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98歳、筋トレ始めました 信友直子×良則

両親の老老介護を撮った娘が父と語り合う母との日々。/信友直子(映画監督)×良則(父)

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信友直子さん(右)と良則さん(左)
©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会

「これも運命よ」

『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』は、広島で暮らす両親の老老介護を娘の信友直子監督が撮り続けてきた映画だ。認知症となった母・文子さんのために、父・良則さんは98歳から筋トレを始めて世話するなど、前向きな家族の姿が深い感動を呼んでいる。良則さんと信友監督に当時を振り返ってもらった。

直子 お母さんが認知症になった時はビックリしたね。あのしっかりしとったお母さんがと思うと、なかなか認められなかった。お父さんはどうだった?

良則 わしは「これも運命よ」と思うたかのう。年をとりゃあ今まで通りにはいかんわけで、わしより先におっ母(かあ)の具合が悪うなっただけのこと。今までおっ母にはさんざん世話してもろうたけん、今度はわしが恩返しする番じゃと素直に思うた。

直子 お父さんがうろたえた様子もなく動じなかったから、すごいなと思ったし頼りになったわ。

良則 わしらは戦争も経験したし、食糧難で飢え死にしそうな目にも遭うとるけん、たいがいのことには驚かんのよ。おっ母の面倒をみるくらい大したことじゃないわい。

直子 私がお母さんのことを撮影していたのは気にならなかった?

良則 あんたはそれまでもわしらを撮りよったけんの。おっ母も芸術が好きじゃったけん、直子と一緒にもの作りをしよるような気がして、嬉しかったんじゃないかの。

直子 お母さんが認知症でおかしな言動をする映像を、世間に公表されることに抵抗はなかった?

良則 わしゃあ何とも思わんかった。おっ母の人柄が悪いんじゃのうて、病気なんじゃけん恥ずかしいことはないわい。それに、直子ならわしらを悪いようにはせんじゃろう、と信用しとったしの。

直子 お父さんもお母さんも無邪気に信用してるから、こっちのプレッシャーは凄かったけどね(笑)。

良則 おっ母はあんたによう悩みを打ち明けよったのう。

直子 お母さんが「何でこんなにおかしくなったんだろう? あんたたちに迷惑かけるね。どうしたらいいんかね」と悩む姿を見るのが1番辛かったわ。それまでは認知症になった人は何も分からなくなるのかと思ってたけど、本人が1番辛いんだなあと思って。

ポスター

映画は全国順次公開中
©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会

「死にたいなら死ね!」

良則 わしゃ耳が遠いけん、おっ母の言うことが聞こえんのよ。じゃけんあんまり、辛い思いをした覚えはないのう。まあ、わしはもともと安気(あんき)(広島弁で「お気楽」の意味)な性分でもあるんじゃが。

直子 でも、お母さんが「迷惑かけるけん死にたい!」とわめき続けた時は、お父さんもたまりかねて「そんなに死にたいなら死ね!」って怒鳴ってたじゃない。

良則 あの時はあんたが通訳してくれたけん、おっ母が何言いよるか分かったけんの。介護の人らもみな良うしてくれるのに、何で感謝の心が持てんのか、思うて怒ったんじゃ。昔は二言目には感謝の言葉が出る謙虚な女じゃったけんのう。

直子 お父さんに「死ね」って言われてお母さんが自暴自棄にならないかヒヤヒヤしたけど、「悪かったねえ」とシュンとしてお父さんのご機嫌とり始めたもんね。背中掻いてあげたりして。それまでは私、認知症の人に怒鳴るのは絶対NGだと思ってたけど、お母さんのためを思う強い気持ちがあれば伝わるんだと、お父さんから教えられました。

良則 まあ「死ぬ」「死ぬ」言うて大騒ぎするヤツにホンマに死ぬヤツはおらんけんの(笑)。

直子 お父さんとお母さんは昔から仲が良かったよね。喧嘩してるところ見たことがないもん。

良則 わしがおっ母の言うことを「ハイ、ハイ」とよう聞きよったけんの(笑)。わしは元来ええ加減な男で、大した人間じゃあない。そう思うたら、偉そうにすることもないじゃろ。自分を過大評価するけん、余計な争いごとが生まれるんよ。

直子 そう言われたら、お母さんはお父さんの掌の上で転がされてたように聞こえるけど?

良則 いやあ、おっ母はわしには過ぎた女房じゃ思うとるよ。真面目で嘘のない女じゃったけん、わしはホンマに信用しとったんじゃ(泣き出す)。いや、これは涙じゃあないんよ。年をとって涙腺が詰まるけん、何もせんのに涙が出ることがあるんじゃ。

直子 ……まあ、そういうことにしとこうか(笑)。お父さんはお母さんのどういうところが好きだったの?

良則 よう冗談言うて笑わしよったろう。ありゃ後から考えたらみな大した話じゃないんよ。おっ母は何でもないことを面白おかしゅうに話す名人じゃったけんの。わしゃおっ母と話しよるだけで毎日が楽しかったわい(また泣く)。

直子 お母さんが言ってたけど、2人でコーヒー飲みながら何時間も話してたんだってね。昼ごはんの後もお父さんの淹れたコーヒー飲んで喋って、気づいたら晩ごはん……みたいに2人で1日中食卓にいた日もあるって。どんな話してたの?

良則 直子の話が多かったかの。

直子 え? 私の?

良則 直子の小さい頃の思い出を話して笑うんよ。赤ちゃんの頃におしめを替えてやったら、おしめの端をつかんで「くちゃい、くちゃい」と鼻をつまんで洗濯場に持って行きよった、とか。「直子は今頃どうしよるかねえ」とおっ母はいつもあんたを心配しよったで。

直子 お母さんが元気な頃は、お正月くらいしか実家に帰らなかったもんね。もっとたくさん帰ってあげればよかったなあ……。

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夫婦のコーヒータイム
©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会

おっ母の笑顔に救われた

良則 わしはおっ母に救われたところがあるんじゃ。戦後の昭和20年代は、わしの一番さえん時代でのう。かなり破れかぶれな気持ちで過ごしよったんよ。

直子 戦争が終わってやっと平和になったのに?

良則 戦争の前と後で、みな人格がコロッと変わってしもうたけんの。誰も信じられんようになってしもうたんじゃ。太平洋戦争で、お国のためにと信じ込まされて同級生がようけ死んだ。無二の親友も戦艦と共に沈んだんよ。わしよりようできた人間が次々死んだのに、自分が生きとることが申し訳なかった。なのに昨日まで「天皇陛下万歳」を唱えよった偉いヤツらが、掌を返したように拝金主義に走る。わしはどうしてもそれが許せんでのう。

直子 お父さんらしい正義感じゃね。

良則 何もかも嫌になって、世を拗ねたような生活をしての。大して食べもせずに煙草ばっかり吸うけん、不健康でガリガリじゃった。「まあええわ、どうせ長生きしてもしょうがない」と思いよった。今思うたら、やさぐれた生活よのう。

直子 呉でそんな生活してたら、やくざに勧誘されるよ(笑)。

良則 米屋の組合に就職したけん道は踏み外さずにすんだがの(笑)。別に結婚する気もなかったんじゃが、数え年で40になる頃に親戚が心配して縁談を持ってきての。それがおっ母じゃったんじゃ。

直子 そこから人生観が変わったの?

良則 見合いの席で、おっ母はずっとニコニコ笑いよっての。楽しげな人じゃのう、思うて見よったら、「私、あなたを知っとるわ」と言われてビックリよ。どうやらわしらは通勤の途中で毎朝すれ違いよったらしい。わしは全然気がつかんかったが、おっ母は女友達と一緒に通勤しよって、わしを見て2人でキャアキャア言いよったらしいわ。

直子 お父さんは昔の写真を見たらイケメンだもんね。じゃあお母さんの憧れの人だったわけだ?

良則 まあそういうことじゃの。気がついたらもう嫁に来ることが決まっとったけん、おっ母が前のめりじゃったんじゃろう(笑)。

直子 その頃からお母さんは明るくて前向きな性格だったんでしょう?

良則 ほうよ。いつもケラケラ笑うての。最初は何がおかしいんかと思いよったが、そのうちおっ母につられてわしも笑うようになった。わしを立ち直らせてくれたのは、まぎれもなくおっ母じゃけん、ホンマに感謝しとるんよ。

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©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会

父が本を読み聞かせる

直子 お母さんは料理上手だったし、手先も器用で、お父さんの服は全部お母さんの手作りだったね。

良則 新婚の頃は貧乏でのう。背広を買う金がないけん、わしは親戚のお下がりのブカブカの上着を着とった。そしたらおっ母がわしの体に合わせて仕立て直してくれてのう。嬉しかったわい。食事もおっ母が家計をやりくりして作る料理がおいしゅうて、どんどん肥えて健康体になった(笑)。

直子 お父さんが101歳になった今も健康でいられるのは、お母さんが長年、体にいい料理を食べさせてくれたからだと思うよ。

良則 あんたが生まれたのも大きかったんよ。あれほど先の希望が持てんかったのに、この子のために生きようと思うようになったけんの。

直子 直子という名前の由来は何なの?

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