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『移動祝祭日』ヘミングウェイ(前編)|福田和也「最強の教養書10」#4

人類の栄光と悲惨、叡智と愚かさを鮮烈に刻み付けた書物を、ひとは「古典」と呼ぶ。人間知性の可能性と限界をわきまえ、身に浸み込ませることを「教養」という。こんな時代だからこそ、あらためて読みたい10冊を博覧強記の批評家、福田和也がピックアップ。今回は、数々の名作を残したアーネスト・ヘミングウェイが晩年に書いた、この一冊。(前編)

 ヘミングウェイの代表作は? と聞かれたら、人は何と答えるだろう。

『老人と海』を上げる人は多いだろう。

 キューバの老漁師が死闘の末、巨大なマカジキを吊り上げる。ところが帰途、船べりに縛りつけた大魚はサメに食い散らされ、骨だけになってしまう。

 人間と自然との対決を描いたこの作品は一九五二年、当時アメリカでもっとも有力なグラフ誌『ライフ』に掲載され、大好評によって迎えられた。同誌は五百万部を刷ったと伝えられる。書籍化されるとベストセラーとなり、ピューリッツァー賞を受賞した。この成功が五四年のノーベル文学賞受賞をもたらしたともいわれている。

『日はまた昇る』をあげる人もいるだろう。

 スペインのパンプロナ闘牛祭を舞台に、第一世界大戦で現れた「失われた世代(ロストジェネレーション)」の生態と精神を活写したこの長編小説は一九二六年に刊行され、ヘミングウェイの名を一気に高めた。

 それ以外にも、『武器よさらば』、『誰がために鐘は鳴る』、『エデンの園』、短編「蝶々と戦車」、「キリマンジャロの雪」など、誰もが知る作品だけでも両手の指にあまるほどある。

『移動祝祭日』もまぎれもない代表作の一つではあるのだが、数ある作品の中で何故『移動祝祭日』を選んだのか――。

 それは、この作品がヘミングウェイの生涯最後の作品であるとか、散文の名手としての技巧の全てが注がれているといった理由からではない。

 この作品に漲っている幸福感、充実感、これこそが文学の魅力の、力の最も分かりやすい、顕(あきら)かな姿であるからだ。

『移動祝祭日』はヘミングウェイが若き頃のパリでの修行時代を綴った印象記である。二十の掌編から成っていて、いずれも文庫本で一〇ページほどの長さだが、その凝縮力と完成度は素晴らしい。作家としての彼の資質の全てが込められていると言ってもいいだろう。

 ヘミングウェイがこの作品の原稿を書き始めたのは、一九五七年秋、キューバにおいてだった。その後のスペイン旅行の間にも書き続け、六〇年春にキューバで書き上げた。

 その翌年、彼は自宅で猟銃自殺した。六十二歳だった。

 本が出版されたのは彼の死の三年後。タイトルを決めたのはヘミングウェイの晩年、公私ともに親しくしていたライターのA・E・ホッチナーであった。
一九四九年、ヘミングウェイとともにパリを訪れた彼はあるカフェでヘミングウェイがこう言うのを聞いた。

「もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどう過ごそうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ」

「移動祝祭日」はキリスト教の用語で、クリスマスのように日にちが特定されている祝日ではなく、その年の復活祭の日付に応じて移動する、キリスト昇天祭や精霊降臨祭などの祝日をいう。また一般的な比喩として、「どこにでもついてくる饗宴」という意味がある。

 ヘミングウェイは恐らく、若いころにパリで暮らした人間にとってのパリを、「どこにでもついてくる饗宴」ととらえたのだろう。

 この印象的な言葉をホッチナーは書き留め、ヘミングウェイの死後、未亡人のマリーが遺作のタイトルを考えていることを知り、「移動祝祭日」にしてはどうかと進言した。夫人がそれを受け入れ、ヘミングウェイの遺作は『A Moveable Feast』というタイトルで世に送り出された。

                   ∴

 この作品は次の一文から始まる。

「それからわるいお天気になった」

 いきなり大股で歩み寄ってくるような、男性的な書き出しだ。

 秋が終わり、冬がやってきて、樹木の葉は寒風に叩き落され、冷たい雨に打たれる。場末に住むヘミングウェイの住処近くのカフェ・デ・ザマトゥールは、冬の厳しい生活から脱落した男女が一日中集まって呑み続けている。その店の暖房で蒸された、酔っ払いたちの体臭を嫌っていた彼はその店に近寄ろうとしなかった。

 雨の中、ヘミングウェイは街の中心部を目指して歩き、カルチェ・ラタンから急坂を登り、パンテオンの丘で強い風に吹かれながら、ついにはサン・ミシェル広場のカフェにたどり着く。そのカフェは以前から知っていたのだが、とても暖かく、清潔で気持ちがよい。

 期待通りの暖かさで店はヘミングウェイを迎え入れてくれる。彼は一杯のカフェ・オレを注文し、ノートに作品を書き出す。快調に進むうちに気分もよくなってきたところに一人の女性が現れる。

 〈一人の女がカフェへ入ってきて、窓近くのテーブルにひとりで腰をおろした。とてもきれいな女で、新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔をしていた。雨ですがすがしく洗われた皮膚で、なめらかな肌の貨幣を鋳造できればの話だが。それに彼女の髪は黒く、カラスのぬれ羽色で、ほおのところで鋭く、ななめにカットしてあった。〉(「サン・ミシェル広場の良いカフェ」福田陸太郎訳)

 ヘミングウェイの魅力は、比喩の卓抜さにある。

「新しく鋳造した貨幣みたいに」という形容は、顔の輪郭が、あたかも金属質の音をたててでもいるかのような、鮮明さと輝きを喚起してくる。新鋳造硬貨を打ち出すことで喚起される新鮮さや光のニュアンスは、金や銀といった貴金属を引き合いに出すのでは感じることのできない、確固として具体的な、手ごたえのある輝かしさを彷彿とさせる。造幣局で造られたばかりの、まだ誰も手に触れていない硬貨。このイメージは、硬貨がその後、使用とともに段々とくすんでいくという認識が潜在的にあるので、今、ひとときの輝きのかけがえのなさをある種の奇跡として、それも人々が歩き交錯し取引をする街なかにしか起きない奇跡のような、一瞬の、しかし硬貨としての手ごたえと重みを感じる印象を刻み込む。

 この部分の原文を見てみよう。

She was pretty with a face fresh as a newly minted coin if they minted coins in smoothflesh with rainfreshened skin.

 fresh as a newly minted coinは、英語として簡潔であるのみならず。力強い云い回しであり、同時にはっきりしたイメージを立ち上がらせる力を持っている。さらに、fresh、flesh、rainfreshenedと音を重ねることで、freshさが強く印象づけられる。

 卓抜な比喩、という言葉は何気なく使われているが、比喩は書き手によって使い方も違えば、目指すものも違う。比喩を連発することで、読者のイメージをふくらませ、広い世界に読者を導いていくタイプもいる。プルーストなどはその典型だ。

 ヘミングウェイはその対極にいる。ヘミングウェイにとって比喩は、イメージをふくらませるものではなく、むしろ限定するものになっている。作家自身が持っているイメージを、狙撃の名手が撃ち込むように正確無比に読者の感性に届ける。ヘミングウェイにとって比喩はナイフと同様の武器、一閃する時は必ず骨を断つものなのだ。

 このような比喩の使い方をするからには、作者自身が自分の書くべきことのイメージを入念なデッサンをし、構成をすみずみなまで作り上げていなければならない。それができて初めて比喩は強烈な喚起力とともに、書き手の意図した感覚を、手ごたえを、映像を読者に強いることができる。この強引ともいえる筆力こそ、ヘミングウェイの本領なのだ。

「サンミシェル広場の良いカフェ」は『移動祝祭日』の最初の一篇だが、よく考えられた、神経の行き届いた構成になっている。ここでいう構成はストーリー展開云々ということではなく、作中の感覚や光景の置き方が、きわめて繊細な配慮とともに配置されているということだ。

〈冬の最初の冷雨とともに、この都市のすべての悲しみが、突然やってきた。背の高い、白い建物の頂上は、歩く人の目にはもはやうつらなくなり、あるのはただ、街路のしめった黒さと、小さな店の閉じたドア、薬味売り、文房具店や新聞店、さんばさん――二級助産婦――それに、ヴェルレーヌが死んだホテルくらいのもの、そのホテルの最上階に私は一室を借りて、そこで仕事をしていた。〉(同前)

 秋が終わり、冷たい雨が降ると、パリの「全ての悲しみ」がやってくる。建物の「頂上」がもう歩く人の目にうつらない、という表現も絶妙だ。「誰もが、寒さの中で目をふせて歩いていた」などと書くのとはまったく違う効果がある。高いアパルトマンの連なりの上から、カメラアイを一挙に下に向けるようにして、冬の冷たさの中でくぐもっている人間たちの姿を小さく見せる。同時のこの視点の移動は、都市の抱えている「悲しみ」が、雨のように降りそそぐような感慨を起こさせる。

 視点を下げたと同時に、視野はせまくなる。路面の、濡れそぼった石の黒さや零細でぱっとしない商い。寒風にさらされている街路にとどまらなければならない小商人たち。そして、その美麗きわまる詩句とは対照的なスキャンダルにまみれ――ランボーとの同性愛がらみのいざこざから発砲事件を起こして逮捕、収監された――の人生を送った詩人が窮死したホテル、その最上階に彼は住んでいる。

 この時代のフランスの最上階の部屋は、最も安く貧相な、いわゆる屋根裏部屋だった。ヘミングウェイは風呂もトイレもない部屋に妻と二人で住んでいた。貧しい彼は、金をどう使うかについて、日々真剣だった。この日は、しみったれた部屋の暖炉にくべる薪を買うかわりに、カフェで過ごすことを選んだ。冷たく、縮こまり、不景気な匂いの立ちこめる世界から、雨中を踏破して素晴らしいカフェに到達した、その高揚の中にこそ、そこで出会った女性の新鮮さは炸裂するのだ。

 構成とはつまり、こういうことである。

〈美しいひとよ、私はあなたに出会った。そして、今、あなたは私のものだ。あなたがだれを待っているにせよ、また私がもう二度と、あなたに会えないとしても、と私は考えた。あなたは私のものだ。全パリも私のものだ。そして、この私はこのノートブックとこの鉛筆のものだ〉(同前)

 出会ったばかりの女性を所有し、パリの全てをも所有したと断言させるものは、小説家じみた誇大妄想ではない。やっとたどりついたカフェの好ましさ、一杯のカフェ・オ・レとラム酒、偶然会った美しい女性。大方の人にとっては、どうでもいいようなこと、大して心を動かされないことに若きヘミングウェイは全身全霊で歓喜を覚え、幸福感に酔いしれている。

 作家だからかくも高い緊張感をもった感受性を、些細な事物にも感応する、肉感的なまでの敏感さを持っているわけではない。むしろ逆で、そうした感応ゆえにヘミングウェイは書くことに取り組まなければならなかったのだ。

 その鋭くダイナミックな感受性を作品化するためには作家としてたゆまぬ努力が必要であったことはいうまでもない。彼の簡潔で力強い比喩の喚起力は、彼が得た自らの印象を徹底的に蒸留し、本当に純粋で混じりけのない固い結晶になるまで煮詰めた結果得られた力なのである。

 ここで何故ヘミングウェイが自死にいたる晩年の数年間に『移動祝祭日』を書いたのかについて考えてみたい。

★後編に続く。

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