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旬選ジャーナル<目利きが選ぶ一押しニュース>――西川恵

【一押しNEWS】イランは既にイラクでの米国との戦いに勝利した/1月12日 仏ルモンド紙(筆者=ジャンピエール・フィリユ)

使用_西川恵 写真_トリミング済み

西川氏

 演出された報復と、それに応えた対応だった。

 イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官が米軍に殺害された報復として、1月8日、イランはイラク国内の2つの米軍駐留基地にミサイルを撃ち込んだ。実のところイランは事前に各方面に攻撃を通知し、米兵に防空壕に退避する時間を与え、自国民向けに「報復した」と喧伝した。一方、米国は米軍に人的被害が出なかったことを理由に挙げて軍事報復を控えた。

 報復合戦が本格的な軍事衝突に至るのを避けたい双方の暗黙の手打ちだった。

 しかしアラブ専門家で仏政府の外交顧問も務めた筆者は「文句なしのイランの勝利」と言う。

 筆者の言う勝利とは、イラクへの影響力の浸透度であり、それが結果としてもたらすものを指している。イランは昨年からの報復合戦で、イラク国内の親イラン・シーア派民衆を、時に反米デモに、時に米大使館襲撃へと駆り立て、米国に圧力をかけ続けた。その動員力、反米感情の広がりの点で、イランが影響力をイラク国内に深く浸透させ、イラクを事実上イランの勢力圏に組み入れつつあることを見せつけた。

 今後もイランは同様の手段で揺さぶり、米軍追い出しを画策し続けるだろう。これに有効に対処する術を米軍は持たない。昨年末の米大使館襲撃では、イラクの厚い警備陣は民衆の大使館敷地内への乱入を黙認した。約5000人の米軍が駐留する基地は、親イランの大海の中に浮かぶ小島で、早晩、米軍はイラクからの撤退を余儀なくされると筆者は読む。

 この「イランの勝利」を私はさらに深読みしたい。イラクをどちらの味方につけるかの競争で、イランは米国に勝利した、と。

 私は1980年代初めに約2年間テヘラン特派員を務めた。当時のイランは東西からの脅威に生存空間を大きく縮ませていた。西からはイラクのサダム・フセイン政権がイラン革命(79年)の混乱を突いて軍事侵攻。前後して、東のアフガニスタンではソ連軍が侵攻し、イランへの大きな圧力になっていた。東から軍事挑発されたら東西から挟撃され、政権は持たない。この苦しい時期、イランは生存空間を確実なものにするため、自国の勢力圏を周辺地域に広げる必要性を痛感したと思う。

 対イラク戦争が88年に終結しても、サダム・フセイン政権は巨大な軍事力を温存し続けた。アフガンでは90年代半ばにスンニ派の原理主義的なタリバン政権が誕生し、シーア派のイランに対し敵対的行動をとり始める。この東西の脅威を取り除いたのが米国だった。2001年の米同時多発テロを契機とするアフガン戦争でタリバン政権を崩壊させ、返す刀で3年にサダム・フセイン政権をイラク戦争で倒した。

 米国はイラクに永続的な親米政権を作り、サウジアラビア、クウェートなどと共に、湾岸地域に親米国家の環を形成しようとした。しかし準備不足で明確なプランを欠き、不満を募らすスンニ派の反乱とテロに足を取られていった。隣国に親米国家が出来ることは認められないイランはこの間、シーア派に着々と浸透を図り、民兵同士の緊密な交流を通した軍事プレゼンスも含め、幅広い親イランのネットワークを構築することに成功した。これを主導したのがソレイマニ司令官である。

 イラク戦争の果実をもぎとったのはイランだった。米軍がイラクから撤退すると、イランは地域大国としての安全保障をより確実なものにする。



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