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小説「観月 KANGETSU」#53 麻生幾

第53話
松葉杖(5)

★前回の話はこちら
※本連載は第53話です。最初から読む方はこちら。

 貴子は微笑みながら左右に首を振った。

「どっかにあるやろうけれど……30年近うも前んことやけんな……」

「ねえ、探しちみてちゃ」

 七海が言った。

「探す? でもどこを……」

 貴子は困惑の表情を浮かべた。

「こん松葉杖、病院から借っちょんで返さないけんの。やけん、家にあったら、新しく買わんじ済むし──」

「まあ、そういうことならね……」

 貴子は苦笑した。

「それに、お父さんのもん、触れてみたいん。あんまり、思い出んもんがねえけん……」

 七海は寂しい笑顔を作った。

「でも、お父さんな、松葉杖、あんまり好きじゃなかった……」

 貴子が遠くを見るような目をして言った。

「ちゃね、よだきい(面倒くさい)よね」

 七海が首を竦めた。

「そうやねえん。松葉杖でしか立っちいられんけん、あんたを抱っこしちあやすことができなっち、いつも愚痴っちょった」

「なんかなし(とにかく)、探しちくりい、ね、お願い」

 拝むような真似をした七海は、貴子が渋々頷くのを見届けてから階段へゆっくりと向かった。

 母のアドバイスを思い出しながら、時間はかかったが、トラブルもなく2階へ昇ることができた。

 途中、一度、バランスを崩しそうになったが、高校時代、剣道をしていた時に身につけた腕の筋肉のお陰か、なんとかふんばることができたのだった。

別府中央署 捜査本部

「で、熊坂洋平の容態はどうだ?」

 携帯電話を握る正木が聞いた。

「胃に孔が空いち、動脈を切ったようです。それで大量の吐血を──」

 涼が答えた。

「持病か?」

「末期の胃がん、そういう診断です」

「末期……」

 正木がそう言って唸った。

「現在、輸血中で、意識もまだ戻っておらず──」

「そっか……くるm余命について、本人は自覚があった……」

 正木が呟くように言った。

「診察した医師もそんなことを……」

 涼が応えた。

「だからか……」

 正木がポツリと言った。

「何か?」

 涼が訊いてきた。

「今回の一連んこと、熊坂洋平は、覚悟をもっち動いちょったんやねえか……」

「どげなことです?」

 涼が訝った。

「いや、まだ、はっきりと言えることやねえ……。それより、田辺の足取りについち、1つ分かったことがある」

 正木が明るい声でそう言って続けた。

「今、捜査本部の本部員をさらに大勢投入しち、田辺の大捕物が始まりよんが、田辺名義ん携帯電話ん微弱な電波ぅキャッチした。奴は今、東九州自動車道ぅ佐賀県の鳥栖(とす)に向かっち車まで走りよん」

「正木警部、奴は車ん免許を持っちょらんですが……」

 涼が異を唱えた。

「タクシーか、もしかするとヒッチハイクでもしたかんしれん。なんかなし(とにかく)、佐賀と福岡の両県警に協力を求めちょんところだ。そっちの状況を見極めたら、すぐに戻っち来い」

 正木が命じた。

「確保したど!」

 捜査本部の中で誰かがそう叫んだのを涼ははっきりと耳にした。

「いたんですね!」

 涼の声が弾んだ。

「こんままちいと待て」

 正木が受話器をどこかに置く音が聞こえた。

 しばらくして戻ってきた正木の声は沈んでいた。

「クソっ!」

正木が毒づいた。

(続く)
★第54話を読む。


■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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