プーチン殿の7人 独裁者が支配するクレムリンの内幕レポート 名越健郎
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プーチン殿の7人 独裁者が支配するクレムリンの内幕レポート 名越健郎

文藝春秋digital
文・名越健郎(拓殖大学教授)

政権の誰が戦争を支持したのか

20世紀前半型の大規模戦争となったロシア軍のウクライナ侵略は、残忍な非人道行為を繰り返し、焦土戦となってきた。プーチン大統領が「家族の一員」と呼んだウクライナに平然と戦車を投入し、ミサイル攻撃を繰り返す蛮行は、狂気の沙汰といえる。

プーチンはなぜこの時期に無謀な戦争に走ったのか。大半のロシア人が本心では望まない戦争を政権の誰が支持したのか。それを読み解くには、プーチン周辺の人間関係とクレムリンの権力構造を探ることが重要になる。

カギとなるのが、「奥の院」の7人である。まず、プーチンが属した旧ソ連国家保安委員会(KGB)時代の人脈から探ってみよう。

筆者が記者としてモスクワに駐在していたプーチン時代初期、KGBのOBらが、大統領を「あの中佐が……」と揶揄するのを聞いたことがある。

KGBに16年在籍したプーチンは、中佐としてキャリアを終えたが、同僚の多くは将軍や大佐で退役した。ロシア語で中佐は「ポドポルコブニク」といい、大佐の下という意味だ。プーチンは1990年代末、KGBの後身、連邦保安庁(FSB)長官を1年間務めたものの、KGBで出世できなかったことは、密かなトラウマだったかもしれない。

2006年、モスクワの自宅アパートのエレベーター内で何者かに射殺された人権派女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤは、最後の著書で「プーチン中佐」を痛烈に皮肉った。

「プーチンはソビエトKGB中佐の典型だ。ゴーゴリ著『外套』の主人公、小役人のアカーキー・アカーキエビッチを彷彿とさせる。彼の世界観は階級に見合って偏狭だ。いかにも最後まで大佐になれなかった中佐らしい。好感の持てない個性の持ち主なのだ。たえず仲間を詮索するソビエト秘密警察の根性が骨の髄まで染み付いている。しかも執念深い」(『プーチニズム』、NHK出版)

1975年にレニングラード大学法学部を卒業し、念願のKGBに入省したプーチンは、最初の6、7年はレニングラード(現サンクトペテルブルク)の支部で防諜部門に所属した。

ペテルブルクは伝統的に西欧の文化が流入する町で、レニングラードKGBは反体制派の摘発で辣腕を振るったらしい。プーチンは防諜部門時代についてほとんど語っておらず、当時の活動は謎に包まれている。

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プーチン大統領

中核は「レニングラードKGB」

プーチンはその後、KGB第一総局(対外情報)に移り、旧東独に駐在するが、KGBでの16年間はプーチンの政治意識と手法に巨大な影響を与えた。強烈な愛国心や大国主義、反米志向は、KGB時代に叩き込まれた。KGBは内外の敵を峻別する機関であり、仲間しか信用しない。プーチンは大統領就任後、KGB時代の同僚をクレムリンに招き、最大派閥、シロビキ(武闘派)を形成した。

その中でも中核を担うのが、レニングラードKGB時代の同僚であるパトルシェフ安全保障会議書記、ボルトニコフFSB長官、ナルイシキン対外情報庁(SVR)長官、セルゲイ・イワノフ大統領特別代表(環境・交通担当)らだ。

プーチン政権では、元KGB将校らで構成するクレムリンのインナー・サークルが重要政策決定を独占してきた。ロシアにとって「成功体験」となった2014年のウクライナ領クリミア併合について、プーチンは後に、「(自分と)パトルシェフ、イワノフ、ボルトニコフ、ショイグ(国防相)の5人で決めた」と述べていた。ロシアのネットニュース「ZNAK」も、「クリミア介入はプーチンが決断し、5、6人の最高幹部がそれを全面支持した」と伝えていた。

安倍晋三元首相との北方領土交渉を含め、外交・安保戦略の基幹は、70年代後半にKGBレニングラード支部で同じ釜の飯を食った元中堅将校らの密室決定で決まった。ソ連時代、共産党の下部機関だったKGBの工作員が、解き放たれて全権を握り、暴走していった。

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ボルトニコフFSB長官

しどろもどろのナルイシキン

ところが、世界を震撼させた2月24日のウクライナ全面侵攻は、集団密室決定ではなく、プーチンが独断で決め、周辺を強引に同調させたようなのだ。それを知る手掛かりは、2月21日に異例の公開で行われた最高意思決定機関、安全保障会議にある。

テレビ中継された会議は、クレムリンの大広間でプーチンと出席者の距離を空けて行われ、緊迫した雰囲気に包まれた。司会を務めたプーチンは「今日はドンバスの問題を討議するため集まってもらった。(ウクライナ東部に自治権を付与する)ミンスク合意は難航し、キエフ(キーウ)の政権は東部のロシア系住民を迫害している。ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に加盟すれば、わが国への脅威が何倍にも膨れ上がる。ドネツク、ルガンスクの両人民共和国の指導者らは、ロシアに対して彼らの主権を承認するよう求めており、対応を決めねばならない」とし、全員の意見表明を求めた。

ラブロフ外相、ショイグ国防相、メドベージェフ安保会議副議長、ボロディン下院議長、マトビエンコ上院議長らが次々に独立承認の支持を表明する中、最大のサプライズはSVR長官のナルイシキンとプーチンのやりとりだった。

緊張した表情のナルイシキンが「西側のパートナーに最後のチャンスを与え、キエフの政権に和平とミンスク合意の早期実施を迫るよう求めてみても。そうでなければ……」と述べると、プーチンは「そうでなければとはどういう意味だ。まだ西側と交渉しろというのか。あなたはどっちなんだ。はっきりしてくれ」と迫った。

ナルイシキンがしどろもどろになりつつ「私は人民共和国のロシア編入を支持する」と奇妙な発言をすると、プーチンは「今、そんな話はしていない。独立承認か否かだ」と迫り、ナルイシキンは「独立承認を支持します」と引き下がった。できの悪い生徒を叱り付ける教師のようなこのシーンは、プーチンが有無を言わさず独立承認への支持を強要するパワハラだと、西側メディアで話題になった。

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ナルイシキンSVR長官

実は、その2人前に登壇した安保会議書記のパトルシェフも外交交渉を支持し、「2、3日という短い期間で流血を止めることができるのなら、米国と対話をし、ミンスク合意を短期間で交渉し、実行してもいい」と述べていた。ナルイシキンは、「対話によって和平とミンスク合意の実施を求めるパトルシェフ氏の提案に賛成する」とパトルシェフの発言を受けて発言したのだ。しかし、プーチンはパトルシェフを咎めず、ナルイシキンに噛みついた。

これは、プーチンが最大の盟友であるパトルシェフに敬意を表したともとれる。パトルシェフはKGBでプーチンの1年先輩。ソ連崩壊後もFSBにとどまり、大将で退役した。プーチンの後任としてFSB長官を務めた。プーチンは昨年7月、パトルシェフの70歳の誕生日に際し、「長年の友情と優れた資質、学識、分析能力に感謝する。あなたは常に時代が要求する課題に対処する責任能力を発揮した」と最大級の賛辞を送った。4年前には、パトルシェフの長男を30代で農相に抜擢している。

これに対し、ナルイシキンはレニングラードKGBの後輩である。プーチンはしばしば、後輩や閣僚らをからかって楽しむところがある。ナルイシキンは下院議長時代、日露交流の窓口役を務めた知日派で、実弟が日本たばこ産業(JT)現地法人の幹部だった。

「全会一致」はスターリンの手口

安保会議の出席者がこの時点で、プーチンが3日後にウクライナへの全面侵攻を命じることを知っていたかどうかは不明だ。最近英国へ亡命した反体制派女性ジャーナリスト、ファリダ・ルスタモワはクレムリン周辺からの情報として、「情報機関系や軍の一部メンバーだけが事前に攻撃方針を知っていた。大半は、兵力増強は西側に圧力をかけるための戦術にすぎないと考えていたようだ」と指摘する。事実なら、侵攻計画は唐突に決定され、極秘裏に進められたことになる。一方で、出席者の怯えたような硬い表情から見て、彼らがある程度察知していた可能性もある。

旧ソ連の独裁者、スターリンも粛清の銃殺刑などを決める際、政治局会議を開いて政治局員全員に同意発言をさせたという。プーチンも反対意見を封印し、全会一致による共同責任を演出した。クレムリン最奥部の権力構造の実態を垣間見せた。

プーチンはこの後、2つの人民共和国代表と友好協力・相互援助条約に調印し、演説してドンバス地方への派兵を命じた。3日後の2月24日、いきなり開戦演説を行い、「ウクライナ東部の住民がキエフの政権によるジェノサイド(集団虐殺)にさらされている」とし、「特別軍事作戦」の発動を軍に命じた。21日と24日の演説時のスーツとネクタイが同じだったことから、事前に撮影されていた疑いがある。

安保会議でパトルシェフとナルイシキンが外交交渉を支持しかけたことは、情報機関が必ずしもウクライナ侵攻に賛成していなかったことを示唆する。対外情報を担当するSVRのナルイシキンは、国際的な猛反発を憂慮した形跡がある。

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パトルシェフ安保会議書記

「ボディーガード系」の台頭

では一体、誰がプーチンを支持したのか。安保会議で最強硬論を唱えたのは、ゾロトフ国家親衛隊長官だった。ゾロトフは「ウクライナでは、アメリカが主人で、キエフの政権は家臣だ。核兵器も持とうとしている。二つの共和国承認は必須であり、国を守るためには、もっと先に進まねばならない」と述べた。「もっと先に」とは、ウクライナへの全面攻撃を意味しており、登壇者で唯一、ドンバスの独立承認を超えた強硬策を訴えた。配下の部隊を進撃させたゾロトフも、侵攻計画を知っていたはずだ。プーチンは結論が出たとばかり、ゾロトフの発言を受けて会議を締めくくった。

KGB国境警備隊出身のゾロトフは、90年代にペテルブルク副市長だったプーチンのボディーガードを務めて以降、プーチンに付き従った。6年前、内務省軍などを再編し、30万人以上の部隊で構成される大統領直属機関、国家親衛隊の長官に任命された。

ゾロトフは若者に人気のある反政府指導者、アレクセイ・ナワリヌイを目の敵にし、「決闘」を申し込んだことがある。政権要人の汚職・腐敗を告発するナワリヌイの組織が18年、国家親衛隊の食料品調達に関連した汚職疑惑を追及する映像を発表した時、「リングの上でも畳の上でも決闘しよう」「ミンチにしてやる」とビデオ声明で反発した。

ナワリヌイはウクライナ侵攻について、「正気を失った独裁者のウクライナ侵略戦争に気づかぬふりをしてはならない」と獄中から反戦運動を呼び掛けたが、3月末、2年半だった禁錮刑に詐欺や法廷侮辱の罪で9年が加算された。司法の独立が失われたロシアで、ゾロトフが刑期延長に動いた可能性がある。

プーチンは一緒に過ごす時間の長いボディーガードがお気に入りで、4人を知事に任命し、帝王学を学ばせようとした。しかし、3人が挫折し、残ったのはジューミン・トゥーラ州知事だけだ。ジューミンはシベリアで熊の襲来からプーチンを救ったというエピソードを持ち、忠誠心の強さから後継候補のダークホースと目される。

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ゾロトフ国家親衛隊長官

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