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『椿井文書(つばいもんじよ)──日本最大級の偽文書』著者・馬部隆弘さんインタビュー

「歴史」はどうやって作られるのか――本書はそんな疑問に一石を投じている。

江戸時代後期の国学者である椿井政隆は、山城国を中心に、地域や寺社などの由緒や絵図、各家の系図などに加えて織田信長の朱印状まで偽作したという。これまで多くの歴史研究者に活用され、30を超える自治体史に「正しい古文書」として掲載されてきた。大阪大谷大学准教授の馬部氏は、枚方市の市史担当部署に勤めていた2003年に、市内の村落を調べる過程で偽文書(ぎもんじよ)だと気付いた。

「椿井さんは村同士の山の支配権争いなどに関わり、歴史的な正当性を与えるために偽文書を作ってきました。山城や近江、大和、伊賀、河内など広範囲に分布しており、全貌を掴むのは困難ですが、各家の系図を入れれば1000点を超えるでしょう。まさに日本最大級の偽文書です」

その影響力の大きさが窺えるのが、枚方市にある「伝王仁(わに)墓」だ。王仁は4世紀に百済から「論語」などを伝えたとされるが、実在そのものを疑う研究者も多い。枚方市が根拠とするのは椿井文書の一つ、「王仁墳廟来朝紀」である。

「本当に王仁の墓かどうかは極めて疑わしいのですが、大阪府の史跡に指定され、韓国からの要人が数多く訪問するなど、日韓交流の懸け橋となっています」

一方で馬部氏は「椿井文書には遊び心も込められている」という。近江国の寺院・少菩提寺の絵図には「明応元年(1492)4月」と作成年月が記されているが、明応に改元されたのは7月で、4月時点の正しい元号は延徳4年である。こうした表記は「未来年号」と呼ばれ、偽文書を見分ける目安とされる。

「椿井文書には未来年号が極めて多い。偽文書と見破られたときに『戯れで作った』と言い逃れするためにあえて完璧に作らなかったのでしょう。また、随所に独特のユーモアも見られ、ある家系図では〈俊春―俊夏―俊秋〉と季節に沿った名前で親子の人名が偽作されている。椿井さんはいたずら心に溢れているんです」

実は、戦前には椿井文書に疑いの声を上げる歴史家たちもいた。なぜ、そうした声が無視される形で活用され続けてきたのか。

「皇国史観からの脱却を目指した戦後歴史学は、次々と戦前の成果を捨て去ってきました。それに伴い、椿井文書を疑う声も忘却されてしまったのです。戦後歴史学の負の側面が現れています」

歴史学の功罪についても深く考えさせられる一冊である。

(2020年7月号掲載)


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