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【オウム真理教事件】死人のような「天才信者」|伝説の刑事「マル秘事件簿」

 警視庁捜査一課のエースとして、様々な重大事件を解決に導き、数々の警視総監賞を受賞した“伝説の刑事”と呼ばれる男がいる。
 大峯泰廣、72歳――。
 容疑者を自白に導く取り調べ術に長けた大峯は、数々の事件で特異な犯罪者たちと対峙してきた。「ロス事件(三浦和義事件)」「トリカブト保険金殺人事件」「宮崎勤事件」「地下鉄サリン事件」……。
 老境に入りつつある伝説の刑事は今、自らが対峙した数々の事件、そして犯人たちに思いを馳せている。そして、これまで語ってこなかった事件の記憶をゆっくりと語り始めた。/構成・赤石晋一郎(ジャーナリスト)

教祖・麻原の洗脳から救うことはできなかった

 春陽が麗らかに射す、気持ちのいい日曜日だった。1995年3月12日、近くの公園では家族連れが休日を楽しむ一方、埼玉県の自衛隊・朝霞駐屯地には物々しい空気が漂っていた。私の所属する警視庁捜査一課のメンバー全員が招集されていたのだ。警視庁が訓練で自衛隊の施設を使用するのは極めて異例のことだ。

 グラウンドには240人余りの捜査員が怪訝そうな顔で並んでいた。訓練の目的が知らされていなかったためだ。その後始まったのは、ガスマスクの着脱訓練、噴霧器による洗浄訓練だった。

「オウム真理教か……」

 誰もがそう直感した。

 約1週間前、東京・品川区の公証役場事務長(仮谷清志さん)の拉致事件が発覚し、オウム真理教の関与が疑われている最中だった。強制捜査は目前と囁かれているなかでの、この極秘訓練だ。教団が保有しているとされる化学兵器・サリンへの対策なのだろう。

「地下鉄サリン事件」発生のわずか8日前のことだった。

 1995年3月20日にオウム真理教(以下、オウム)が引き起こした地下鉄サリン事件は、地下鉄日比谷、丸ノ内、千代田各線の複数車内で猛毒の神経ガス・サリンが同時散布され、13人が死亡、6000人以上が負傷する大惨事となった。大都市・東京で一般市民を標的とした無差別化学テロがおこなわれたという事実は、世界中を震撼させた。

主要拠点は、もぬけの殻

「捜査一課員は、直ちに警視庁の大部屋に集合せよ」

 3月20日午前8時半過ぎ、警視庁から一本の電話が入った。私は三鷹署に設置されていた「井の頭公園死体遺棄事件」の捜査本部で、会議に出席していたところだった。急いで警視庁に向かうと、霞ヶ関駅周辺は異様な空気に包まれていた。何が起きたんだ――? その時の私は、「地下鉄で異臭騒ぎが起こった」という情報しか得ていなかった。現場をこの目で確かめようと地下へと続く階段を下りようとしたが、既に立入禁止となっていた。

 警視庁6階、捜査一課の大部屋。当時、警部であり現場指揮を統括する立場にあった私は、どう捜査すべきか考えあぐねていた。撒かれた物質は不明、オウムの犯行ともまだ断定できない。部屋のテレビには築地駅周辺で人がバタバタと倒れている様子が映し出され、捜査員全員が食い入るように見つめていた。

 遺留された薬品の鑑定結果等から、使用された物質がサリンだと判明したのは正午前のことだった。

 22日早朝、警視庁は教団への強制捜査に着手した。私達は迷彩服にガスマスクを携帯し、オウムの拠点施設がある山梨県・上九一色村(当時)に向かった。部下がサリン検知用のカナリアの鳥籠を抱えていたのが印象的だった。

 現地に到着すると、「サティアン」と呼ばれる施設が立ち並んでいた。私達は数組に分かれて建物を捜索したが、どこも、もぬけの殻だった。教祖・麻原彰晃を始めとする主要幹部たちはすでに逃走し、信者がまばらに残っているだけだった。

 一方で、収穫もあった。「第7サティアン」から、サリン製造プラントが発見されたのだ。

 4月26日、警視庁が教団施設を一斉に再捜索。上九一色村の建物の地下に6名の教団幹部が潜んでいるのを発見、逮捕した。
 大峯が取調べを命じられたのは、そのうちの一人。オウムで「第2厚生大臣」を務め、「化学班」キャップとされていた土谷正実(当時30)だ。サリン製造のキーマンである土谷を落とし、地下鉄サリン事件の全容を解明することが急務とされていた。

 東京の大崎署に引致されていた土谷は、坊主頭に無精髭をはやしていた。

「俺が調べを担当するからな」

 挨拶をしても反応はなかった。

 沈黙のままの土谷に、私は「髭剃れよ」と言った。明日からさっぱりしようや、全部話せよ、と投げかけたつもりだった。

 翌日からの調べは、特別捜査本部が設置された築地署でおこなわれた。だが、取調べ室での土谷は、想像以上の難敵だった。

「おい、オウムについて教えてくれよ。麻原はどういう奴なんだ」

「オウムというのは世の中のためにならない宗教だ。おまえ、それがわからないのか」

 どんな話題を振っても、土谷は口を固く閉ざし、表情を変えない。

 私は、容疑者を壁に背中がつくほどの位置に座らせて心理的圧迫をかけながら調べをおこなう、いつもの手法を取っていた。土谷はパイプ椅子にぴんと背筋を伸ばして座り、ひたすら虚空を見つめている。オウム、そして教祖の麻原を守るために、自分は何も話さない。顔にはそう書いてあった。

 朝10時から夜中まで、私が一方的に話し続け、土谷は完全黙秘という日々が続いた。まるで、死人のような男だった。

 そんななか、苦肉の策として私が考えついたのは、土谷を両親に会わせることだった。

 1965年生まれの土谷は、東京・町田市で父親は大手電機メーカーの幹部、母親は専業主婦という裕福な家庭で育った。都立狛江高校時代は成績優秀でラグビーに熱心に打ち込む、学校の人気者だったという。卒業後は筑波大学・同大学院へと進学し、有機物理化学研究室に所属。大学院2年生だった1989年にオウムと出会い、深く溺れていくことになる。

両親が見せた後悔と諦め

 土谷という人間を知るために、私は調べを始めてから2回、ご両親と面会していた。

 私と向き合った夫妻は、「本当に申し訳ありません」と何度も頭を垂れた。母親に土谷のことを聞いても「反抗期もない、素直ないい子だった」と言う。家庭に問題があったようには見えなかった。

 ご両親はそれまでに何度も、息子をオウムから脱会させようと試みていた。一時は教団から引き離し、茨城県内の更生施設に匿うことに成功したものの、土谷はそこから逃げ出し、とうとう出家してしまったのだ。「オウムに入っていなければこんなことにならなかったのに……」。そう語るご両親の顔には、後悔や諦めの念が滲んでいた。大事に育てた我が子が、殺人の片棒を担いだ。その心中を慮ると、私は居たたまれない気持ちになった。

 ある日、私はご両親を呼び出し、こう頼み込んだ。

「土谷は黙秘を続けています。お父さん、お母さんと会えば、昔を思い出して真っ当な人間に戻るかもしれない。会ってみてください」

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