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邪眼|中野信子「脳と美意識」

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 人を褒めたり、好きになったりするというのは、良いことのように思えるだろう。けれど、実は人を不幸にしてしまうこともある、難しい行為なのだ。なぜなら、誰か一人だけが優遇されているように見えたり、あの人は褒められるのになぜ自分は、という気持ちになる人をつくってしまうからだ。そして、その周囲の人が抱えさせられてしまった無言の悪意は、人から褒められたり、誰かから好意を寄せられてしまったりした人に向かう。

 誰かが得をすると、自分が損をしているように感じられる、という研究報告がある。例えば誰か自分の身近な人が昇進をして、肩書も上になり、収入も上がったとしよう。自分は現状維持であったとすれば、なぜ自分は昇進せず、収入も上がらないのだろうという考えが生じるだろう。もちろん現状維持で悪いことは特にない。が、身近に比較対象ができてしまったとき、あの人が前進していくのに自分はこのままでいいのだろうか、そんな不安、場合によっては妬みという感情が沸き起こってしまうようなのだ。

 その誰かが自分の好きな相手で、親しくしている人であったとしても、これは人間ならばほとんどの人が避けられない反応といえる。むしろ親しい相手に対してであればなおさら、そんな心が沸き起こってしまう自分に対して、嫌悪感も募ることだろう。決してその人の心が汚いわけでもなんでもなく、ごく自然な反応ではあるのだけれど。

 中東地域によくある「邪眼除け」を見たことがあるだろうか。手を象った板状の基盤に装飾が施され、中央には目のモチーフが大きく配されている。手のひらの真ん中に目が見開かれているような、知らない人が初めて目にすればやや不気味さを感じるであろうアイテムである。

 邪眼(あるいは邪視)というのは、地中海、中東地域を中心に、古来から語り継がれている伝承である。それはどちらかといえばネガティブなものであり、思い描いた相手を呪う気持ちが邪眼となって相手に実際にダメージを与える、という考え方である。この呪いを避けるお守りが、邪眼除けというわけだ。

 邪眼の呪いにはその地域によって多様性があり、その相手に不運を繰り返し与え続ける、病気にかかる、ひどいものでは死に至らしめる、などの効果があるとされる。一般的にこれらの呪いは、向けられた時点では、その人物はそのことにはまったく気づかないものだという。よからぬことが次第に起こり始め、原因がよくわからないとなってはじめて、ようやく誰かによって邪眼が向けられたことに気づくのだという。

 邪眼というのは、人々が向けるうっすらとした妬みの感情に似ている。大勢の中から誰かを褒めるとき、その人が、褒められなかった誰かから邪眼を向けられることのないように、褒める側は配慮する必要がある。できれば、けなされてもどうということのないような、笑える小さな欠点とセットで、その人をあたたかくまもってやらなければならない。誰かに好意を寄せるときも同じだ。こうした美しい配慮ができるかどうか。そして自分自身のことも、邪眼を向けられても軽く済むよう、準備しておかなければならない。私たちは、もはや、お守りという象徴的アイテムで自分を守ることのできる時代にはいない。

(連載第36回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。

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