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数学の苦手な少年はなぜ世界トップ級のAI研究者になれたか|伊田欣司

数学の苦手な少年が世界トップ級の研究者へ。/文・伊田欣司(ノンフィクションライター)

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小津野は世界のAI研究をリードするグーグル、ディープマインドの研究員たちとパリで共同研究に取り組み、ニューリプスでプレゼンテーションの栄誉を勝ち得た論文で大きな役割を果たした
▶︎その研究は、学習効率を高めるアルゴリズム(課題解決の方法や手順)を数学的に証明した点で価値が高いとされている
▶︎小津野は現在、カナダ・エドモントンにあるアルバータ大学に博士研究員として在籍している

世界のAI研究をリードする

科学技術の世界で近年、もっとも注目を浴びている分野といえば、人工知能(AI)だろう。その中心となっている研究テーマが「機械学習」だ。AIの研究は1950年代に人間が言語を習得するときなどの学習過程をコンピュータで再現することから出発したが、与えられたデータからコンピュータが知識やルールを自分で獲得していくことを機械学習という。

この機械学習の分野で世界最大、最高峰といわれる国際学会が毎年12月に開催されている。「ニューリプス」(NeurIPS=Neural Information Processing Systems)だ。

世界中の研究者が研究論文を投稿し、そのなかで優れたものだけが発表される。2020年は9400本以上の投稿があり、1903本の論文が選ばれた。採択率は約20%という難関だ。そのなかで特に優秀な論文は、オーラルプレゼンテーション(口頭発表)の機会を与えられる。その採択率はわずか1%。この会議でプレゼンテーションするということは、世界トップクラスだと認められたことを意味する。

2020年のニューリプスはコロナ禍のため、サイバー空間に仮想都市をつくって開催された。そこでプレゼンテーションされた論文の執筆者に日本人の名があった。小津野将(こづのただし)。平成生まれの今年31歳という若き研究者である。ほかに名を連ねているのは言わずと知れた世界的IT企業グーグルと、その傘下にあるAIのベンチャー企業ディープマインドの研究者たちだ。

ディープマインドは韓国や中国のトップ囲碁棋士たちを打ち破った人工知能プログラム「アルファ碁」を開発したことで一躍、名を挙げた。この勝利によって「ディープ・ラーニング(深層学習)」などのAI用語が広く知られたことを記憶している方も多いだろう。

小津野は世界のAI研究をリードするグーグル、ディープマインドの研究員たちとパリで共同研究に取り組み、ニューリプスでプレゼンテーションの栄誉を勝ち得た論文で大きな役割を果たした。つまり、世界トップクラスのAI研究者なのだ。

小津野将

小津野氏

数学が嫌いだった少年時代

小津野が研究しているのは、機械学習のなかでも「強化学習」と呼ばれる分野だ。どんな研究なのかと尋ねると、「一言で説明するのが難しくて、いつも困るんですよ」と人懐っこい顔に苦笑いを浮かべながら、工場の作業ロボットを例に説明してくれた。

「現在の産業用ロボットは、決まった位置にある本体に、金属の部品を取り付けるような作業は完璧にできます。しかし、ベルトコンベアーで流れてきたお弁当の容器にトングでスパゲティをきれいに盛りつけるといった作業は、まだ完璧にはできません。容器の位置がズレていることも多いし、スパゲティは柔軟物で形が決まっていないからです。でも、人間なら容器からはみ出さないできれいに盛りつける。

AIの強化学習を使えば、きれいに盛りつけたときは合格、はみ出したときは不合格と人間が設定するだけで、ロボットは繰り返し作業するなかで、アームの動きやトングの扱いが上達していきます」

小津野の研究は、その強化学習を効率よく進める方法に関するもので、ニューリプスに採択された論文でも、その研究成果が活かされた。

「現在のAIは、巨大なコンピュータを使って膨大な数の実験を繰り返し、長い時間をかけて学習していきます。だから、できるだけ少ないデータ量、少ない経験回数で成果を出すことに注目が集まっています。データ効率の向上です。その意味で、小津野くんの研究は、学習効率を高めるアルゴリズム(課題解決の方法や手順)を数学的に証明した点で価値が高い」

そう解説してくれたのは、小津野の指導教員だった沖縄科学技術大学院大学(OIST)の銅谷賢治教授だ。銅谷教授は2018年に国際学会から賞が贈られるなど、脳の神経回路とAIの研究で高く評価されている人物だ。

また、小津野の中学時代からの友人で、現在は勤務先で生産設備のAI化を担当している池田聡は、小津野が参加した論文がニューリプスのオーラルに採択されたと聞いたとき、驚愕したという。

「AI担当といっても私はグーグルやディープマインドが開発したテクノロジーを利用する側です。小津野はそのテクノロジーを開発する側の研究に参加したのですから、雲の上というか、どれだけすごいのか想像もつきません。中学の同級生がこのニュースを聞いても、あの小津野だとは思わないでしょう」

この池田をはじめ同級生たちや、小津野の両親に話を訊くと、小津野は小さい頃から「雲の上の存在」だったわけではない。

現在は数学的な理論解析を得意として、恩師の銅谷教授をして「数学的な証明については、彼のほうが技術は上」と言わしめる小津野博士だが、いわゆる「天才数学少年」ではなく、逆に数学が嫌いで、学校の成績もかんばしくない少年だった。それがどうやって世界トップクラスのAI研究者に成長したのか。その軌跡を追った。

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集中力はあるものの

小津野は、1990年に岡山県倉敷市で生まれた。父の勉は工業用メッシュの卸売会社に勤め、母の志緒子はパートで働くという、ごく一般的な家庭で育った。5歳上の姉、3歳下の妹がいる長男である。

志緒子によると、幼い頃からものごとに没頭するたちだったという。

「いったん興味をもったらなかなかやめなくて、保育園の先生から『ブロックで遊びはじめたらみんなで外に出る時間になっても動こうとしない』と心配されたこともあります」

その志緒子が「うちの子、天才かも」と思ったことがあるという。

妹の綾が1歳になった頃、ディズニーのかわいい目覚まし時計を買ってきたが、ある日、その時計がバラバラになっている。小津野がドライバーセットを使って分解したのだ。4歳の子にそんなことができるのかと驚くと、「中身がどうなってるか見たかった」という。志緒子が「あら、そう。でも時計がダメになっちゃったね」と言うと、「ぼく、全部憶えているよ」と言って、元通りに直してしまった。

「ドライバーを使って黙々と時計を組み立てる様子を見て、この子は天才かもしれないと思いました。でも、それ一度きりでしたね(笑)」

小津野のそうした探究心と集中力は勉強に発揮されることなく、小学校の通信簿はいつも悪かった。志緒子は言う。

「テストでは90点や100点を取ってくるのに、通信簿は1、2、1、2と、ランニングの掛け声。おかしいと思って先生に尋ねたら、授業中は手をあげないし、指しても答えないことがあるというんです。授業に興味がもてないんだろう、と思いました」

ビリから数えたほうが早い

学校から戻ると、玄関も開けずドアの前にランドセルを置いて遊びにいき、柔道を習い始めると張り切って道場に通う。元気で活発な男の子だった。

父の勉は、勉強のほうはまったく期待しなかったという。

「中学に入ってすぐのテストで、学年でビリから数えたほうが早い点数を取ってきました。そのときは目の前に座らせてちゃんと話しました。工業高校を卒業して、地元の会社に就職できるぐらいの成績はとってくれ、と」

勉はその頃、倉敷市内に2世帯住宅を購入した。現在も家族で住んでいるが、これは長男が将来、マイホームを持てないのではと心配して建てたものだ。「大学進学なんて、とても無理だと思っていましたから」と、当時を振り返る。

テストの成績が悪かったのは、没頭するものがほかにあったからだと小津野は言う。

「あの頃はゲームばかりしていました。RPG、歴史もの、美少女ものといろんなゲームにハマりました。親に隠れて徹夜でプレイして、しょっちゅう学校をサボってました」

中学の同級生だった池田は、当時の小津野を次のように語る。

「完全にオタクでしたね。ただ、小津野の周りには、不思議と人が集まっていました」

池田は中学に入ってすぐ、同級生から「6組に小津野っておもしろい奴がいるから見に行こう」と誘われたのを憶えている。すぐ仲よくなって、小津野の自宅へ遊びにいくようになった。母の志緒子によると、多いときは10人も自宅へ来ていたという。

夢はゲームクリエーター

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