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平野文さんのオヤジの話。

著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、平野文さん(声優)です。

あの日のカミナリ

足指の格好と、爪の形。私は父と似ている。親指が一番長く、順々に短くなっている。それぞれの爪は、四角くて長めだ。

休みの日。父はきまって、縁側で爪を切っていた。思い出は昭和30年代半ば、私が5、6歳時分の出来事が、一番濃厚だ。

プチン、パチン、と縁側に音が響く。似てはいても、父の足の先は爪も立派で、指もがっしりと長い。いつも3、4種類の爪切りと、爪やすりを使っていた。

爪切り類は、小型ナイフなどと一緒に、週刊誌大の木箱に収まっていた。ライターや万年筆が入った木箱もあった。どれもせがまないとその蓋をあけてくれることはなかったが、爪を切る父の脇にいれば、先の尖った爪切りニッパーはむろん、箱に並ぶ舶来物のジャックナイフやハサミなども、覗き放題。きれいで光っていた。

爪を整えたあとは、庭仕事だ。時季になると植木屋さんが入るが、休みの午後には必ず、噴霧器を肩にかけ、庭に出る。私も必ず、後に続く。お供は楽しかった。

花壇の薔薇に噴霧するときには、先んじてトゲをはがして額にくっつけたり、イチジクに集まるカミキリムシを、腕に這わせたりしていく。桜が終わる時季は見ものだった。棒の先に、ガソリンを染み込ませたぼろ雑巾を巻いて火をつけ、幹をなぞりながら、毛虫を落としていくのだ。ボトボトと音を立て、面白いように落ちてくるので踏んづけようとしたら「だめだめ」と、にらまれた。

父はどんなときも、穏やかでやさしかった。子役の仕事や習い事、進路などについても、注文や小言もなく、自由にさせてくれていた。毛虫のときの「だめだめ」も、怒られた、という記憶ではない。

ただ一度、アジサイの葉裏にみつけたカタツムリの殻を剥ぎ取って、池に放り込んだときには、カミナリが落ちた。何事かと、祖母も母もお勝手からすっ飛んできたほどの一喝だった。当たり前だ。

父亡き今。私は同形の爪切りニッパーで、父と相似形の、足の爪角を切る。パチンと音がたつたびごとに父を思い出すことはないけれど、あの、裸にしたカタツムリのことは、ちょくちょく脳裏に浮かぶ。ほんとうに悪いことをしたし、ほんとうに父は、怖かった。

穏やかでやさしい男が本気で怒ると、心底怖い。ついでながら我が亭主、築地の3代目も、同じなのでは、と思う。彼は父と似ている。気をつけよう。

※このエッセイは音声で聴けます!

(2020年6月号掲載)


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