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歴史小説の悦楽「孔子と孔丘」|宮城谷昌光×宮崎美子

作家・宮城谷昌光さんの小説『孔丘』が10月8日に刊行された。儒教の創始者・孔子を描いた作品だ。この作品に込めた想いとは。また歴史小説を読むことの醍醐味とは。熱心な読者だという女優・宮崎美子さんと、宮城谷さんが語り合った。

<この記事のポイント>
●宮城谷さんは、ずっと孔子を小説に書きたいと思ってきたが、書けなかった。70歳を過ぎて「孔丘(孔子の本名)」を書こうと覚悟を決めた
●歴史とは、決して善と悪に分けられるものではない。偉人とされている孔丘にも「矛盾」があり、それが人間性であった
●完結した人生を描いた歴史小説を読むと、いま目の前に存在していないものが、心の中に見えてくる

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宮城谷氏(左)、宮崎氏(右)

儒教の創始者の生涯を描いた

宮崎 おひさしぶりです。

宮城谷 こちらこそ。以前にお会いしたのは、もう7、8年ほど前になりますか。

宮崎 はい。私が司会をしていたテレビ番組に出演していただき、『三国志』についてお話をうかがいました。

宮城谷 『三国志』は長いので読むのは大変だったと思いますが、宮崎さんの読みが的確で、話も的確。とても感心しました。

宮崎 いえいえ。そんなお言葉をいただくとプレッシャーを感じます。いきなりハードルが上がった(笑)。

宮城谷 本当にそう思いましたよ。

宮崎 おそれ入ります。

このたび書籍として刊行された『孔丘(こうきゆう)』も大変おもしろく拝読しました。本誌で連載されていたので、ご承知の読者も多いと思います。紀元前6世紀に生まれた儒教の創始者、孔子の生涯を描いたということで、難しい話かなと思いましたが、読み始めるとすぐに引き込まれていきました。この作品は、さわさわという雨の音から始まりますが、その雨がそのまま小川へ流れ込むように、小説の中へ導かれていきました。

宮城谷 ありがとうございます。

宮崎 それからは川の中を流れていくように、どんどん読み進められました。孔丘の人生に沿って、ときにはゆるやかに流れたり、ときには急流に巻き込まれてグルグルと回ったり。孔丘と一緒に流され、最後まで行きついた……そんな読後感でした。

宮城谷 そんな読み方ができるとは、やはり宮崎さんは賢い。

宮崎 恐縮です。水にまつわる場面が多いし、孔丘も水が好きだったというので、そう感じました。

のちに弟子となる男と一緒に川をみながら、「川の源流に想いを馳せる者がいてもよいのではないか」と言う場面は印象的でした。堅苦しくない言葉で伝統を考えることの意味について語っている。こうした印象的なところに付箋を貼っていったら、やたら多くなってしまって(笑)。

ひとりの人間として描く

宮崎 読みやすい作品ですが、お書きになるのは難しかったようですね。孔子を書こうと決意されてから実際に始めるまで、20年ちかい時間がかかったと聞きました。

宮城谷 ええ。まずは50代のときに史料を集め、文献を読むなどして準備をしました。そのころ作った年表をお見せしましょう。

宮崎 分厚いノートですね。

宮城谷 このページには孔丘と関係する国の年表があります。その反対側に書いてあるのは、孔丘が生きた時代の諸国の大臣の名です。

宮崎 ぎっしり、お書きになっておられます。それも手書きなのには驚きです。

宮城谷 孔丘が生まれるすこし前から亡くなるまで、こうした年表を作りました。

宮崎 当時の状況を分解して、分解していったのですか。その作業だけで何年もかかったでしょう。

宮城谷 ええ。それでも小説に書けなかった。60代のときにも書こうとしたけど、やはり無理だ、と。

宮崎 孔子が小説の中で動き出していかなかったのですね。書き進められない何か理由があった。

宮城谷 そう、動き出さない。孔子や直弟子たちの言行は、後の時代の弟子が『論語』にまとめていますが、すべてが美化されているのです。そうした史料にもとづいて孔子の生涯を書くと、どうしても偉人伝、聖人伝になってしまうのです。

孔子様の偉人伝であれば、学者さんにお任せすればいいのであって、小説家が手を出すものではない。そう思ったのです。

それが70歳をすぎたとき、「孔子」ではなく、「孔丘」を書こうと覚悟を決めました。

宮城谷先生のノート3

宮崎 孔丘は孔子の本名ですね。つまり孔子という偉人ではなく、ひとりの人間として書こうとされた。この本を読むまで孔子の生涯を細かくは知りませんでしたが、何度も不遇な目にあっているし、失敗もしています。聖人君子ではないからこそ読む側は感情移入ができる。

宮城谷 孔丘は小さい頃から、結構つらい人生を送っているのですよ。両親は不仲で母親は婚家を出てしまいました。そうした関係を悲しい思いで見つめていたにもかかわらず、いざ自分が結婚すると、妻には厳しく接している。

宮崎 じつは気が短い人だったというのも意外でした。その怒りを他の人には隠せても、妻にはその激しい感情をぶつけてしまう。結局は夫人と離婚してしまったし、子どもの孔鯉(こうり)との関係も良くなかった。

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