この東京のかたち

東京を「とうきょう」と読んではいけない 門井慶喜「この東京のかたち」#10

★前回の話はこちら。
※本連載は第10回です。最初から読む方はこちら。

 東京を「とうきょう」と読むのは間違いだ、という話をします。

 男女という熟語があります。「ダンジョ」と読む。「なんにょ」も正しい。男女七歳にして席を同じゅうせずのときは前者ですし、老若男女のときは後者。みなさんご存じのとおりです。

(説明の都合上、わざと片方をカタカナにしました。書きわけの法則はあとで述べます。)

 ところが両方をごっちゃにして、

 ダンにょ
 なんジョ

 と読んだらペケ。混ぜるな危険。テストの点数がもらえないという以前に、むずがゆいというか、生理的な違和感がありませんか。私たちは明確には意識していないけれど、こういう場合は、呉音なら呉音で、漢音なら漢音でそろえるという一般法則があるのです。

 そもそも漢字には、音読みと訓読みがあります。そのうち音読みというのは中国語の発音をそのまま(に近いかたちで)日本語にとりいれたものですが、これはさらに二種類にわかれる。それが呉音と漢音です。

 大ざっぱに言うと呉音というのは中国南方の方言が起源であるもの、漢音というのはもう少し北の長安(現・西安)のことばが起源であるもの。前者が先に、後者があとで日本に来ました。

 純粋に日本語の発音として見た場合には、呉音のほうが柔らかく、拗音促音が多い傾向があるのに対し、漢音のほうは総じてきつく、濁点が多い傾向がある。「なんにょ」と「ダンジョ」の差はまさしくこれです。ここでは呉音をひらがなで、漢音をカタカナで書いています。

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(ほんとうを言うと漢字の音読みには他にも上古音、宋音があるのですが、これらは数が少ない上、いまの私たちの生活にはさほどの影響をあたえていないので省きます。)

 と、ここまで言えばもうおわかりでしょう。あの混ぜるな危険、生理的な違和感をもよおさせる「ダンにょ」とおなじ読みかたで、私たちは「東京」を読んでいる。漢和辞典をひらいてみれば、少し大きいものなら

 東……呉音「つう」、漢音「トウ」
 京……呉音「きょう」、漢音「ケイ」

 としているはず。(私は藤堂明保編『学研漢和大辞典』を見ました)東京はつまり「トウきょう」なのでした。

 この連載の第1回で、私は、東京という地名が人工的に案出されたものであることを示唆しました。

 ガマの群生地だから蒲田だとか、天然の良港があるから津(三重県)だとかいうのとは異なり、維新のどさくさで、田舎から来た志士あがりの元勲たちが「東の首都」くらいの意味で命名したのだと。

 しかしいくら田舎の志士あがりでも、漢籍の教養はこんにちの私たちより数等も上でした。彼らはこの東京という新地名をまちがいなく「トウケイ」と読んだでしょう、そう読まれることを想定したでしょう。漢音は漢音でそろえるべし(東の呉音「つう」は当時から一般的ではなかったので「つうきょう」は候補外)。「ところがその一般法則は、民衆の、特に江戸の民衆の、感覚にはなじまなかった。

 あるいはそんな一般法則などあっさり押しつぶしてしまうくらい、それくらい彼らにとって「きょう」は重かった。京ことば。京おんな。京の着だおれ。京白粉(おしろい)。京縞(じま)。京小袖。京極……みんなみんな「きょう」じゃないか。

 いろは歌のおしまいも京。日本橋から西へと向かう第一の橋の名前も京橋(名前の由来は諸説あり)。もちろん京(ケイ)洛(ラク)、京(ケイ)師(シ)などという漢音系の語もありましたが、これらはやはり知識人のものでしょう。日常語ではありません。たぶん江戸の民衆には、いや、ほかの地方の人々にも、漢音「ケイ」は少しきつすぎたのです。

 呉音「きょう」のやわらかい響きのほうが、街のイメージと調和した。こんにち京都と呼ばれるあの街のおっとりとした、繊細な、気品ある印象。その余波として「トウきょう」という読みはあるのでした。

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 だから今回の結論は、東京はやっぱり「トウケイ」じゃ駄目。「トウきょう」のほうが自然なのだ……としたいところですが、じつはこんにち、私たちは、或る特定の分野においては東京の京を「ケイ」と呼んでいる。

 ありふれた日常のことばとしている。歴史の矛盾といえるでしょうし、日本語の矛盾ともいえるでしょう。その分野とは、鉄道の分野です。

 京王線、京成線、京浜急行線、京葉線……いずれも明確に「東京」の意を示していながら、とつぜん読みが変わってしまう。

 呉音が漢音になってしまう。これは一体なぜなのか。どういう歴史のいたずらなのか。おそらく京のみやこは女性のイメージで、近代の鉄道は男性のイメージで、語られることが多かったことと関係があるのでしょうが、どのみち正解のない問いです。みなさんもぜひ考えてみてください。

(連載第10回)
★第11回を読む。

門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
2020年2月24日、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた新刊小説『東京、はじまる』が刊行された。


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