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出口治明さんの今月の「必読書」…『〈世界史〉をいかに語るか グローバル時代の歴史像』

全体を把握する力

本書は、雑誌「思想」の特集号に2つの論考を新たに加えて単行本化したものである。グローバルな時代が訪れ、歴史学もその埒外ではなくなった。これまでの歴史学では、研究史の蓄積と資料水準の上昇によって研究対象や時代を狭く限定していく専門化が進展していた。このことが歴史学を周辺化させ公の問題への提言能力を喪失させていったのである。これに対して、グローバル・ヒストリーは、時間と空間を大きく広げて広範な事象を扱い、西洋史中心史観を相対化して地域間の連携を扱う地球規模の新たな歴史学のパラダイムであると説明される。本書は、現在の歴史学が到達した地平と、グローバル・ヒストリーの可能性や問題点、世界史をどう語り、どう教える/学ぶかなどの論点を網羅しており、歴史に興味を持つ市民には必読の一冊であろう。

歴史学が育む力の一つは、時間軸で物事を見られることである。歴史の流れを、時間軸を通して、エビデンス(相互に検証可能な根拠)に基づいてナラティヴ(物語)として、自分の言葉で語れることが歴史学の持つ最大の強みである。僕も『人類5000年史Ⅰ〜Ⅲ』など何冊か歴史書を書いているが、「エビデンスに基づいたナラティヴ」という基軸だけは揺るがせてはいけないと肝に銘じている。この文脈で考えれば、一国史的国民史(日本史などのナショナル・ヒストリー)を克服して、地球大の環境史などを含めて幅広く論じるグローバル・ヒストリーには間違いなく多くの可能性がある。なぜなら、太古の昔から世界の各地域は密接に結びついているからだ。しかし、一国史のような断片化していた「小さな物語」を再び「大きな物語」へと志向させるためには、全体を俯瞰した新たな因果関係論が構築されなければならない。一国史を単に繋ぎ合わせただけで世界史が語れるわけではないのだ。また、「大きな物語」であるとしても、人の顔が見えなくなっていいはずはない。いろいろな時代に生きた人間の喜怒哀楽が描けてこそ歴史学は物語たりうるのだ。

エビデンスに基づいていることは、知識基盤社会の基本中の基本である。これも歴史学が育むスキルの一つで、近代国民国家の中で醸成されてゆくジェンダー(明治維新で導入された朱子学主導の家思想を淵源とするわが国の男女差別はその典型)などのアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を打ち破る力となる。新型コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言が出されて市民が自粛を要請される中で、鬱屈した精神が流言飛語を生み出しがちな現状では、銘ずるべきである。夏目漱石は、「黒人(玄人)は局部を見極めていくから輪郭がわからなくなるが、素人の目は全体の把握力について『糜爛(びらん)した黒人の眸(ひとみ)』よりも溌剌としている」と述べた。この言葉を忘れてはならないだろう。

(2020年6月号掲載)



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