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カブール陥落一年の記 アフガニスタン国特命全権大使 岡田隆

タリバーン下のアフガニスタンにいかに向き合うか?/文・岡田隆(アフガニスタン国特命全権大使)

アフガニスタンにどう関与すべきか

世界を震撼させたタリバーンによるカブール陥落から1年が経とうとしている。昨年8月、私は日本に用務で帰国していた。戦況の急変を受けて、在留邦人や現地職員らを至急退避させ大使館を閉鎖するため、14日夜に日本を発ちカブールに向かったが、イスタンブールで乗り継ぎを待つ間にカブール陥落の報に接した。イスタンブールから、大使館員の退避、自衛隊機による退避オペレーションの支援に当たった後、私はタリバーンの政治事務所があるドーハに移り、この1年の間、残された関係者の退避とタリバーン政権下のアフガニスタンへの関与に取り組んできた。タリバーン指導者、旧政権関係者、退避するアフガン人らと意見交換を重ねつつ、1年前のこと、アフガニスタンの将来のことを考え続けてきた。アフガニスタンで何が起こったのか、タリバーン支配下のアフガニスタンに我々はどう関与すべきかについて、この機会に私の考えを述べたい。

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昨年8月15日、大統領府を占拠したタリバーン

2021年8月15日

カブール陥落当日は何が起きたのだろうか。8月15日は、ごく普通の日曜日のように朝を迎えたという。タリバーンはカブールに迫っていたが、精鋭部隊に守られたカブールが簡単に落ちることはないと誰もが思っていた。

ところが、昼ごろからタリバーンが市内に入ったとの噂と共にパニックが拡がっていった。治安担当の第一副大統領がカブールを去ったとの情報が漏れて、大統領府近くの警察署が放棄され、タリバーンを装った暴徒が略奪を始めた。自宅に向かう人と車で市内は大混乱に陥り、軍、警察関係者は制服を脱ぎ捨てて市民に混ざって散っていった。

同日朝にはタリバーン兵士はカブールの門まで到達していたが、市内に入るなという厳命を受けていた。背景にはタリバーンと共和国の秘密交渉があった。6月、戦況を覆すことはもはや難しいと考えた共和国指導者たちはガーニ大統領の了解を得て、政権を平和裏に移行させるための交渉を始めた。8月上旬には、タリバーンがカブールに到達しても市内には入らず、2週間の政権移行交渉により暫定政権を発足させることで交渉は纏まっていた。8月16日からの最終交渉のため、カルザイ元大統領らがドーハに向かい、ガーニ大統領も加わることとなっていた。

市内の混乱拡大に驚いた共和国幹部とタリバーン指導者は、互いに連絡を取って約束を確認した。タリバーンは共和国側に対し兵士と警察を持ち場に戻すよう要請し、タリバーンはカブールに入らないと声明を出した。カルザイ氏は、カブールは安全とのメッセージをSNSで発出した。しかし、午後3時頃、ガーニ大統領が側近とヘリで逃亡したことが明らかになった。大統領府の警備担当者は、カルザイ氏に空になった大統領府に入ることを要請したが、カルザイ氏は、もはや一市民でしかない自分には資格がない、大統領府を略奪から守り、タリバーンが到着したら引き渡すようにと指示を与えた。権力の空白の中で暴動や略奪が発生することを恐れ、カルザイ氏らはタリバーンに対し治安維持のためカブールに入ることを要請した。

要請を受けたタリバーンは、米国との衝突を避けるため、米国がカブールの治安維持の責任を担う用意があるか確認を求めた。米国にその意思がないと見たタリバーンは、夜間の暴動を防ぐため部隊のカブール入りを指示した。タリバーンにはカブールの治安を守る計画も十分な人員もなく、近傍県のタリバーン兵士を急遽呼び寄せねばならなかった。商店が門戸を閉ざし人影が消え始めた街に、タリバーンの兵士たちが現れた。

共和国指導者らは和平交渉を継続すべくカルザイ氏らのドーハ入りを実現しようとしたが、タリバーンが抵抗を受けずに大統領府に入った時点で、共和国側には何の交渉材料も残っていなかった。平和的政権移譲の計画はその時点で消滅した。

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タリバーン兵士の横でデモを行う女性たち

日本大使館はどう対応したか

カブール陥落前後の日本大使館の対応を振り返りたい。8月上旬、事態が緊迫化する中で、大使館員は在留邦人に早期退避を繰り返し呼びかけ、希望者の出国支援に当たっていた。そして、14日の時点では、政府・外務省は在留邦人と現地職員を18日までに商用チャーター機で退避させ、大使館を撤収するという計画をほぼ整えていた。

カブールでは、14日、日本大使館周囲のNATO国大使館が、空港内のNATOミッション本部基地に避難を開始した。日本大使館周囲の安全は周辺の大使館と共同で確保していたが、彼らが去れば警備網に穴が開き、暴徒が押し寄せれば大使館の安全は維持できない。しかし、日本大使館の移転先は空港にはなかった。大使館員はやむを得ず同日深夜外国武装警備会社の本部に移り、そこで邦人や現地職員の退避準備を続けることとした。

15日朝、イスタンブール空港でカブール行きのフライトを待つ私にカブールにタリバーンが入ったとの情報が届いた。直ぐにウィルソン米大使に電話で確認を求めたが、情勢は極めて流動的であり大使館員は即時退避すべしと忠告を受け、12人の大使館員の退避協力を米国に要請した。

在留邦人らが残っていたため、一部館員が残留する可能性が検討された。しかし、警備会社本部が閉鎖されることになり、日本大使館員には活動拠点がなく、最終避難手段も他にはなかった。大使館員は、本人の意思で現地に残留する者も含め全ての邦人と連絡を取り続けた上で、17日未明に友好国の軍用機で出国した。

その後の自衛隊による退避オペレーションでは、大使館員が自衛隊部隊とともにカブール空港に入り現場のオペレーションに参加したが、26日、市内に待機させた退避者の安全な空港入りを待つ間にテロが発生し、オペレーションの一時中断を余儀なくされた。しかし、その翌日には、退避を希望する邦人一名を自衛隊機で近隣国に退避させている。9月以降は、ドーハにおいてタリバーンと交渉を始め、10月にはカタール政府の支援を得てドーハ経由での退避が始まり、第三国経由の退避を含めればこれまで約800名のアフガン人が政府の支援で日本へ退避している。

外国軍隊が去った後には時間が20年戻ったかのようにタリバーン支配のアフガニスタンが残った。20年の間に、6万人の共和国兵士、10万人のタリバーン兵、12万人の一般市民が命を落した。国際社会は巨額の支援を投入し、米・NATO軍は3500人の戦死者を出しながらも共和国政府を支えようとした。こうした努力と犠牲があったにも拘わらず、タリバーンの前に、なぜ共和国はこのように脆く崩壊したのだろうか。

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アフガニスタン・カブール

タリバーンに吹いた風

私がカブールに着任した2020年11月当時、内戦は膠着状態にあった。米軍削減は始まっていたが国内400の行政区の内、政府は130程度、タリバーンは70~80程度を押さえ、残りが係争中という状況が続いていた。しかし、米・NATO軍の撤退が翌年5月頃から本格的に始まると均衡は急速に崩れていく。6月中旬にはタリバーン支配の行政区が政府を上回り、8月15日、タリバーンがカブールに到達すると共和国の精鋭部隊は消滅し、タリバーンは一発の銃弾を撃つこともなくカブールを制圧したのであった。

カブール陥落のスピードは私の予想を大きく上回るものであった。米軍のミリー統合参謀本部議長は「米軍撤退前の8月の11日間でアフガン政府と軍が崩壊することを予想した情報分析は自分の知る限り存在しなかった」と9月に米議会で述べている。これはタリバーン自身も予期していなかったことのようだ。複数のタリバーン幹部は、予想を超える侵攻の速さに、カブールに入る準備も権力を握る用意も整っていなかったと私に率直に述べている。

21年1月のある大臣の発言を思い出す。「アフガニスタンの戦争では突然風が吹く。一方の優勢を見れば指導者たちは次々と支持を覆す。タリバーンが96年にカブールに入ったときも、2001年にカブールを去った時も、突然に風が吹いた。今、共和国の劣勢を皆が口にすることで、その繰り返しが起こることを恐れる」。彼の懸念のとおり2021年はタリバーンに風が吹いた。

共和国の防衛が脆く崩れた一因として、共和国軍の米・NATO軍への依存と撤退への準備不足が指摘できる。共和国軍は、訓練、情報、補給、航空機の整備まで米・NATO軍に依存していた。戦闘においては米軍の空爆支援がタリバーンとの均衡の鍵を握っていた。20年2月のドーハ合意は撤退期日を定めていたが、ガーニ大統領は米国が大統領選挙を経て撤退を撤回することを期待し、準備に真剣に取り組まなかった。撤退が進むにつれ、空爆支援を欠いた共和国軍は劣勢に追い込まれ、航空機の整備が追いつかず空輸に頼っていた補給が滞る。突然の外国軍の撤退に、兵士たちは見捨てられたと感じ、戦う意思を失っていった。孤立した政府軍の基地をタリバーンが包囲し、村落の長老を使者に立てて武装解除を求め僅かな金を渡すと兵士たちは武器を残し軍服を脱ぎ捨てて消えていったという。

共和国軍の敗因

6万~8万人のタリバーンに対し、30万の兵員と近代装備を有した国軍が敗北した根本の原因は、共和国政府への国民の信頼の欠如と兵士のモラルの崩壊にあったと思われる。共和国の20年間では、選挙に基づく政治制度が立ち上がり、メディアが勃興し、国民の教育・医療へのアクセスは広がった。乳幼児死亡率は半減し、女児の初等教育登録率はゼロから80%まで上昇するなど人々の生活は向上し、女性の社会進出も進んだ。しかし、内戦、指導者の分裂、行政能力の不足と政府全体を蝕んだ腐敗のために、国内に平和と基礎的サービスを広く行き渡らすことができず、国民の心は徐々に政府から離れていった。

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