野敬直宮内大臣に相談するのが筋道というものであろうが、それでは話が直ちに大きくなるのは目に見えている。

 波多野は佐賀は小城(おぎ)の出身であるから、元藩主鍋島家には頭が上がらない。伊都子にはそれこそ腫れ物に触わるように接する。波多野をわずらわせるのは、もう少し後にした方がいいだろう。自分としては、世間の感触を知りたいのである。

 そして伊都子が選び出したのは、宗秩寮(そうちつりよう)主事の小原桗吉(おはらせんきち)だ。宗秩寮とは、宮内省の中にあって、皇族や華族の事務方全般を請け負っている。歳費の手続きや、皇室行事の日どりや内容を教えてくれる、伊都子にとっては気安い相手なのだ。

 鍋島の実家に行った日から十日後、伊都子は小原桗吉を呼び出した。紅茶と丸ボーロでもてなす。話題は裕仁親王殿下が、この頃ゴルフを始められた、ということに及んだ。

「聞いたことはあるが、それほど面白いものなんだろうか」

「木の棒で球を打って進むのでございますが、ご健康にもよろしいということで、それは熱心にお励みになっていらっしゃるということです」

「それはそれは」

 話はそれでやめた。裕仁殿下の話題が進むと、お妃を探っているのではないかと勘ぐられそうだ。

「それはそうと、今度の講話会は面白そうだから、娘も連れて行こうと思っているのだよ」

「今度の土曜日は、加藤帝大教授でございました」

「世界における女性の地位という講話らしい」

 月に一度、皇族たちは集まり、講話会と称して、時事問題に耳を傾ける。講師の手配もこの宗秩寮の仕事であった。

「アメリカの女というのは、大層威張っているというが本当だろうか」

「男に荷物を持たせたり、扉を開けさせたりするそうでございます」

「その様子を活動写真で見たことがある」

「日本でもこの頃、女子大へ通ったり、自由結婚する女が増えて、昔ものの私にはさっぱりわかりません」

 そういえば華族の中でも、恋愛結婚をする者が出現し始めた。結婚などというものは、家と家との結びつきに他ならないと、教え込まれた伊都子にとってはにわかには信じられない話だ。

「ところで……」

 伊都子はさりげなく話題を変えた。

「李垠王世子殿下はお元気でいらっしゃるのか。宮さまと私が宇都宮にいた頃は、時々訪ねてくださったが」

「私も詳しくは存じませんが、士官候補生でいらっしゃいます」

「その李垠殿下と、うちの方子女王とが縁組するのは可能なことだろうか」

 小原の口が少し開いた。一瞬であるが、その呆けたような表情で、伊都子は自分の思いつきが非常にとっぴなことだと知った。

「方子女王とでございますか……」

「そうだよ。年格好も似合いだと思うけれども」

 伊都子は自然に会話を進めなければならなくなる。

「これはおかしな話だろうかねえ」

「おかしくはございませんが」

 小原は上唇をなめた。

「おかしくはございませんが、いささか難しいことがございます。今の皇室典範では、日本の皇族女子は、日本の皇族か華族に嫁ぐと決められております」

「朝鮮は日本ではないのか。併合とはそういうことではないのか」

 皇室典範のことはもちろん知っていたが、伊都子としてはそのあたりのことは曖昧にしてくれると考えていたのである。

「しかしもし、李垠殿下と方子女王とのご縁組を、妃殿下が本気でお考えならば、日本と朝鮮にとって、これほど喜ばしいことはないでありましょう」

 小原桗吉はやっと態勢を立て直した。

「いやはや、妃殿下がそのように大きなお気持ちで、日朝のことをお考えくださっているとは、思ってもみませんでした」

 別に日朝友好を考えたのではない。娘の幸せのために、結婚相手をあれこれ選んでいたら、朝鮮の王世子にたどりついたのである。

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