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ダンテ『神曲』(後編)|福田和也「最強の教養書10」#7

人類の栄光と悲惨、叡智と愚かさを鮮烈に刻み付けた書物を、ひとは「古典」と呼ぶ。人間知性の可能性と限界をわきまえ、身に浸み込ませることを「教養」という。こんな時代だからこそ、あらためて読みたい10冊を博覧強記の批評家、福田和也がピックアップ。今回は、イタリアを旅する全ての人に勧めたいこの1冊。(後編)

★前編を読む

 私はフランス文学科の出身なので、相応に『神曲』は読んでいた。またボッティチェリやブレイクの『神曲』に取材した作品には、かなり好きなものがあった。けれどけしてよい読者とはいえなかった。

 それが大きく変わったのは、三十代後半にヴェネツィアを訪れたときのことである。半ば仕事だったので、ほぼスケジュールはうまっていたのだが、一日だけ空いた日があり、私はヴェローナに行くことにした。

 糸杉の森を望む古都は魅力的であり、当時、ミシュランの二つ星を堅持していた「イルデスコ」というレストランにも興味があった。

 前日にレストランを予約し、当日の朝、ホテルの桟橋からモーター・ボートのタクシーに乗って、意気揚々と鉄道駅に向かった。ところが、駅でヴェローナ経由ローマ行の急行列車は平日は運行していないことが分かった。愕然とする私に親切な窓口の係員が次のパドヴァ行きに乗れば、パドヴァでヴェローナ行の特急に乗れることを教えてくれた。

 パドヴァまで行くと、特急の時間までに一時間半待たねばならないことが分かった。ガイドブックを見ると、ジョットの最高傑作と名高い壁画装飾が施されたスクロヴェーニ礼拝堂が駅から徒歩十五分くらいのところにあることが分かった。これを見逃す手はないと、すぐに向かった。

 目指す礼拝堂は何の装飾もないシンプルな建物で、一見近代になって建てられた教室のようだった。内部も、いわゆる教会建築的装飾は一切ない。壁から天井まで、いくつかの窓をのぞいて全て平面で構成されている。あらゆる立体的、装飾的要素を排して、ただ壁画のみで成立させようという意図のもとに作られているのである。

 ジョットは、施主の意図をよく汲んで、ヨアキム伝や聖母マリア伝といった聖書の場面を印象的に切り取り、絵画の力だけで礼拝堂の内部を、比類を絶した聖なる空間に仕上げた。

 ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画については、美術史家は多くの筆を費やしており、「ジョットが残した作品のなかでもっとも重要な代表作であり、ヨーロッパ絵画史上における決定的な出来事のひとつ」(『ジョット』L・ベッローシ、野村幸弘訳)と認められている。評価のポイントはいくつかあるが、何といっても画面の立体感だろう。ジョットは両脇の壁を「小部屋」とよばれる画面に切り分けて、そこに聖書の様々な画面を描いているが、絵画を主体とするため、まっ平にした壁に、画面を使って奥行きを与えている。いわゆる遠近法の技法だが、近代西洋絵画を開いたこの技術の、最も早く、また卓抜な使用がこの礼拝堂において認められているのだ。

 遠近法とともに壁画を魅力的にしているのは、生き生きとした人々――もしくは天使や神――の表情であり、姿だろう。

 ジョットの画面のなかにいる人物たちは、いずれも生身の人間たちであり、彼らが悲しみ、怒り、笑い、祈る、その真率さが体現されている。つまりは、ここには、きまりきった様式や説教をするための記号ではない、生きた人間の姿が写しとられているのだ。

 しかし、私にとって何よりも強烈であり、印象的だったのは、色彩、とくに青だった。礼拝堂の半筒状の天井は、キリスト像や聖人像を描いた部分を除いては、ほぼ全面青で塗られ、その同じ青が、一つ一つの「小部屋」の空としても使われている。

 美術史家は、この「青」を空の色、つまりは「壁画背景の抽象的な青色ではなく、もっと明るい空色であり、この時代にはまったく例外的なことだが、これは明らかに実際の空を表」(ベッローシ前掲書)そうとした青だと云っている。

 そう考えたならば、この礼拝堂の青は、降り注ぐ蒼さは、爾後、ミケランジェロが、ベリーニが、ティエポロが、そしてワトーやターナーから、セザンヌへ、ゴッホへ、さらにはピカソやイヴ・クラインへと続く青の、空の、最初の彩りといえるだろう。

 礼拝堂の内陣は全面をつかって「最後の審判」の画面が描かれている。中央に再臨したキリストが描かれ、その左右に夥しい数の天使が従う。画面の下半分は、右側に地獄で苦しむ人々が描かれ、左側に天国が示されているが、その中央部に妙な人物がいる。

 跪いて両手で礼拝堂を捧げ持ち、三人の天使に渡している男だ。

 この人物の名はエンリコ・スクロヴェーニ。この礼拝堂の施主である。つまり、この絵は彼が自ら建立した礼拝堂を神に捧げる姿を描いているのだ。

 エンリコの父親であるリナルド・スクロヴェーニは、高利貸しをして一代で巨万の富を築いた人物で、当時大変高名であった。このリナルドを、その同時代人であったダンテが『神曲』において、高利貸しの廉によって地獄で永久に苦しむべき存在として描いている。

 父親が地獄落ちと判定されたこと、しかもダンテによってその苦しむ有り様を描き出されたことに強い衝撃を受けたエンリコ・スクロヴェーニは、父の罪を贖い、同業に勤しむ自身の魂を救うために、この礼拝堂を建立したのだった。

 ここにおいて、ダンテの詩文の地獄落ちの呪詛の力と、ジョットの画の救済の説得力が激しくせめぎあっているのだ。

 ちなみに、実際のダンテとジョットはきわめて親しく、ジョットはフィレンツェでダンテの肖像画を描いていて、党派争いに敗れてフィレンツェを逃れた後も、ダンテはラヴェンナでの仕事をジョットに斡旋するほど緊密な仲だった。

 だから、ダンテとジョットは、それぞれの文学における、美術における革新の意味を知悉しており、互いに評価していたからこそ、ジョットにとってこの礼拝堂の壁画は、ダンテの作品と対をなすという強い意識があったと推測できる。

 このとき、私は不覚にも『神曲』を持っていなかった。仕事がらみの滞在であったこともあり、また出発間際が忙しく、トランクの中に入れ忘れてしまったのだ。

 イタリアに来るのに『神曲』も持たずに来た自分が何とも情けなく、駅へと急ぐ路の途中で、書店に飛び込み、英・伊対訳版の『神曲』を手に入れ、ヴェローナへの車中で該当箇所を探した。

 かのスクロヴェーニ氏とその同輩たる高利貸したちの苦難は、『地獄篇』の十七歌で、このように歌われている。

 かれらの苦悩は眼から噴き出ていた。今はここ、次はかしこと、かれらはせわしなく双手(もろて)を動かし、時には焔から、時には燃えさかり大地から、わが身を護るに余念もない。

 そのさま、犬どもが夏の季節に、蚤、もしくは蠅、もしくは虻に刺されると、鼻面(はなづら)、前肢(まえあし)、代わる代わる使い、せわしなく相手を追うに全く異ならず。

 私は、痛ましい火を浴びているこれら幾ばくかの顔に眼をとめたが、見識りなのは一つだになく、気づいたのはただ誰しもの頸に、とりどりの色、とりどりの図案の大きな巾着がかけられ、それを銘々が食い入るようにじっと見つめていること。

 あからめもせずかれらの間に歩を移しているうち、私ははからずも、黄なる巾着に、獅子の貌(かたち)と身ぶりをあらわす青色の紋所を認めた。

 さらに眼をこらすと、血のように赤い巾着に、牛酪よりも白い鵞鳥の紋所示したのも見える。

 そのとき、白い財嚢(ざいのう)に孕(はら)み雌豚の青色紋所つけたのが、私を訶(か)した。「何をしている、おぬしはこの濠の中で?

 即刻立ち去れ! したが、おぬしはなお生身なのだから、わしの隣人のヴィタリアーノが、もうじきここへ来て、わしの左に坐るのを知ろう。

 ここにいるのはみなフィオレンツァの連中、わしだけがパドヴァの生れ、やつらは何かと言えば、『三頭の山羊を紋所とした財嚢たずさえ、至高の騎士よ、疾(と)くきたれ!』とがなり立て、わしの耳をつんざく。」そう語ってかれは口ゆがめ、わが鼻ねぶる牡牛のように、舌つき出した。

 燃える砂の上に座らされ、間断なく吹き出る火炎にあぶられているのは、かつて金貸しを業として暴利を貪った亡者たちだ。かれらは終始せわしなく、身を焼く炎を手で払い、熱い砂を手でよけている。その忙しいさまは、まさしく彼らが現世において、時間を何よりも儲けの手段として、一日、一月、一年ごとに爆発的に増えていく利子をかき集め、零の下の下の下までも余さず計算して複利を加えてきたことへの報いなのだろう。しかも、このような苦難の中においても、彼らの関心は、首から下げた巾着、つまりは彼らの集めた銭の入った財布に限定されている。詩人が、「かれらの苦悩は眼から噴き出ていた」と語るのは、かくも凄惨な場所に置かれながら、なお財嚢に縛られ、それを見ることしか出来ない、許されない高利貸しの姿ゆえなのだ。

 詩人は「彼らの顔を見分けることができなかった」と言っているが、巾着の紋章からその素性を知ることができる。

「黄なる巾着に、獅子の貌と身ぶりをあらわす青色の紋所」は、フィレンツェの名門で教皇派のジャンフィリアツィ家の紋章で、その人物はフランス王室を相手に大きな融資をしていたメッセル・カテルロ・ジャンフィリアツィだと云われる。王室相手の高利貸しならば罪は軽いのではと思われるかもしれないが、王たちは借金返済のために自国の国民に重い税をかけることになるので、罪深いのだ。

「血のように赤い巾着に、牛酷よりも白い鵞鳥の紋所」は、これもフィレンツェの高利貸しで、ダンテと敵対する党派に属するウブリアーキ家の紋章だが、この人物が誰なのかは特定されていない。

 そして、「白い財嚢に孕み雌豚の青色紋所」を下げダンテをそしる男、この男こそがかのリナルド・スクロヴェーニにほかならない。

 忙しく火にくべられながら、財嚢だけを見つめ続ける亡者たち。この父を襲った運命のヴィジョンに苛まれた息子の発意によって、ジョットの壁画が描かれたと考えると、文学の力と美術の力が互いに相克し、力を発揮しあう、時代を超えた相関が明らかになる。

 ジョットは西洋美術史において、ダンテは西洋文学史において、それぞれ近代の劈頭に立った偉大な芸術家とされているが、ただ固有名詞としての、あるいは美術史、文学史双方の知識としての平板で抽象的な認識を、一気に具体的な、息を呑むような衝突が、この聖堂には含まれている。

 長年にわたる政治的抗争と流亡の日々のために、若き日に謳歌をしたその詩才の祝福も信じられず、また神の秩序も信じることなく、全宇宙の秩序を個人の想像力で再構築しようとしたダンテと、そのダンテの作り上げた宇宙の中で地獄に落とされた魂を救済するために、まったく新しい画面構成と空間、そして何よりも色彩の滴るような美しさを創り出したジョット。

 この時の、スクロヴェーニ礼拝堂の壁画を通じての『神曲』との出合いは私にとって決定的だった。私はジョットの壁画を通じてダンテと「結縁」したといっていい。本と出合うには、強い絆で結ばれるためには、ときにはこうした出合いが必要だ。同時に、このような出合いこそが、旅をしたり、知らない土地にでかけたりする、最も贅沢な楽しみなのである。

(完)

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