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川上弘美 ちょいと、あれだね 巻頭随筆

文・川上弘美(作家)

 文藝春秋誌が創刊された大正十二年はどんな年だったのだろうと考えているうちに、母方の祖父が残した覚書のことを思いだした。

 祖父は、東京の本郷切通し(現在の湯島天神の大鳥居前)の数珠屋の二代目として、明治三十九年に生まれた。亡くなったのは昭和四十七年、享年六十六歳だった。覚書は、祖父の父、すなわちわたしの曽祖父にあたる清太郎が明治時代にその地で商売を始めるいきさつから書き起こされ、昭和二十五年までの記録で終わっていたはずだ。

 祖父が、わたしはとても好きだった。生粋の東京っ子で、シャイで口数が少なく、たいがいのことは「ちょいと、あれだね」ですませた。新しもの好きで本好き。泊りがけで祖父の家に行き、祖父の集めた江戸川乱歩の小説に読みふけるのが、小学生のころのわたしのひそかな楽しみだった。

 覚書は、わたしが小説家になる前に一度読み、それきり机の奥にしまいこんでいた。こまかな内容は、ほとんど覚えていない。あらためて今読み返してみると、便箋二十二枚に、関東大震災、第二次大戦開戦、東京大空襲、疎開、終戦と、まるで朝の連続ドラマの流れのような出来事が連なっているのだが、祖父の筆致はしごく淡々としている。

 文藝春秋創刊の大正十二年の記述は、こんなふうだ。

「明治商業の夜学部に入り勉強致し一学期の成績が五番になつて勉強が面白くなって参りました」

 祖父はこの時十七歳、尋常小学校を卒業して通っていた高等小学校は、店が忙しくなり手伝いのため退学し、そのかわりに夜学部に通っていたのだ。文章はこう続く。

「其の年の九月一日、午前十一時五十八分関東大震災です、其の日は朝からたい風気味で雨が降ったりやんだりして居り、わたしはお店で仕事をして居りました、丁度、同じ町内の方の娘さんの結婚式で父が精養軒に呼ばれて居ると云ふので食事を十一時過ぎに皆んなですませた所でした、ぐらぐらとゆれだしたので立上つて、お店の陳列棚がゆれるのでおさえていたのですが段々とひどくゆれだしておさえきれなくなり引つくり返つてしまいましたので表へ飛出しました、物すごい地なりがして電車通りの両側の電柱が今にも私達の方へたおれて来る様でした、立つて居ることが出来ない位で近くにいる人が足踏みをしなさいと云ふので足踏みをして居りました、其の内にいくらか落ちついてきましたがしばらく間をおいてはゆれていました」

 覚書は、さらにこう続く。

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