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三島由紀夫 自決の翌朝気がついた

優れた文学作品を数多く著しながらも、悲劇的な最期を遂げた三島由紀夫(1925〜1970)。自決の直前に“遺書”を託された元毎日新聞記者の徳岡孝夫氏が回想する。

三島由紀夫 ©文藝春秋

 昭和24年7月、旧制三高生だった時、国鉄総裁下山定則が常磐線北千住─綾瀬間で轢き殺された。偉い人の生死さえ覚束ない時代、私が出会った最初の流血事件だった。

 その2年後、私は流血の芝居を観るために南座へ出掛けた。

 芝居は、谷崎潤一郎作、武智鉄二演出の「恐怖時代」で、当時人気絶頂の坂東鶴之助、中村扇雀出演の芝居だった。

 お城の太守の妾が蚊帳の中で寝ている太守を殺し、その血が細く赤い糸になって蚊帳にほとばしる。武智歌舞伎と呼ばれる、それまでの歌舞伎にはない、凄まじい演出だった。

 登場人物が殺し合い、最後には主役の妾も心中して、全員が死んで芝居が終わる。谷崎好みの芝居だったが、客席は恐怖に包まれた。

 時は流れ、私は「サンデー毎日」の記者になり、東京に住むようになった。ある日、「三島由紀夫が自衛隊に体験入隊した。自宅へ行って取材してこい」と上司に言われ、南馬込の三島邸へ行った。のちの「楯の会」を率いて入隊した経験を、三島さんは饒舌に語った。

 取材が終わって雑談になり、私は大阪・曽根崎署で起こった滑稽な小事件の顛末を、大阪弁を交えて披露した。三島さんは腹を抱えて笑い、「徳岡さん、その大阪弁を忘れちゃぁダメだ」と繰り返した。「忘れようと努力せん者が忘れるはずおまへんがな」と私が応じると、三島さんはさらに哄笑した。

 そのとき私は「恐怖時代」の話をしたが、三島さんは何の反応も示さなかった。「芝居を観ていないな」と察したが、「憂国」の三島さんが観ていないのはおかしいと思いながら、私は話題を変えた。だが後日、「恐怖時代」について、突然三島さんが饒舌に語り出したことがあった。はたして芝居を観ていたのか、あるいはト書の多い谷崎の原作戯曲を読んで知っていたのか……この謎は、いまだに謎のままである。

徳岡孝夫氏 ©文藝春秋

 さらに時が流れ、私がバンコク駐在をしていたとき、東京から「三島由紀夫がそちらに滞在しているから、ノーベル賞を受賞した時の予定談話を取れ」との命がきた。

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